2014年09月24日

YOU!弾丸ツアーしちゃいなYO!

牛深八景のPR目的の為、昨日と今日弾丸で牛深へ行ってきた。

こんにちわ!
はじめましての人ははじめまして!

思っていた以上の成果でとても充実した2日間でした。

まず最大の目的だったのが熊日さんからの取材を受けることだった。
支局長さんとのお話が面白く、もちろん牛深八景のお話もたくさんさせて頂きましたが、その他牛深に関するアイデアなども長時間情報交換させていただきました。

新聞記者の方は何でもご存知で視点が鋭いのでお話を聞くのがほんとに面白い。取材を受けるのは私なのに逆に質問しちゃったりして申し訳ありませんでした。とても楽しくて時間があっという間でした。大変お世話になりました、ありがとうございました。

写真撮られるときだけ慣れていないものだからカメラ見たら緊張しちゃっいました、笑。そこだけ心配。
近日載せて頂けると思いますのでみなさんも私の記事見てやってくださいm(__)m

このブログも以前から見てくださっていたとのことで、天草自治基本条例が廃案になったことを教えて頂いた。


うおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお

やりましたね!天草市の方々!

そうなんすよ。一回目に書いたように自治基本条例なんて白紙に戻して、別に作んなくても問題ないんですよね。
むしろ書いていた問題点をわからないように認めさせる目的の条例だったってこと。

熊本市よりも賢かった天草市。一安心ですね。



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そして牛深八景を持って牛深図書館へ寄贈に行ってきた。

現館長さんや元館長さんたちとお会いしてそこでも有意義なお話をして頂いた。
昨年の天草を描くコンクールでは賞をいただきまして有難うございました。今年も出品の予定にしておりますが間に合わなかった時は申し訳ありません。

お話を牛深八景に戻して、そこで決まったことを公開しておくと、天草市内の全図書館へ寄贈させて頂きます。

天草市アーカイブス、本渡歴史民俗資料館では天草の出版物を集めているそうでそこへも寄贈(歴史民俗資料館は帰りに寄ってお渡ししてきました。本渡の方はそちらで無料でご覧になれます。)

そして牛深小、中、高へは来週中には寄贈予定。子供たち読んで牛深をもっと好きになってね!

その他施設はまだ交渉中で未決定です。期限はないのでゆっくりやりますね。

ご連絡ついでに、旧牛深市内は今週日曜に折込広告が入りますのでぜひ御覧ください。そして応援していただけたら嬉しいです。

予想以上の牛深の方の協力が暖かく頑張る意欲を満タンに補充できた帰郷でございました。

↓ ↓ ↓ お申し込みはこちら↓ ↓ ↓ 







  


Posted by hirok○ at 03:08Comments(0)休題、その他なんでも

2014年07月26日

すべての天草市民に見てもらいたい自治基本条例案3



こんにちわ!
はじめましての人ははじめまして!
牛深八景書籍化とは関係ありません。

続き物です。前回
3回目になりますが前回前々回をご覧になってない方はそちらも併せて見ていただきたいです。

その後どうなったかなぁと思っているんですけど進捗状況が私わかっていません。ご存知の方いらっしゃいましたらおしえてください。まさか決まってないですよね?

昨日の産経に私が言っていることの関連記事が載っていましたので抜粋一部転載致します。
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住民投票外国人参加条例「阻止を」 自民が地方組織に通達
産経新聞 7月24日(木)
 外国人の住民投票参加を認める内容の「自治基本条例」が制定されないよう、自民党が地方組織に注意を促す通達を出したことが23日、分かった。憲法15条で選挙権は「(日本)国民固有の権利」とされる中、同条例を根拠に住民投票の資格を外国籍の住民に与える自治体が出ている。自民党は、外国人参政権の“代替制度”として利用される懸念があるとして全国調査に乗り出した。
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なぜ参政権を与えてはいけないのかは前回私も書きました。これ絶対ダメって自民党が地方に通達出したそうだ。天草市間に合った!?
前回自民党の天草市議は何やってんだって私は怒ってましたが、さすがに動いてくれるでしょう。
保守系議員は気づかないまま左派の組織的工作に乗ってしまうことがあると記事にも書いてある。
これでも見過ごしたらね・・・許せませんよ。

天草市の方以下の二点だけでも覚えて意識してください。
自民党提言の中身(重要なので以前の記事と重複します)
・自治基本条例を「最高規範」とする自治体の例を挙げ、「法律に基づき制定される条例に最高規範はない」と強調。
・たとえ住民投票でさえも外国人に投票権を与えてはならない。
(曖昧な表現をさけ確実に外国人への投票権はいかなる条件でも付与しないと明記しなければならない)
この二つ絶対今の条例案から変更してもらわないといけません。

外国人に条件付きも含めるとすでに30の自治体が権利を与えているそうだ。最高規範と記述している自治体は今年だけでも4月までに16の自治体が制定してるとの記事。
こんな恥ずかしい自治体に天草市はならないで!

自民党行動が遅いって。天草市の保守の方々、ここ頑張る所ですよ。これ以上左向きになってはダメ。
自分の故郷に誇りを持って自分達で自分の故郷は守るのです。
  


Posted by hirok○ at 00:11Comments(2)休題、その他なんでも

2014年06月13日

食事は体の栄養、読書は心の栄養

こんにちは!
はじめましての人ははじめまして!

昨日は熊本環境保全協議会設立20周年記念式典に参加してきました。
辛坊治郎さんの講演会があったからです。

辛抱さんクラスの講演会ってなかなか熊本では聞けないなと思ってこれは行かないとなって思って参加致しました。

式典自体は熊本の有名地場産業の社長さんたちや蒲島知事やくまモンまで来場してて会場も500名だったかな?!超満員でございました。熊本の環境保全活動も素晴らしいですね!



辛抱さんのお話もとてもおもしろく、当たり前ですがとてもお話がうまいw

テレビでは言えないお話とかブログとかに書かないでねって言われてたことはもちろん書きませんがwテレビ見てて知りたかったこととか結構暴露話もされてました。

名前も伏せるとかおっしゃりながら最後にはきちんと落ちとして名前を出されるのはほんと面白かったですね。

そして一番聞きたかったのはたぶんみなさんあの海難事故のお話だったと思いますが、そのお話もたっぷりされました。あの事故で生き残れたのには辛抱さんにとってたくさんの偶然の奇跡があったようだ。

緊急用のGPSや衛生携帯をスタッフが用意してくれてなかったら・・・
海上自衛隊の飛行艇パイロットが嵐の中着水を試みてくれなかったら・・・
その着水でエンジン一つに海水を被り故障して今も整備に入っているそうだ。その飛行艇の活動飛行範囲もぎりぎりだったらしい。

割愛しますがその他たくさんの奇跡が重なって今生きていると。

偶然の奇跡と書いたが、辛抱さんは奇跡という不確定な言葉は使われない。今回伝えやすく書いただけで実はこの奇跡と思っていることはすべてそれに関わる人の意志がそこにあったからだとおっしゃった。

もちろん直接動いてくれた方々はそうですが、いろんな船の設備だったり、飛行艇だったりを作った人や開発した人は知り合いではない。でもそういう方がいたから目にみえない人の存在もそこで実感できたそうだ。

辛抱さんを助けたUS2という飛行艇は荒波の中離着陸が出来る救助艇でそれが出来るのは世界中探しても日本にしかない。日本以外の国だったらお亡くなりになられてた。それが実状。

そしてそれはもちろんのこと日本国民の税金で運営されている飛行艇だ。

こういうことから心の底から辛抱さんは『この国の国民で良かった』との言葉が自然と出たそうだ。
今目の前にいるみなさんによって私は生かされてるということだった。

私は自分に関係する周りに見えている人たちによって生かされてるとは思ってた。でも辛抱さんの話を聞いて目に見えなくても僕を生かしてくれている人がいるんだと教えられて納得した。ほんとに生死の境を体験した人の言葉はすげぇな。

あぁそうか。

僕が生まれた日本を好きだと思う気持ちは理由ははっきりわかってなかったがそういうことなんだ。

この素晴らしいと思う日本をまた下の世代に受け継いでいかないと行けないというのが、先人から受け継いだ今を生きる人たちの使命なのだと。これを基本に間違わなければそれが正しい道だという結論をおっしゃった。

僕がわからないまま始めたこの牛深八景も最終景に進むにつれてその答えに辿り着いていた。
進む道は間違っていなかったとはっきり言葉で後押しされたような気がしてとても心がすっきりした。

食事は体の栄養、読書は心の栄養と言われていて、題名に使用しましたがここに講演会も心の栄養だなと付け加えたいと思います。

そして人だかりの中エレベーターに乗られる辛抱さんにお話ありがとうございましたと伝え握手をしてもらえました。本持って行ったらサインしてもらえてたなと少し心残り。でもとても嬉しく有意義な時間でございました。ありがとうございました。


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芸能人つながりということでw
熊日さんからいただきました。


AKB総選挙が巷では騒がれておりましたが、個人的にはよくわかりません。

ですがこのコは熊本出身で熊日のマスコットになられているので県民として応援しないわけにはいかないでしょうね。
今回の順位を調べてみましたが残念ながら圏外だったそうで来年こそはランクイン出来るように熊本県民総出で応援出来たらいいですね!

ちなみに牛深出身からはAKB系に入ってるコはいないのかな?牛深出身のコが出ましたら教えて下さいね!



  


Posted by hirok○ at 03:18Comments(2)休題、その他なんでも

2014年05月10日

完全金刃比羅神社マニュアル-改訂版-

前回の続きです。前回はこちら

こんにちは!
はじめましての人ははじめまして!

神様の活動時間は夜中なので神様にお会いしたいときは夜中に!なんて、そんなこと言っても前回書いたことがあるとなんかちょっと恐ろしかったりしますねw

舟津郷の金刃比羅神社(上写真)の漢字が間違ってるのではないかとモヤモヤしてて、個人的に気持ちが塞いでしまった事と他の事も重なってすべての調子が悪くなった。

解決出来るかわからないけれど、熊本の琴平神社に行こう!と突然思い立ち行って来ました。

熊本では古くから「一に清正公、二に高橋稲荷、三が別所のこんぴらさん」といわれている神社だそうだ。
参道を通り、お清めをすると穢れが流され少し気持ちが楽になった。

おみくじを引くと末吉で、書いてあることが当たっていて神様はほんとよく見てらっしゃるなっていつも思う。
今は我慢の時期、焦って自己を見失うなとのお言葉にほんと救われる。


絵馬やお守りと大漁祈願をお受けしてきた。絵馬は後日奉納させていただくのでしっかり書き込み致します。

そしてありがたいことに突然の参拝であるのにも関わらず宮司さまとお話することが出来た。いろいろお話していただき本当にありがとうございました。

結論から言いますと、『金刃比羅』で大丈夫だそうだ。漢字自体はどこの神社も当て字であり、漢字が入ってくる前はもちろん古代文字など漢字ですらなかっただろうとのこと。

牛深に創建された祭司がその当て字にしたのであればそれで間違いではないとのこと。

あ~良かった。

確かに言われてみれば、こんぴらさんとか愛称まであるし表記が違っても長い年月ご神体は変わらず同じ神様を祀っていると思った。

熊本の琴平神社もいろいろと変遷があったそうだ。拝殿の中まで案内してくださりご説明を頂いた。


その場所場所によって変遷経緯はあるだろう。牛深ではそれを語り継げなくなってわからなくなっただけだ。語り継げなくはなったけど、文字でしっかり残してくれてたんだな。

そして金刃比羅神社として長い間信仰してきた。だったら今からわざわざ変える必要もない、むしろ変えてはいけないと思った。

今更ですが、以前の鳥居が昭和30年台に出来たかどうかも推測でしか無かった。しかもその鳥居が仮にその時代だとしても、その鳥居の前の鳥居もそう書いてあったかも知れない。悪い方に想像しすぎてましたね。

ほんとに実際は当時間違えたのかもしれません。でも牛深だけ金刃比羅という漢字を使ったことは逆に言えば、日本一の漁港としての他とは違うんだという意思表示であったのかもしれないな、笑。

とか思うとなんかいじらしくて素敵。

〈崇徳天皇について追記〉
前回の記事で明治天皇が即位する前日に崇徳天皇は京都にお戻りになられたと書いた。
そして大政奉還、王政復古の大号令で朝廷に政治権力が戻った。この時点で残った者が作り出してきた崇徳天皇の怨霊は消えたものと考えられてもいいのではないか。それだけ恐ろしい影響力を持つ神様を味方につけたらこんなに頼もしいことはないというのが今でも祀られている理由でもあると聞く。

そして現在祇園で崇徳天皇の恋人だと呼ばれる方がいらっしゃるそうだ。
崇徳天皇の御廟の近くでお茶屋の女将をされているとのこと。崇徳天皇の本を読んでみると、自分の事のように昔を懐かしみ自然と涙がこぼれたそうだ。それ以後度々崇徳天皇は枕元に立たれ会話をされ、崇徳天皇のお気持ちを現代に伝える代弁者の役割を果たされている。その女将さんは言う。
『もう怨霊は取れてるんですわ。いい神さんになってはるから』と。

これにて崇徳天皇の逆鱗に触れた説は自己完全否定いたします。

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浮世絵が好きで東海道五十三次をよく見てた。その中にもこんぴら参りは描かれている。
江戸時代にはお伊勢参りと同じくこんぴら参りが日本中を一世風靡したと聞く。
初めて熊本の琴平神社にお参りに行きましたがとてもいいものだなと思った。


偶然幸運にも祭日で国旗が掲揚してあった。

鮮やかな緑と立派な拝殿とたなびく日の丸。
差し掛かっていた雲が晴れていくのが見えた。日本人で良かったと心から思った。










  


Posted by hirok○ at 04:56Comments(0)休題、その他なんでも

2014年05月08日

完全金刃比羅神社マニュアル

今回は舟津郷金刃比羅(ことひら)神社、いわゆるこんぴらさんについて調べたものをまとめようと思います。

以前八景で恵美須神社を描いたときにこの金刃比羅神社についても書こうとしてましたがあのときまとめないで良かったと今思っています。あのとき書こうとしてたことと今になって書こうとしていることは全くの正反対になってしまったからです。

こんにちは!
はじめましての人ははじめまして!

今回のまとめのテーマは地元牛深でも議論になっていると聞く『金刀比羅』か『金刃比羅』か(刀か刃の違い)についてである。ちょっと長くなりそうなので特に伝えたく重要なのは後半の結論ですので、前半は飛ばしてもらって構いません。ご興味あられる方は時間つぶしにでも使って読んでやってください。

この議論が出たのは近年恵美須神社と同じくこの金刃比羅神社も鳥居を新しくされたときのことだ。元あった鳥居の表札にこう彫ってありそれと全く同じ文字を彫ったということだった。(この文字は境内裏に保管してある)
全国には大小約600社ある神社であるわけですが、私がネットで調べた範囲で申し訳ないのですがこの牛深の『刃』を使っている神社は全国他に一社も見つけることができなかった。崎津の金刀比羅神社に行った時も確認したら『刀』だった。もしかしたら天草では『刃』を使ったのかな?という仮説を立ててみたもののすぐ否定された。このことが私の中で、『刃』は間違いではないかという疑問に大きく影響を与えていました。

地元歴史家の方たちも『刀と刃では、漢字の意味が全くの別物なのでこれは間違い』だと主張されているのを聞いた。私も全く同じ考えだった。

それでまずこんぴらさまの総本宮を調べる事にした。
香川県仲多度郡琴平町にあり、祭神は主に大物主神崇徳天皇であります。
大物主についてはご存知の方が多いと思いますし、古事記と日本書紀において違いがありますので詳しくは書きません。簡潔に金刀比羅宮の公式から転載しますと大国主神の和魂で国造りの神様。万物をつかさどることをたたえた神名の通り、五穀豊穣や産業、文化などの繁栄と、国や人々の平安を約束してくれる神様です。特に海上交通の守り神として信仰されており、漁師、船員など海事関係者の崇敬を集めるとのこと。

そして私が特筆するのはもう一神崇徳天皇についてです。
崇徳天皇の表の歴史は語られますが裏の歴史はあまり語られません。
崇徳天皇(1119年-64年、在位1123年-42年)
1864年 700年式年祭(700回忌)に時の孝明天皇は白峯社創建を命ぜられた。
1964年 800年式年祭(800回忌)に昭和天皇は白峯御陵に勅使を差し遣いになられた。
崇徳天皇が崩御されて800年以上経った今でも鎮魂の祭祀が執り行われている。
なぜこれまで長い間御霊鎮めが行われているのかと言うのが教科書では教えない裏の歴史なのだと思う。

崇徳天皇を語るには保元の乱(1156年)を外せないのですが、ほんと長くなってしまいますのでこれも簡潔で申し訳ありません。保元の乱とは天皇方と上皇方(天皇の父、崇徳天皇の弟を天皇にしたい)に別れた皇位継承問題から発生したいわゆる兄弟げんかなのである。
その保元の乱に敗れ讃岐に流された悲劇の天皇で朝廷に恨みを持ち自ら舌を切りその血で経文に天下滅亡の呪いを書き残し憤死したと伝えられる。没後様々な怪奇現象や凶事が起こり、国家動乱も相次ぎさらには平氏政権が誕生し朝廷から政治権力が切り離された。

没後100年、200年・・・と百年祭前後3年間ごとに国家を揺るがす動乱が起こる。細くは省略いたしますが朝廷と幕府が対立したり応仁の乱だったり元寇(日本最初の外国からの戦争)だったり壇ノ浦の戦いなどなどだ。

こういう史実から崇徳天皇は怨霊として恐れられ、1864年孝明天皇は白峯社(京都)創建を命ぜられたのである。崇徳天皇は讃岐で京都に帰ることを願い続けたが叶わぬ夢であったのだが没後その神霊は700年ぶりに京都にお戻りになられたということになる。明治天皇が即位する前日の事だった。事前に崇徳天皇と朝廷が和解をしておく必要があった為だと聞いて納得した。

崇徳天皇が怨霊になったと書いたが、これは幽霊が存在するとか科学的に証明出来ない物を、そういうオカルト的な事を言っているのではありません。追い落とした者達が追い落とされた者を鎮魂しているのは矛盾していているのにも関わらず800年以上経った今でも祭祀を行っている。没後の史実が崇徳天皇に全く関係ないかも知れない。けれども朝廷に恨みを持ち朝廷の存続に関わる凶事が関係年に必ず起こった事実が恐怖心を増大させた。実際余程の恐怖心がなければここまで行われないはずで残された人々がここまで行ってきたことが崇徳天皇を怨霊に事実化させたのだ。
崇徳天皇図

そこで牛深の『金刃比羅神社』の漢字を想った。
ここからは私のほんと個人的に考えた事です。関係者に不快にさせてしまいましたらいけないと思いますので事前にお詫びいたします。申し訳ございません。ですが後に自己否定しますのでご安心ください。

舟津郷の金刃比羅神社がいつ創建されたのかは私はわかりません。今の場所には昭和になるまで道は無かった(遠見番所役人の家族のお墓があった)と思いますので違う場所にあったのか小さくてもあったのかもしれません。鳥居の劣化から見て仮に場所が下の恵美須神社と同時期に立てられたとすると昭和36年、この時代は牛深のいわし漁業繁栄期。今までこのブログで書いてきたように日本一の漁港とまで謳われた牛深漁港がこの時期を境に衰退を始める。現在の牛深の衰退は当時の方がこの漢字を間違えて創建してしまった為崇徳天皇の逆鱗に触れたのではないかと思った。

これは一刻も早く文字の修正を行わないといけないと考えた。
幸いにも私は以前少し書いたことがあるが、こういう看板や標識いわゆるサイン関係の仕事に関わっているのでわかるのですが、文字の表示面をすべて変えることになるとそれはそれで費用がかかる。今回は『刃』を『刀』に変えるというか『、』を埋めればいいだけなのでこういう修正は同素材の石の削り粉を接着剤と練り合わせ埋めるやり方がある。これはほんとに作業代程度でほんと安く補修することが出来る。ここまで考えて区長さんへ提案をしようとまで考えてた。

これをやらないと牛深の復興はありえないとさえ思った。こういうことで流れが一気に変わり繁栄することがよくあるということはみなさんご存知のことだと思う。

と、ここまでが以前私が書こうとしてたことでした。
ですが繰り返しますが結論を出すのはもう少し待ってください。
一回で全部書くつもりでしたが思いのほか時間がかかってしまいましたのでこの続きはまた次回後半に致します。後半で完全否定いたしますので再度書きますがご安心を。

続きは→こちら





  


Posted by hirok○ at 06:17Comments(0)休題、その他なんでも

2014年05月02日

みんなだいすき牛深小学校!

こんにちは!
はじめましての人ははじめまして!

今回は牛深小学校についてまとめます。

簡単な歴史については先日の旧牛深小閉校のときの市報に載っておりましたので、ご覧になられた方もいらっしゃると思います。今回その始めの部分について私の持っている史誌より抜粋いたします。最近の歴史については省略いたします。

学制がしかれる前の牛深の学習施設は、『硯寿堂』(加世浦区)と『秀月庵』(真浦区)が主な寺子屋私塾だったとのこと。

硯寿堂、秀月庵共に長崎から支配を受け牛深村遠見番役人が教えていた。

明治八年(1875年)
公立牛深小学校設立。場所は観音庵(寺子屋)を借りる。番地は鬼塚一九一七となっているので今より少し街寄りでしょう。

明治十五年(1882年)に船津に牛小分校を新築。これを潮西小学校と称し、本校を潮東小学校と呼んだ。

同年、天附に潮東小の分教室を設置。

翌十六年、須口に潮東小分校設置、茂串に潮西小分校設置。

明治二十年(1887年)潮東小敷地に潮西小が移設され牛深小学校となる。
第一回卒業生は男子十六名、女子一名。計十七名だったそうだ。これが牛深小の始まりだ。

天附小はその後明治二十二年に独立した。
このことでわかるように、今年天附小は廃校になり新牛小に統合されましたが、天附の子供たち悲しがらないで大丈夫。もともと牛小だったのだから『母校さようなら』ではなく、『母校ただいま』なのである。

牛小先輩から一言言わせて
『天附の子供たち、おかえり(^^) そして二浦、魚貫の子供たち歓迎ようこそ!』


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先日の新牛深小開校式のとき教室を見て回ってたら、廊下に人文字の航空写真が並べてあった。

一番最初の写真は平成元年の写真だった。


これには私も並んだのを記憶していますがどこにいたのかは忘れてしまってました。どこだったかなぁ?
でも懐かしかった。


この写真でも写っているように、牛小の象徴といえば2本のせんだんの木でしょう。
この歴史については説明板が根本に設置してあったので一部転載します。

『明治三十三年(1900年)に当時の地元区長らにより校庭に植樹されたもので、当時は5㌢ほどの大きさでした』とのこと。

あのせんだんの木は114歳なのか。

まだまだ長生きして欲しいですね!
せんだんの木の絵を描こうと思ってましたが、見事な枝の広がり具合に時間がかかりすぎて今回は断念いたしました。

なので新牛小開校初日の記念日に撮影した写真を載せまして終わりにいたします。

これからも子供たちを見守ってね!おしまい!



  


Posted by hirok○ at 05:01Comments(3)休題、その他なんでも

2014年04月21日

ハイヤを好きな人に悪い人はいない!

こんにちは!
はじめましての人ははじめまして!

牛深ハイヤ祭り行って来ましたよ!今回は新幹線に乗ってみたくて初めて新幹線で牛深帰ってみましたが、これおすすめ。新幹線の早いこと早いことwびっくりだ。しかも三和商船さんのフェリーも快適で牛深に近づくにつれてハイヤ大橋の壮大さが増していってこんな景色他にどこ行ったら見れるんだ?って改めてすげぇってなりました。

牛深に行ったことがない市外の方はこのフェリーで行かれると最高に牛深を感じることができると思う。これもっと牛深でも押したほうがいいと思いました。

ハイヤブログ書く予定ではありませんでしたが、なんかみなさんのハイヤ写真見てたら思い出して楽しくなっちゃってアップしたくなっちゃいましたw

ハイヤについてもいつか書く予定ですので今歴史についてはまとめません。
さてさて、写真出しますよ!楽しくいきましょ!

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(写真掲載許可とるのは無理ですのでやめてほしい方はコメントでもいいのでどの写真か言ってもらえたら差し替え対応か削除対応致します。その他画像は掲載上低画質になっております、高画質が欲しいと思われる方がいらっしゃればお送りいたします。)

私もたくさん写真は撮ってるのですが総合センターのハイヤの写真も撮っておりますのでそちらからお見せします。いろんなハイヤの雰囲気伝えたいですしね!ハイヤ通りの野外ハイヤ以外にもチケット買わないといけませんが室内のハイヤもいいんですよね。それだけの価値があるって思うおすすめです。


ロックハイヤ曲も照明もちょうカッコヨス。すべてのハイヤ祭りがこの曲にて始まり会場を一気に熱くします。
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牛高郷芸部。踊り手は今3人らしくて残念だって思ってたら、今年の新入生がたくさん入ってくれたそうだ。まだ舞台で踊れる状態ではないそうで大勢のハイヤではありませんでしたが踊りは最高でした。惚れ惚れいたします。
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これが元ハイヤといい今のハイヤ節の原型ですね。これが全国に広がった一番大事なのは言うまでもないですね。
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天草市役所の方々。お笑い担当!?なのかな!?ストーリー仕立てなのか笑わせてもらいましたw真ん中の方は牛深の嫁貰いの樽持ちさんでした。お顔は写ってませんがもち女装ですよw
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ここから2日目の夜。夜の野外総踊りは3年ぶりだとか。市役所の花車は恵美須さま。
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今年のハイヤ娘さん。べっぴんさんでした。
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オバマさんも来てましたwあれ?来日来週じゃありませんでした!?www
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カメラに向かってポーズとってくれたり笑顔くれたり撮ってる方も楽しくなっちゃう。
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くまモンクオリティにワロタwww写真で見てみると中に入ってるのは女性なのかな!?
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3日目です。中村五木新市長さん!市議会議長さんも牛深からの議長さんになったそうだ。牛深をバックアップするのにこれ以上ない最高の布陣がそろったとおっしゃってました。期待しております。
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沖縄からもお越しいただいてありがとございます。太鼓お見事でした!また来年も来てね!
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婦人会のみなさま。黄色の着物が目を惹きます。偶然おもしろい構図でしたのでアップ。
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私も写真はたくさん撮ってるのですが最後はやはり牛高郷芸部ですね!
これは通常踊っているものではなく、途中数カ所でだけ特別に踊る踊り。ここで踊るって知ってたらもっといい場所から撮ってたのにーw
でも楽しそうでなによりです。牛高の子達はとても素晴らしいことをしてるなと心から思います。大事にしてくれてありがとうね。これからも誇りを持ってみんなで助けあってハイヤを温めて欲しいです。頑張れ!



  


Posted by hirok○ at 04:24Comments(4)休題、その他なんでも

2014年04月11日

どこよりも早い新牛小校歌!


牛深小の子供たちは将来の牛深の宝である。

ということでお祝いに行って来ました!

天草市立牛深小学校 開校式へ。

閉校のことで今まで色々と書いてきましたが、それは子供たちにとっては関係ないことで大人が考えること。
子供たちには明るい希望を持ってもらいたいのでこれ以上はそのことには触れません。

新牛深小学校についてはこれより全面的に応援いたします。
ずいぶん久しぶりに校舎に入ってみると、老朽化のためすべて新しく建て替わっておりました。学校に入れる機会もないので色んな所回って写真撮ってもいいですかと校長先生に尋ねた所、ぜひいろんな人に見せてもらいたいので歓迎しますとのことでした。

今の校長先生は私の在籍中にも牛深にいらっしゃってもちろん存じております。私の兄弟が教わっていたりしてました。

校長先生の学校に対する想いもお話を伺うことが出来てとても嬉しく思いました。

校章や校歌も新しく変わりました。

校歌もどうやって作ろうとなった時に、牛深のことを大事に思ってくださる方にお願いしたかったということで作詞は椙山範夫先生。牛深小にもいらっしゃった国語の先生、県の国語科目の権威で現在熊本市の小学校の校長先生をされているそうです。
作曲は田尻洋一先生。先生が新任の頃!?なのかな、私の母はママさんコーラスでお世話になっておりました音楽の先生です。
私も知っている先生方でこちらも嬉しく思いました。

私が言うのは大変おこがましいのですが、歌詞もメロディも素晴らしいです。そして覚えやすい!
開校式ということで今回公では初の斉唱だったと思います。もったいぶってもしょうがないのでぜひみなさんにも覚えてもらいたいですし、動画に載せます。↓こちらです



ね、すごいいい校歌でしょ。私大好きになりました。
繰り返す部分、みんな、みんなは(僕も私も)牛深の子ども~♪

そう。歌っているこの子たちは『牛深』の子供なのです。この子たちが牛深の将来を作るんですよ!郷土愛を育ませる事を表す、こことっても重要!だから繰り返す。私この歌詞大好き。そしてメロディも大好き。

校章はこちら


牛深の海の青、波、イカリ。
牛深を表していますね!風になびく校旗が気持ちいい!


*.♪★*・゜・*♪*.♪★*・゜*.♪★*・゜・*♪*.♪★*・゜*.♪★*・゜・*♪*.

こんにちわ!
はじめましての人ははじめまして!

前半書いた事でお分かりのようにほんとに開校式参加して良かったとの想いです。

開校式のあといろいろ学校の欲しい資料も集まりました。その詳しい牛深小学校の歴史はまとめて次回にでもアップします。そちらはお楽しみに!

で、なんですが今回の開校式で気になったこと書くか書かないか迷ったんですけど誰か書かないといけないよなって思いまして私書きます。

個人的には許せないなって事でしたので。
まず見ていただきたいのはこちら↓


うーん。通常必ずあるあれがない。
お気付きでしょうか?

国歌斉唱
がない。


これはいけない。どこの国の小学校だよ。

通常『君が代』とは、文科省の学習指導要領により決められていて学校行事では歌われているのはみなさん周知の事実でしょう。

『国歌「君が代」は、日本国憲法の下において、日本国民の総意に基づき天皇を日本国及び日本国民統合の象徴とする我が国の末永い繁栄と平和を祈念した歌』であるので指導要領にて教えなければならないと定められている。

この規定の中で『入学式や卒業式』と書かれている。開校式なんてそうそうないのはわかる。そんなこと想定してはいないけど、じゃあ書かれていないから歌わないの?書いていない運動会で歌わないですか?おかしいでしょ。
むしろ開校式はその学校の歴史でわかりきった話一回しか行われない。毎年ある入学式とは比べ物にならないくらい大事なのは誰でもわかることでしょう。

はっきり言いますよ。
天草は実はかなりの左向きなんです。
みなさん気がついてました?

名誉のために書いておきますと、校長先生はしっかりとした保守の方だとお話お伺いして感じました。

おそらく行政側に問題があるんでしょう。
この開校式にも一般の方の座席もたくさん用意してありました。
来場されてる一般の方があまりにも少なくて酷いので何名とか数字では言いませんよ。それぐらい少ない数。

これはみなさんご存知無かったというのが一番の理由だと思う。いらっしゃらなかった方を責めてるわけではありません。
これはですね、行政が『本日、新しくなった牛深小学校開校式が行われます』って告知を防災無線で流さないといけなかったレベルなんですよ。

みなさんでお祝いしましょうって言わないといけないでしょう。

この観点で言うと、全校生徒分の紅白まんじゅうまたは赤飯などを用意して子供たちに配布しないといけなかったのですがこれは私も誰かしてるだろうと人任せにしてしまって用意してませんでした。子供たち申し訳ない。

私も用意出来なかったので私にももちろん責任ありますけど、地元企業さんどうしました!?以前は地域でこういうのしっかりやってたじゃないですか。

ごめんね子供たち、私も考えが足りてなかった。お恥ずかしい。


そして個人的に思う校歌の素晴らしい点
1番。海、波-あの島超えて-広く広く

2番。遠見-山超えて-高く高く

3番。ハイヤで手をつないで未来を作る-前へ前へ

このつながり。

国語の先生に文法的なことを私が言えることは絶対ありません。それ以外で2点だけ言わせてください。
遠見山、ハイヤと具体的に名前が入っていた。これは個人的にとても嬉しい。
あとひとつ入れてもらいたかったことは1番の『あの島』を具体的な島の名前にして欲しかった。
もちろん牛深には以前のブログにも書いた『龍仙島』がある。牛深の船も外国船もこの龍仙島の横を通っていた。これは国の天然記念物である牛深の宝だ。

文字数が合いにくいのであれば片島で大丈夫でしょう。歴史的に見ても海文化からみてもこれは大事なことだ。

そしてこれは歴史とは関係なく気になること。
それは歌詞に『子ども』と書いてあることだ。

この表記の仕方で数年前まで随分全国的に問題になっていたのはみなさんご存知でしょう。この問題には昨年決着が付いている。

昨年文科省は『こども』表記を漢字に統一しました。理由は省略しますご興味ある方はそれぞれ調べられてください。今では漢字表記がどこでも当たり前になっています。

この『子ども』表記は左の思想です。

ここまで左左言ってたら心配になる方もいらっしゃると思いますので、もちろん牛小での右も見つけてきましたので最後に書いて締めますよ。



正門横にこの二宮尊徳像新しく作ってありました。
薪拾いのお手伝いをしながらも勉学を怠らないという教えを表した像だ。

本来の設置の意味は『尊徳の実践した自助的な農政をモデルとすることで、自主的に国家に献身・奉公する国民の育成を目的とした統合政策の展開があった』とのこと。

これは右。
素晴らしいな。

この銅像自体で地元ではまた議論になってるという。
銅像を作ったということではなく、写真でわかると思いますが、尊徳の像がみなさん知っているポーズではないということだ。
持っている本を開いてはいないじゃないかって。歩きスマホがいけないように歩き本読みが危ないからいけないという反対に合うからこういう姿になっている。

これについてはご説明をさせていただきます。
このポーズがどうして生まれたのかと言いますと元は「大学の書を懐にして、途中歩みなから是を誦し、少も怠らず。」という記述によります。
お分かりのように、懐にしてという言葉が本を胸の前に持ってきているのか脇に挟んでいるのか実はわからないのである。
正式見解でもわかっていない。途中歩きながら開いたりもしてるとは思われるけどこの銅像でも間違いではないと思います。

この銅像があるだけで素晴らしいと思います。











  


Posted by hirok○ at 03:20Comments(0)休題、その他なんでも

2014年02月28日

くまモンはなぜ流行るのか

こんにちわ!
はじめましての人ははじめまして!



昨年末このくまモン画像を描いてこれ作って欲しいとツイッターでつぶやきました。

しばらくして携帯を見るとメールが数十件来てたので、何かあったのかと思ったら公式くまモンがリツイートしててそれを見たフォロワーが私のTwitterをフォローしたりお気に入りにしたりしましたよのメールだった、笑。

1日で2418人も閲覧者がいた。くまモンやりますね。これやられたら嬉しいでしょ誰でも。人の心を掴むのもうまいわけか。




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くまモン絵描き歌を作るということで全国で募集があった。
408通もの応募があったそうだ。

かく言う私も応募してたわけですが、もちろんこんなに多かったら無理でしょう。
まぁこういうコンテストは選ぶ人によりけりというのはわかってますので。

最優秀に選ばれた人のはきれいにまとまっててお上手でした。

落選ですが、私のお見せしますよw


上が低学年バージョンで下が高学年バージョンです。



ここで天草のPRも入れたくて半ば無理やりw入れてみたのですがw

でも決まったのと比べるとそこそこ良い所ついてた気がします。
落選してもこういうの考えるのはほんと楽しいですね。

天草の方でも応募された方いらっしゃるのでは!?
決定したのはこちらです→コロンビアレコードHP



あ、それとHirokのホームページが出来ましたので宣伝兼ねてここにリンク貼りまーす。お遊びイラスト等いろいろ画像載せれるものも載せてます気になる方は見てくださいね!

こちら↓





HPお持ちの方で相互リンクして頂ける方探してます。相互リンクしましょ!天草を盛り上げるためにね!


  


Posted by hirok○ at 03:59Comments(0)休題、その他なんでも

2014年02月10日

『崎津集落の世界遺産』が天草を変える。

こんにちわ!
はじめましての人ははじめまして!

『絵画というものはそれを描いた画家の魂の叫びだ』と人生の大先輩が私におっしゃった。

その方のお父様が絵を描かれていて常日頃熱くそういう風に語っていたそうだ。

ほんとにそうなんですよ!!と普段私生活では熱い気持ちを表に出さないでいる私は、わかってもらえる方が身近にいらっしゃったので嬉しく胸が熱くなってしまった。

先日RKK熊本放送と天草市の共催で『天草市世界遺産登録推進ポスターコンクール』というものが開催された。
文字通り世界遺産登録を推進する為に引いては世界に天草をアピールするためにそのポスターを考えてほしいとの事だった。

現地へ期間中ニ度通い歴史も調べ勉強した。
そして今回二つの作品を応募した。その結果が届いた。


私の作品は入選だった。

良い賞でないのはわかっている。
天草市への私の想いは片思いが多く、今回両思いまでは行かないまでも少しだけでも私に目配せをしてくれたことに素直に嬉しかった。天草市に感謝の気持ちです。ありがとうございます。

2/8には本渡でも世界遺産講演がありその場所でもそのポスターコンクール作品は展示されたそうだ。

熊本では2/15日から2/24日まで上通り入り口のびぷれす熊日会館7階で展示されるそうだ。

以前作成した崎津世界遺産紹介動画→こちら


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『絵画というものはそれを描いた画家の魂の叫びだ』

その魂をのせるというのは単に本人がのせたいと思ってもなかなかできるものではなく、そこにはいろんな因子が万全の状態の時にしか訪れない奇跡の一瞬なんだと感じている。
その絵画のモチーフに対する想いや表現技術、描く時の心のあり方や物理的な環境などなどでしょうか。

なかなかそれらすべてが同時期に最高レベルに達することはなかなかない。

実は初めて私はそれを経験することになった。それがこのポスターコンクールだった。

繰り返しますが良い賞でないのはわかっている。
ですがこれは私が初めて経験した胸を張って言える今の私の最高傑作だ。多くの方に見ていただきたいのです。(クリックにて拡大)


世界を意識し『和』を強調をするための浮世絵。歌川広重や巴水が現代にいて現地を訪れたらどのように崎津を描くだろうと想像して描いた。

その風景は日本家屋と洋風建築が重なる教会で崎津集落を表す。

『ただ秘めよ』という北原白秋が崎津の女性を詠った歌があるので天草はこれを使わない手はない。
この宗教弾圧の歴史を逆手に取って世界遺産にするため秘密になんかしたくない!というメッセージとその女性像。

世界にアピールするため年号は平成ではなく西暦をあえて使用。日本が世界と対等に渡り合うため当時の政府が断腸の想いで採用した西暦。増してやキリスト教の世界遺産でキリストの生まれたとされる年の翌年を元年とした西暦を使わずして何を使うというものか。

などなどまだまだ有りますがそういうメッセージをデザインにたくさん散りばめた。

日本の歴史の日本人の想いと、天草四郎はじめ弾圧で苦しんだ隠れキリシタンの方々の想いと、もちろん天草の方々の想いとそして私の天草を想う気持ちそのすべてをありったけこの中に詰め込んだ。この気持に一点の曇りもない。


そしてもう一つの作品。(クリックにて拡大)


最初のが個性が強すぎる場合の2作品目はさらっとしたかんじに仕上げたつもりですが想いは同じ分だけ込めています。

自画自賛カッコ悪いとお思いかも知れません。
ですが私は、この二つの作品が、私の今まで生きてきた証であり、私の今までの人生のすべてを初めてのせることが出来た作品であって胸張って自分で素晴らしいと言いたいのです。

私の天草の事を思う気持ちはこのコンテストに応募した方の中では一番大きかったと自信を持っている。


そして報告ついでに、12月実家帰省中に描いた油絵で『天草を描く』という天草市の絵画展に応募していたのですがそちらでは入選を、恐れ多くも賞金まで頂きましたのでこちらでご報告し再度天草市へ感謝申し上げたいと思います。
天草市の方々選考関係者のみなさま、本当にありがとうございました。

こちらの作品は牛深での展示を終え、本渡でも2月19日から23日まで展示されるそうです。
ご興味があられる方がもしいらっしゃれば私の天草への想い見てやってください。















  


Posted by hirok○ at 02:03Comments(5)休題、その他なんでも

2014年01月24日

すべての天草市民に見てもらいたい自治基本条例案2


こんにちわ!
はじめましての人ははじめまして!

昨年天草市自治基本条例について危険な点を幾つか書いた。
前回の記事を読まれてない方は→こちらから

その後調べてわかったことは、今の憲法学者のほとんどが左翼思想にあるらしい。
「基本的人権の尊重」とか「戦争放棄」とか「男女平等」とかに特化して一生懸命研究しようなんて思うのは、そういう方々しかいないとある憲法学者がおっしゃってた。

憲法学者と言われる方々が憲法を勉強していない国民に説明すると全部信じてしまうから国民を洗脳するのに手っ取り早いらしい。


天草にもこういう条例案ができるわけだと
確かにその主張に納得できた。

※こういう風に書くと戦争容認か?とか軍国主義か?とか言われたりするので誤解無いように一言だけ書いておきますがすべての憲法学者が右も左も平和主義であり、軍国主義に反対です。私も同じく。

憲法学者が作った自治法案なら間違いないだろうって私も、そして天草市民のほとんどの方が思っていただろう。

これを機会に「憲法学者にも右や左があり、その法案を作る方がどの立ち位置に居るのか知った上でその法案に興味を持ち目を通す必要がある」ということを覚えて置かないといけないなぁと思いました。

そして以下が重要です↓ここを読んでいただきたい。
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1月18日の産経新聞に『中高生のための国民の憲法講座』第29講という題名で憲法学者八木秀次先生の記事があって天草市基本自治条例にも関係することが書いてあったので 転載いたします。立ち位置はもちろん保守憲法学者の方です。


↓↓↓↓↓↓以下産経新聞より転載です↓↓↓↓↓↓
【前回は、近代の国家は「国民国家」という性格を持ち、「国民」全員が国防の任を負うこと、そのため各国の憲法には「国防の義務」の規定があるが、日本国憲法にはなく、近代国家の憲法としては異例であることを指摘しました。

ただ、我が国も近代国民国家であることには違いなく、憲法に明文上の規定はなくとも日本国民には「国防の義務」があると考えるべきです。
「国民」が国防の義務を負うことは個々の国民の好むと好まざるとに関わらないことです。

例えば、我が国には歴史的経緯から数多くの韓国籍の人が住んでいます。在日韓国人です。
彼らの多くは日本で生まれ育ち、交友関係や生活の基盤も日本にあり、韓国への帰属意識は薄く、韓国語はできず、日本語を母語としています。
文化的には日本人と変わらず、国籍だけが韓国にあるという存在です。
そこから在日韓国人に日本の参政権を与えてはどうかという主張があり、彼らの団体もそれを強く求めています。
 
しかし、在日韓国人の国籍は韓国にあります。大韓民国の国民であり、韓国の「国防の義務」を負う存在です。
韓国の憲法が「すべて国民は、法律の定めるところにより、国防の義務を負う」(第39条)と規定しているからです。

韓国は徴兵制を採用してもいます。現在のところ、韓国の国内法で徴兵の対象は韓国の国内に住民登録をしている者のみとし、
在日韓国人を除外していますが、憲法では「国防の義務」はあり、国内法が変更されれば徴兵の対象となります。
要するに在日韓国人は韓国の「潜在的な兵士」なのです。

これは韓国籍の人に限りません。中国籍など他の外国人も同様です。ある国に国籍を有するということは、
その国の「国防の義務」を負う存在ということであり、その国の「潜在的兵士」という性格を持つということなのです。
その「潜在的兵士」である外国籍の人に、我が国の国家意思の形成に参画する権利(参政権)を賦与(ふよ)することは論理的に成り立たないことです。

地方参政権ならいいではないかという意見もありますが、地方自治は国家行政の一部を担ったもので、
その意思形成にやはり外国の「潜在的兵士」を参画させることは主権国家として論理的にできないことです。

これは外国人を排除する「排外主義」とは無関係です。民族差別でもありません。
近代の「国民国家」の性質として、それぞれの国の国民が「国防の義務」を負う存在であることから来る当然の帰結です。

もちろん、日本国籍を取得すれば、出身民族に関係なく、地方のみならず国政の参政権も得られます。
現に日本国籍取得後に国会議員や国務大臣になった人もいます。

外国人参政権という主張が生じるのも憲法に「国防の義務」の規定がなく、国民に自覚がないためといえるでしょう。】

↑↑↑↑↑↑ここまで↑↑↑↑↑↑

これぞ正論ですね。

日本人みんなが当たり前に知っておかないといけないことであるのにも関わらずほとんどの方が知らない。
私の前回の主張の文章力がお粗末過ぎて申し訳ありませんでした。その理由までこんなにわかりやすくそして無駄がなく説明してあって最高に素晴らしいと思いました。こういう風に書かないといけなかったんだな、お恥ずかしい限り。

天草自治基本条例では外国人参政権を明確に付与しないと規定してもらわないといけません。付与しないと記載できないのであれば、国政参政権に準じるという自民党の提言に習う(国政に外国人参政権が認められることはおそらくあるはずがないので実質上付与しないのと同じ)。このどちらかしか無い。

重要なので繰り返します。
外国人を差別排除する「排外主義」ではありません。日本の天草の、天草の人のための条例なのでその天草市民の方たちに不利になる恐れがあるものを避けるのは当たり前のことであり、これが国に対する地方の役目でも有りそして、しっかりと自分たちで判断して決めるんだという意志を見せましょう。

  


Posted by hirok○ at 19:40Comments(2)休題、その他なんでも

2014年01月04日

ついに崎津集落の動画が完成!?

遅くなりましたが、
新年明けましておめでとうございます。

大漁旗を掲げる牛深の船団の写真を見せていただきありがとうございました。

たまたま牛深に行った私の知人は実際のその場面を見て驚いて感動したそうだ。
来年のお正月は牛深にいようかなと思った。

ということでわかるように、年末熊本に帰ってきました。というのも初詣に行くためなのですが、
年明けてすぐ私が参拝した神社『熊本大神宮』をご紹介します。

熊本の人は隣に熊本城稲荷神社や加藤神社が近くにあるので知ってる方しか行かない神社です。
この熊本大神宮は別名熊本のお伊勢さんと呼ばれているのをご存知でしょうか?
ブログ用にパチリ
熊本大神宮

奥の電気が光ってるところが熊本城稲荷神社ですね。

お伊勢さんということでわかるように、祭られてるのは『天照大御神と豊受大神』です。
日本神道の最高神は熊本ではここにいらっしゃいます。ご自宅の神棚用の天照大御神の御札みなさんお持ちですよね?
その御札は伊勢神宮からこちらに来て、ここから熊本全域に配られております。
来年は末端の神社に配られる前にここ熊本大神宮でお求めになられてみてはどうでしょうか?おすすめです。

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こんにちは!
はじめましての人ははじめまして!

今回崎津をいろいろ回ってみて世界遺産にっていうPR動画を作りました。



正直言いまして3日間しか掛けなかったのでそれぐらいのクオリティなのですけど、個人的には満足してます。
天草の人に見てもらいたいかな。見てやってください。

途中出てくる、『さいのつくん』っていうゆるキャラ勝手に作りましたw
さいのつくん



崎津のことを地元では訛って『さいのつ』と呼ぶそうだ。マントに大漁旗を羽織ってます。

崎津よ。天草の輝く星になれ!

私は『天草の崎津集落』を世界遺産へ運動を応援しております。m(__)mペコリ



  


Posted by hirok○ at 01:45Comments(2)休題、その他なんでも

2013年11月24日

世界遺産は僕らをどんな未来へ連れて行ってくれるのでしょう

こんにちは!
はじめましての人ははじめまして!



この写真展が新聞博物館で行われているのは知っていて行こうと思っていたが完全に忘れていた。

一昨日の熊日に23日までとの記事があって思い出した。

何を隠そう私は新聞が大好きで時間が許せばいろんな新聞を読みたいと思っていて、熊日も誰よりもいち早く読みたいとの理由から熊日本社のとんと横のマンションに住んでいる。

まぁ、実際一番先に読めるわけではないです、笑。

冗談はさておき、隣なので早速新聞博物館に足を運んでみました。

まず崎津天主堂の歴史を写真を交え紹介されてた。

最近熱を帯びつつある世界遺産登録関連だ。キリスト教徒ではありませんが私も何度か行ったことはあります。でもその程度で詳しい知識は殆ど知りませでした。

当たり前ですが、さすが新聞社が持ってる写真というものは素晴らしいですね。魅了されました。

それともう一つの大きなテーマはハイヤ祭りについてでした。
いろいろ牛深に関する古い写真も見てきたと思っていましたが今回見たことない写真もいっぱいあった。

またまた、新聞社凄いなって思った。
さっそく実家にも電話して、あそこってこうだったの?あれってあそこにあったの?うんうんそうだよ。とか昔話に花が咲きました。

それにしてもハイヤ祭りの開催当初の人の数って言ったらものすごいですね。
写真で見るとこんなに牛深に人が集まってる、すごいなー。その時を知らないからその時代にも生きていたかったなって思いました。

これって天草でも展示はされたものなのでしょうか?
天草でも開催されればいいのになって思った。

安田市長も先月来場されてたそうですね。
世界遺産登録を目指して今、力を入れてる事の一つでしょう。
キリスト教関連施設は実は世界遺産に登録されやすいということがわかっている。まぁ、運営をしているユネスコの本部がフランスにありキリスト教圏であるということが最もな理由であろう。

狙いはとてもいいのである。

しかも先に長崎県が登録を目指していてすでに国内の推薦候補までは選定されてるものにランクアップして相乗り(笑)できた。

この際、天草には他にも多数キリスト教関連施設あるけどそこも含めてよっていうともっと遅れてしまうので私はそのことを言うのは辞めます。

天草は崎津で一点突破しましょうよ。

世界遺産に登録されれば保護はもちろん予算も付くしなんといっても観光客が世界から訪れる可能性がある。これは明るい未来の何者でもない。


今までもたくさんの有名な画家達がその崎津の港町を描いてきた。
それだけ描かれてきたのもわかる。

わくわくして私も崎津の絵を描きたくなった。

今回の写真展の企画をされた熊日さんありがとうございました。とても素晴らしかったです。


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今年の私はほんとに駆け抜けた一年だった。あっという間だった。

1月2日から描き始めを行い、1日たりとも筆を取らない日はなかった。
こんなに充実した一年は感じた事がない。もちろんこれが最高でこれ以上を目指さないなんてことは思ってもいません。

年末まで残り6つの締め切りも抱えてますが、段取り出来て年明けぐらいまでかな?期間は何週間になるか1ヶ月になるか、どれくらいになるかわかりませんが長期帰省しようと予定してます。

画材道具も一式持って行きますので牛深でたくさん絵を描けると思います。牛深八景に入れれるところもあるでしょう。その時は公開いたします。

道端でキャンバス広げてる人がいたらあいつだって笑ってやってください。決して声かけないでくださいね。恥ずかしいじゃないですか、笑。

もちろん崎津も行きます。楽しみでしょうがないのです。

それでは今回も読んでいただきありがとうございました。








  


Posted by hirok○ at 01:45Comments(5)休題、その他なんでも

2013年10月29日

絵を描くということ、そして個人的天皇論

昨日は熊本駅へ両陛下の奉迎にいきました。

新幹線乗り場まで行ってたんですけど、張り切りすぎて規制かかる前に乗り場に入ってたものだから警官ばかりでおかしいなー誰も奉迎にこないなーって思ってたらいつの間にか新幹線のレーンは民間人立入禁止になってました。

規制区域になってるのに一般人の私いる状態、笑。

途中でもちろん声をかけられて不審な活動家と間違われて職質、笑。

しばらく話してると不審者じゃないってわかってくれたみたいで、特別に車両を陛下と同じレーンで拝見するか、下でお迎えするかどちらがいい?ってなって近くで拝見したかったので下に行きますって言っても一人で行動しないでって言われて迎えの警察官が来るまで待機。

2人の警官に連れられ規制の中警官と歩く。下には規制の外で人がいっぱい。視線が痛い。
せっかくなので一番近くで見れるようにしてほしいと要望したら特別場所を用意してくれた。熊本県警ありがとうございます(TдT)そしておつかれさまでした。

私が写した写真や動画は私だけの宝物です。お見せしません。熊本駅では間違いなく私が一番最高の絵を撮れてます。

という話を友達の中で話してたら、友達の母親が見たいのに遠くて見れなかったりして落ち込んでるとのことで見せて欲しいって言われました。

もちろん陛下の事を思う気持ちがある方に見せない訳ないじゃないということでURL知ってる方だけの限定で見せたら大変喜んでもらえたそうだ。

せっかくyoutubeに載せましたが全体公開にはしておりません。
熊本駅の両陛下最高の映像をこのブログを読んでくださってる方たちだけに公開します。ここだけしか見ることはできません。

それではどうぞ↓

おそらく私が今後こんな近くで拝見できる機会はないだろうと思う一生の宝物です。

そして今日は熊本城と城彩苑に奉迎に回ってきて両陛下と共に同じ時間を共有できた貴重な3日間でございました。

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こんにちは!
はじめましての人ははじめまして!
お車で移動される両陛下を生で見たという友人は泣が出そうになったと言っていた。

今まで天皇陛下の事でそんな気持ちになったのは初めてだそうだ。

僕らの世代ではまだこの大事なことの意味がわからず、もうすぐわかろうとする時期でもあるのだろうか涙が出そうになるようだ。

この事についてはっきりわかりやすく伝えてくれる方が私の近くにもいなかったような気がする。
もしかして伝えようとしてくれた方は居たかもしれませんが私には伝わってなかった。

これの答えは私なりに、はっきりあります。最後に書きますので引き続き読んでいただけたらと思います。

これから下は私が辿り着いた天皇陛下論です。
最高に大きなテーマですけどまた個人的な意見だと思って読む方は読んでください。

まず毎日の生活の中で私は普段ほんとに毎日毎日絵を描いているのですが、その絵を描いてきた長い時間は自分との戦いでもある。

絵を描くにあたって自分というものがどういう存在なのかよく考えてた。自分がわからないのに絵を描いたところでその絵はわからない絵なのではないかといつも絵に説得力がない気がしてた。

そこで自分を形作っているものはなんだろう?と思った。

それは一番最初に思うのはやっぱり家族であったり、愛する人であったり、友人であったり。

そこから視野が広がると、今住んでいる場所だったり、産まれた場所だったりしてそこで気が付いた。
そうです。それがこのブログである牛深八景を描き始めた第一のきっかけだったのです。

牛深と関係ない違う絵を描いていてもいつも牛深が心にあって牛深の事を想いながら絵を描く。
実際の絵だけ見るとまったく牛深なんて分かるわけがない。けど想うと想わないでは決定的に違うのです。

みなさんは何かの2つの絵を見た時にどちらも同じような絵なのに片方だけ賞をとってもう片方は落選ってことあるでしょ?

実はその違いはそこなのではないかと気が付いた。そういうことに気が付いた人はいろんな絵を描くときにもいろんな気配りができるということだ。

もっとわかりやすく簡単に例を出すと、人物画を描くときによく人物デッサン(クロッキー)をたくさんしなさいと教えられる。これの意味は人体の骨格や筋肉の付き方動きなどを知っていないと人物画は描けないからだ。だからデッサンは大事なのだ。

風景画や静物画はどうだろう。
実はこれも同じなのである。風景を描くに当たってはその山がどういう山でどういう名前でその由来は?とか何があって何の動物がいてなどなどたったひとつの山を描くにもたくさんの情報を知っていれば知っているほどその絵には自然と深みが増します。見たままを描けばいいなんて思ってるのは間違いなのです。

もうおわかりでしょ?そういう情報を知らないで描いた絵とそうでない絵は見た目同じようでも全然違う絵なのです。

それが分かる人にはわかるもので、そう気が付いた時に全部とは言いません、私もそういう風に物事を見ることが多少できるようになった。

そんな風に思ってたら、牛深よりもっと広い視野になってそれが熊本になり日本になった。

ここで国家の存在に辿り着いた。
日本の歴史に興味が湧き、日本の起源に興味を持った。

先の大戦の事を再度勉強したりした。そして古事記や日本書紀を読んだ。




目から鱗が落ちた。




日本の歴史とは天皇家の歴史だった。
こんなこともわかっていなかった自分がとても恥ずかしかった。

と同時に嬉しかった。

そんなことは知らなかったのに、自分の周りではその天皇家にまつわることがたくさんあって自然と普段の生活に馴染み自分を形作っていたからだった。


知らなかったことを公表するのは恥ずかしいですけど気付いていない同世代より下の方にでも伝わればと思い少し書きます。

子供の頃昔話で桃太郎だとか浦島太郎だとか鶴の恩返しだとかみなさん読んでもらったことない人はいないでしょう。

全部古事記が元だった。

当たり前すぎて誰も言ってくれなくなってたんだな。(一人でも古事記をちゃんと読んでみようと思う方がいてくれれば嬉しいです)

初詣に行ったことない人もいないでしょう。いろんなお祭りや行事も一回も参加したことない人はいないでしょう。国民の祝日で学校やお仕事が休みになったことがない人もいないでしょう。君が代歌ったことない人もいないでしょう。御飯食べるとき『頂きます』もやってる。などなど枚挙に暇がないですね。

全部ぜーんぶ天皇家に関わってた。

天皇陛下がいらっしゃらなければそれは日本ではないし、そして今の私もいなかった。

ここで最初の疑問に戻るわけです。
なぜ天皇陛下を拝見すると涙が出てくるのか。

上記した理由がはっきりわかってなくても知らない間に日本人で日本に住んでいれば天皇陛下の存在がすべての日本人の心にあるからなのだ。

ここまで読んでそんなわけないじゃんって思う方は、戦後米軍に占領されて憲法を新しく作り変えさせられた中、頑なに譲らなかった憲法第一条をもう一度見直してきてください。日本はこれを一番大事にするから一番最初に持ってきてるという先人の想いを知ってください。

このことを2600年もの長い長い間、日本は時には命がけで大事にしてきたのだ。

そしてこのお話は私の次の牛深第六景へと続くのです。乞うご期待。













  
タグ :天皇陛下


2013年10月27日

提灯奉迎という感謝の気持ち

天皇皇后両陛下がご来熊された。


熊本に来てくださる事への感謝の気持ちを表す行事、提灯奉迎に行ってきた。



新聞でも取り上げられていたし、写真のように告知もされていたのでご存知の方も多いでしょう。
あ、ちなみに提灯奉迎という行事自体熊本でも珍しいことだそうなので(熊本では14年ぶり)私もよく知りませんでした。今回私の記録の為にここに残します。そんなの知ってるよーっていうご存知の方はさらっと流してくださいね。
それで提灯奉迎の内容は後ほど詳しく書くとして、この新聞広告の言葉についての説明を先に書いておきます。

天皇皇后両陛下熊本県行幸啓の『行幸啓(ぎょうこうけい)』という言葉。
天皇陛下がお出ましされること、外出されることを『行幸(ぎょうこう)』という。
そして皇后陛下がお出ましされること、外出されることを『行啓(ぎょうけい)』というそうだ。

今回は両陛下が熊本へお出ましされるとのことで『行幸啓』という言葉が使われている。

日本語には天皇家にしか使用することができない言葉がたくさんある。近年いろんな新聞でもそういう言葉が使われなくなった。

新聞記事で天皇皇后様ご来熊なんて書いてあったらさすがにみなさん変に思うでしょ?

この告知素晴らしい。
美しい日本の美しい日本語をなくさない為に一つ一つきちっと覚えておきたいと思っております。

あ、ご挨拶またまた遅れました。
こんにちは!
はじめましての人ははじめまして!

今回も八景は延期です・・・すみません。
前回の自治基本条例については機会を見てまた書くかもしれません。

ということで、提灯奉迎に戻ります。
提灯を配る時間が6時半だということで、5時過ぎに熊本城の開かずの門の方へ行ってみると・・・


写真の場所は熊本城稲荷神社前ですがまだ1時間半あるのに開かずの門まで420mの行列でした。

提灯は5000個ということだったのですが大丈夫かなぁなんて思いながら時間が過ぎ5時半ごろにはもう後方は市役所前を過ぎ見えなくなった。

この時点で行列を取り仕切っている方はいません。
いないのに自然と並ぶ人たちにわたしは気持ちがいいなって思ってました。割り込みも全然できる状態なのにみなさん後ろに並んでいかれて、これこそが日本だって実感いたしました。

6時を過ぎたころ開かずの門が開き場内で提灯が配られた。

私は無事頂くことができました。
私のあとしばらくして配布分が無くなったとの放送がありましたので軽く5000人はこえていたのだと思います。

提灯が無くなる最後の方はさすがに押し合いになってもらってた。さすがにそれはしょうがないなって思った。怪我人などでなくてよかった。

そして日が暮れて照明に照らされる幻想的な熊本城を間近に見、
ろうそくに火を灯してという合図の後、提灯奉迎の始まりである。


*.♪★*・゜・*♪*.♪★*・゜*.♪★*・゜・*♪*.♪★*・゜*.♪★*・゜・*♪*.♪。★*・゜*.♪

この瞬間を私は待ちに待った。

まず国歌斉唱。

これも和歌の形式をふまえて二回斉唱。
わたしの後ろの年配の女性の国歌がうまくて気持ちよかった。
両陛下と一緒に歌うことができることの喜びを噛み締めながら歌った。
うれしくて涙が出そうだった。


両陛下はどこにいらっしゃるかというと、熊本城から見える日航ホテルの最上階の一番左の部屋にいらっしゃって、こちらの声を無線でつないでるということだった。

その部屋に入られる前に一度電気を点け入られたら消すということで両陛下が入られたということを表すそうだ。

そして提灯奉迎。
天皇皇后両陛下御来熊ありがとうございますの呼びかけの後、ありがとうございますと言いながら提灯を横に振る。

天皇陛下万歳の呼びかけの後は万歳と言いながら縦に提灯を振る。


基本はそういうことだった。ありがとう御座いますは左右に振って、万歳は縦に振る。

それを10分ぐらいだったかな?何度も振る。

日航ホテルまでは距離があるため、はっきりとは見ることはできない。だけど両陛下もお持ちになってる提灯が揺れてるのは見えた。

私達と一緒に提灯を振って心を通わせる儀式だった。

これでやっと私も日本人になれたと実感できた。って書くとそれまで日本人じゃないみたいだなw
書きなおそうかな。
これでやっと私も日本人で良かったと実感できた・・・とは違うんだよな。

やっと身も心も日本人になれた!が正解かな。うん。

とても素晴らしい日になった。


夜の熊本城へ入る機会もなかなかないので熊本城の写真も撮ってきました。



両陛下は全国豊かな海づくり大会の為行幸啓されている。

天草牛深でも明日関連行事が多数行われるようだ。

その中の14:00から後浜漁港では稚魚放流行事が行われる。

これには話によると両陛下が水俣で放流される映像を生中継で牛深でも映して、そして両陛下から県立劇場の開会式で分けて頂いた稚魚を同時に放流するらしい。

この設備が牛深に来ることも今後当分ないでしょう。このこと自体も嬉しいのですが、稚魚放流なんて自然保護の為よくやってるよとか言われそうですけど、今回は一度両陛下の手を通っているということ自体が凄くてとても嬉しいのです。

とても魚たちが増えそうな気がします。いや絶対増える。古来より日本は人智を超えたこういうことを大事にしてきた。そしてこれからも大事にしていかないといけない。

あすのかたらんなではみなさんその話題が多いでしょう。そちらも楽しみにしてます。
みなさん書いてくださいね。

ほんと今日はとても素晴らしい日でした。
おやすみなさい。失礼致します。

  


2013年10月18日

すべての天草市民に見てもらいたい自治基本条例案

こんにちわ!
はじめましての人ははじめまして!

第六景はまだ描けておりません。描きたい気持ちは溜まってるのですがもうしばらくお時間ください。
時間見つけて描きます。

今日は牛深八景のお話ではありません。

天草市のHPを見る機会があってふとある記事に目が止まった。
天草市民ではありませんがそのことを書かずにはいられなかった。

その記事は『天草市自治基本条例(案)』についてです。





憲法学や政治学は専門として勉強した事はありませんが、好きなので個人的には勉強してます。

早速全文読んで見ることにしました。
個人的な感想を抜粋しながら書きます。

 前 文 から

『私たちのまち天草市は、温暖な気候や豊かな自然の恵みを受け、農林水産業を中心に発展してきました。また、国立公園に指定される美しい風景地を持ち、南蛮文化やキリシタンの歴史など独自の文化も育まれています。
 私たちは、これまで先人たちの努力によって培われてきたこのまちの自然、歴史、文化を守り、誰もがいつまでも住み続けたいと思うまちへ発展させ、次世代へ引き継いでいかなければなりません』


まー問題はないと思いますけど、具体的な海の名前だとか山の名前とか入れたらもっと愛着湧くかな。
それとせっかく全国の阿波踊りのルーツであるハイヤ節があるのに入れたほうがいいと思うなぁ。ハイヤ節って書かなくてもいいから民族舞踊の文化とか言葉変えてもいいからさ。そう思いません?牛深のみなさま。本渡のみなさまも思いますでしょ?全国区のもの入れない理由が見つからない・・・南蛮文化とか入れるならさ。

前文のその後も、まぁわかると思って読んだ。

で、前文最後。
『そこで、私たちは今ここに、天草市の自治のあり方を定め、市民、市議会及び市の執行機関が共有する本市の最高規範として、天草市自治基本条例を制定します。』


ここ。違和感ありました。
最高規範とか地方自治体が勝手に決めていいものだろうか。
すみません、憲法学者でもなんでもないので無責任なことは言えないなって思って調べてみた。

なんと親切なことに自民党が地方基本条例制定についての注意点をまとめてくれてた。
GJ安倍総理。
ご覧になりたい方はこちら  ←PDFデータです


違和感あったその最高規範についても書いてあった。
そこから転載しながら簡単に説明してまとめます。

日本では日本国憲法が最高規範であり、その下でその他の法律は平等である。同じように法律に基づいて制定される条例には最高規範はなく、自治基本条例が他の条例に優越することは、法律上認められない。


だそうだ。そりゃそうだと思った。
憲法と法律と条例の関係を知らない方が作ったのかな?ってさえ思った。(偉そうに言うつもりはありません、ほんとおかしいと思いましたので)

最高規範にしたいのであれば地方自治法を変えるか(変えられないけど)憲法改正するしかないって事だ。



そして総則を読んだ。

幸福とかそれぞれ十人十色のような確定できない曖昧な言葉使ってあったりしてまた違和感。

このままいくとまた長くなってしまうので特に言いたいことだけ飛ばしながら行きます。


この条例の中には住民投票のことも書いてある。
ここで国会でもしばしば問題になる外国人参政権の問題だ。あの民主党のね。

ほんとここ注意して見ないといけないので何度も読んだ。

まず住民や市民の定義が具体的に書いてある。
その定義だけをみるともちろん市民や住民には外国人も含まれる。

では住民投票についてはどうだろう。
『本市において選挙権を有する者は、法令の定めるところにより~』

住民投票の投票権をどのような人に与えるのかは明確に書いてなかった。
これは逆に、例えば『本市に住所を有する年齢満20歳以上のものとする』なんて書いてしまうと、もちろん外国人も含まれてしまうしあえて記載しなくて曖昧にしてるのかなと思った。

そこでまた自民党の注意喚起のとこを見たらそれも書いてあった。

『地方自治法に住民投票についての規定はなく~、また、投票資格についても、年齢や国籍は、地方自治体の参政権に応じて定められるべきである』


つまりもっとわかりやすく言うと、住民投票についての法律はないので、勝手に各自治体がその条件を決めていいと思われるかも知れませんが、だからこそ地方自治法で定められている地方自治体の参政権に応じて住民投票の投票権も与えられるべきであると自民党は言っている。

いやーここもう地方自治法ではっきり決めちゃってよ。外国人に住民投票でも権利与えたらダメだって。
これは危うい。

住民投票の規定がないということで、実は住民投票自体には法的拘束力がないということだが、ここももっとわかりやすく言うと、住民投票で何か多数の意見があったとしても議会は守らなくても良いという意味。
なら住民投票とはなんなんだろうって思いますね。

でも逆に法的拘束力があったとしたら、さっきから言ってる外国人が仮に投票できたとして日本人の天草市民に不利益になる住民投票が多数を占めた場合ほんと恐ろしいことが起こる。

でもでも住民投票は一番近い民意であるから尊重されなければならない。

ここループだわ。

だからこそはっきり地方自治法で住民投票の規定をするべきだ。

外国人の住民投票が具体的にどういうことが怖いか一例書きますね。

住民投票で日本人優遇議員さんの問責決議が通る→外国人優遇議員さんが当選するまで何度でも問責住民投票が起こる。

こんなこと書くと外国人かわいそうじゃないかっていう人がいる。税金納めてるのに住民投票もできないのかって。

納税は公共施設や道路や公共交通機関などの様々な公共サービスを受けるためであって選挙権を与える為のものではありません。

日本国憲法で日本人にのみ選挙権を与えると定められている。選挙権が欲しかったら日本国籍を取得すればいい。帰化すればいい。外国籍のままで日本の政治に関わりたいとはやってることがおかしい。

天草の人たちってどう思ってるんだろうって調べてみたら、もう締め切られておりましたが意見募集されてて結果が公表されてた。

それもよく読んでみた。よく考えてる人たちもたくさんいて少し安心しました。

が!この外国人参政権のお話にツッコんだ人もいてそれに対する市の答えも載っていてそれを見てとても恐ろしくなった。

抜粋しますよ。

年齢制限、外国人制限をするのかどうかを明示しておくべきと考えます。という意見に対しての答え↓

『住民投票における投票権(投票資格の範囲)につきましては、この条例の中で一律に定めるのではなく、個別の条例によって事例ごとに判断され、定められるべきものと考えます。』


自民党の意見思い出して。
難しい問題なので、国会が地方自治法で定めている参政権に応じてって言ってるのにこの問題を市が独自に定めようとしてる・・・マジか・・・

言ってること伝わってるかなぁ。裏を返せば外国人に参政権を与えるかもしれないって解釈できるんですよ。拡大解釈じゃない。こうやって少しずつわからないようにして日本に入って来ようとするのだ。

天草市はそんなことでいいのでしょうか?

こんな国会でも難しい議論を地方の天草市は進めようとしてる。


その他にも大きなテーマで言いたいことあるけど・・・長くなっちゃうな・・・
簡潔に言います。

市と国そして市民が対等な立場だと書いてある。対等だったら国が定めた憲法や法律に則り地方自治がなされてるということに矛盾が起きるじゃん。

国から財源もらわないの?国の責任を全部市が受け持つの?そんなことありえないでしょ?
日本という国は日本国憲法が最高規範であって国と地方の関係にはきちんと上下関係がある。

この天草市基本条例(案)は憲法違反に当たる可能性さえあるかんじがします。日本国の根幹を揺るがしかねない。


自民党の提言に戻りますが、そこに『協働』など偏った社会学用語はできるだけ用いない。この概念は市民、議員、市長を対等の関係におき、行政が本来やるべきのことを市民に押し付ける可能性があるためだと記載されてる。

笑いました。気持ちいいように天草市基本条例には『協働』が書いてある。

そしてパターン化した自治基本条例は拒否したほうがいいとも書いてあった。
これはある特定の団体が制定に動いていてそこに偏った意図がある可能性があるためだと書いてあった。

似たようなとこあるのかな?っていろいろ他のとこも調べてみた。

これも笑い事じゃないけど笑っちゃったな。

私の住んでる熊本市・・・似たようなのもう制定しちゃってる。最高規範だって書いてあるし・・・熊本市に勉強しに行っちゃてたみたい天草市・・・


この天草市基本条例には地元愛が足りない。天草の人たちが作った条例案じゃ絶対ない。市外の人が作ってると伝わる。

天草にもしくは天草出身の憲法学者さんはいないのですか?そういう人がいたらその準備委員会に入ってもらいましょうよ。

絶対今のままではダメだ。

いつか帰るはずの天草市がそうなって欲しくないので今回まとめました。市外の人間が口出すなって言わないで下さい。
天草市の方上の方のリンクの自民党の提言一回見てみて。
それにも書いてあるようにこんな基本条例なんて白紙に戻して、別に作んなくても問題ないし、作るとしても制定まであと10年は議論しましょうよ。

そんなすぐ決める条例ではない。


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天草市自治基本条例案←PDF
天草の方々は今のままでいいのでしょうか?




















  


Posted by hirok○ at 07:09Comments(6)休題、その他なんでも

2013年07月10日

藤田嗣治論

私は印象派の絵画が好きだ。

正確には好きだったとでも言うべきか。

しかしこれには嫌いになったという否定的な意味は含めていません。今でももちろん大好きなのですが、それ以上に好きな絵画があるということだ。今回はそれに関係するお話。

学生時代印象派の展覧会を見る機会があった。モネやドガ、ルノワールやセザンヌなどと言えばわかりやすいだろうか、同じく大好きな方も多いでしょう。

そのときの色鮮やかなキャンバスの衝撃は今でも覚えています。それまで描かれていた光と影の写実的な絵画ではなく、光を多用することによる言わばリアリティを追求しないでもいいんだという世界的な流れがその時代にはあったそうだ。

そういう世界的な流れのまっただ中、1910年頃の日本の美術界はヨーロッパのその印象派の画風を好みそれが主流になっていた。


こんにちわ!
はじめましての人ははじめまして!


私がある画家に興味を持ったとある本がある。その本に出てくる主人公の画家はフィクションではあるけれど、公表はされていませんがモデルとなっている画家が誰なのかは私にはわかっていた。その作家が憧れ尊敬してやまない画家はどういう人なのだろうというのが最初のきっかけだった。


その画家はもうすでに亡くなってらっしゃる方で、その作品群に私も魅了されいろんな画集を集めた。

もったいつけないでそろそろお名前を出しますか、笑。

その画家の名前は藤田嗣治。

またの名をレオナール・フジタ。

あれ?最近どこかで聞かれたり目にしたりされました!?

そうです。ただいま県立美術館でレオナール・フジタとパリという展覧会が先週より開催されているのです。

早速行ってきましたので感想とご紹介の方を。藤田嗣治の詳しいことは私は専門家でもないので他のサイトや書籍でお調べ下さい。

ここはわたしのブログということで私の勝手な妄想wや私の目から見える、見えた藤田嗣治をかきたいと思うのです。毎度のこと批判もある方もいらっしゃると思いますが、でもそこまで考えて見たほうが絶対おもしろいから何のしがらみのない私が好き勝手書きますのでその点ご理解されてこの先読まれて下さい。


お話を戻しまして1910年頃の日本は印象派の流れを受けていた。当時藤田は東京芸大に在籍していたが印象派の画風を嫌っていた。その理由は現存する表現方法ではダメで新しいことをしたいという世間への反発であった。作品とは無縁の立ち振舞や人となりだけを見て、純粋に作品だけを見て評価しない日本の画壇やその日本社会へ対する不満を多く持っていたためだった。


この時の芸大の藤田の講師に黒田清輝という日本画壇には説明不要の画家がいるがその黒田清輝の門下生となりながらも師匠とは違う方向を藤田は見ていた。

黒田清輝がどんな絵を描いているのかよくわからないという人はこの湖畔という作品を見るとすぐわかると思います。

教科書なんかで見たことない人はいないと思いますので。


日本画壇の第一人者であった黒田清輝は悪い見本としてしばしば藤田の作品を罵る。もう少しわかりやすく説明しますと、印象派の流れが流行っていた日本は黒田清輝を筆頭に、光に溢れた世界に人物などを描くことが主流になっていて黒を使うということを悪としていた。黒で描くところを紫で描くなど鮮やかに表現していた。そういう教えをしていたはずなのに門下生の藤田はその黒をふんだんに使ったのだ。師匠に楯突いていたのですね、嫌われるわけです。そして黒田は日本画壇では圧倒的な力を持っていたので藤田の作品は日本では何一つ評価を受けることはなかったのです。不遇の時代ですね。

その圧力に屈したのかその後父の勧めによりフランスを中心に海外に拠点を変える。
芸術の都パリに美術を学びに行くのだ。

このフランスでみなさんご存知世界の画家たちピカソやモディリアーニ、キスリングやスーティンらと知り合い同時期に活動する。ここで精力的に活動した藤田は数々の展覧会で受賞し世界で認められいわゆるパリ派、エコール・ド・パリの一員と認められるのである。

その間、第一次世界大戦など戦争の時代が訪れる。

日本へ戻ってきていて、父親が陸軍軍医であったためであろう陸軍から戦争画の依頼を受ける。乗り気はしてなかったが戦死した部下の霊を慰めるためだと熱い想いの陸軍中将の頼みに共感して戦争画を複数制作することになる。

これは戦時中の日本の士気を上げることに多大なる影響を与えたのであった。
藤田はやっと自分も日本で認められたのだと思ったのかもしれない。

だが日本が敗戦しGHQが日本を動かしてる中、戦争画ヘも戦争責任追及が及ぶ。手のひらを返したように藤田はまた日本から迫害を受けるのだ。


この事が発端でしょう。日本で定住しようと思っていたそうですが、またフランスへ渡ります。


フランスでの生活の数年後フランス国籍を取得。ランスのノートルダム大聖堂により改名を受ける。
レオナール・フジタの誕生である。

そして1968年81歳で亡くなる寸前までキリスト教の宗教画などを制作。

というのが藤田嗣治の生涯なのですけど、正直何が凄いのかわからないという方が多いと思います。その原因がなぜかもわかっています。

これまでは簡単な説明でした。これから後半私の思う藤田嗣治像を今回の県美の展覧会の見どころと合わせて書きます。ここから先を読んで貰いたいです。


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東京芸大時代師匠である黒田清輝に作品を罵られたと書きました。
なぜ叩かれたのかとかなぜ反発したのかとかは書きました。ですがそれはどこにでも書いてあるような表面的な事で当たり障りない論評です。もう一歩踏み込みます。

だって作品を見て感じるんだもん。
藤田は日本の美術が西洋に負けている評価をされているのがたまらなく嫌だったのではないでしょうか?印象派の真似ごとをするだけではいつまでたっても日本の美術は海外に追いつかない。
早くそこから脱却したいけどまだ画風が見つけ出せず藤田自身も手探りで焦っていた。

このままではダメだって思いながらも政治的な圧力や日本の体勢に反対して闇雲にもがく。その気持ち溢れる卒業制作の一品。今回来てますよ。こちら。

実際その目で見て貰いたいので画像は小さくしてます。

今回の展示には大きく分けて3つの部屋があります。
一つ目の部屋入口入ってすぐの辺りにあります。これすごい重要な作品だからこの絵に込められた想いを感じなから見て。

そして画風を模索する若い藤田の絵が並びます。ここではやはりモディリアーニと一緒に活動してたんだなってはっきりわかる作品がたくさんあります。

2つ目の部屋へ入ると黄金期です。
あの「偉大なる乳白色の下地」を確立した作品が多数展示されています。

もちろん「横たわる裸婦」など言うまでもない素晴らしい作品はここでは置いておきます。
わたしはそれと同じぐらい重要視してる作品が他にもありますのでそちらを紹介。

「ポーズの合間に休むキキ」
藤田は人の真似をするのが嫌いだみたいに書きましたが、実はそうではないのです。
すべてを真似することが嫌いで、いろんな人のいいと思ったものを吸収してそれに自分なりの何かを付随するといういわゆるオマージュとでもいいましょうか、実はそういう作品が多いのです。


一見、日本にいた時の黒田清輝に楯突いたときと矛盾しているようにも思えますが、それと区別して真似だと言われないためなのでしょうか、自分しかやっていない描き方を考案するのです。

それが「偉大なる乳白色の下地」なのではないのか。


それが自分のパターンであり、その藤田にしかできないパターンに自分が見て来た先人の素晴らしいところを重ねてみたということがわかる。


ポーズの合間に休むキキは鉛筆画で後にキャンバスに清書でもしようと考えていたんだと思いますが、その清書したものは発見されておりません。だけどその作品からわかるものはやはりあのモナリザではありませんか。


ルーブル美術館にいろんな作品を模写しに週3日も通ったことがあると妻への手紙などからわかっています。


藤田が一番憧れたダヴィンチに近づこうとして描いた作品なんだって思う。
後でなぜこの絵が重要かということをもう少し描きたいと思います。


その他に重要なのは藤田は自画像を多数書いてます。静物画もそうですが、藤田の周りにある小物などにも目を配って下さい。その小物がなぜあるのかとかどういう意味があるのかとか考えながら見るとそこから何か見えてくるものがあります。

2つ目の部屋はその他にも、妻に宛てたおもしろいはがき絵が多数公開されてます。
これは完全なプライベート作品で名だたる画家の作品を完全に模倣した作品になっております。
ルノワールやゴーギャンやマティスローランサンなどなど実にうまく表現を掴んでいます。元ネタを知っていたら笑えるものまで、ほんとニヤニヤしながら見ましたよ、笑い声が出ちゃいそうになるぐらい。でもね、一緒に活動してたピカソのを真似した作品が無いのです。

これも私の勝手な妄想ですけど、藤田とピカソはお互いに親交はあった仲も良かった、だけど心の奥底ではお互いをライバル視していたのではないか。

ライバルのピカソの絵を真似するのがシャクだったのではないのかな?そういう感じがしてならない。

この2つ目の部屋にはまだまだ素晴らしい作品があって全部紹介できないですね。もちろん今回の展覧会の代表作である裸婦の絵もありますし、その後ピカソを意識して描いた絵もあります。
その絵はもちろんフランスで受賞するのですが、その展覧会でピカソが3時間もその絵を眺めたという逸話が残っている作品もあります。


そして3つ目の部屋に藤田と親交があった有名な画家の作品も多数来ています。同じ景色を見て同じ環境で考え描いたその作品を通してまた藤田嗣治を感じて貰いたいです。
なにげにモディリアーニの彫刻とか来てますよ。これがメインでも展覧会できるでしょーみんな素通りしてましたけどw

まぁその辺りもすごかったです、今回の展示。お昼過ぎから行きましたけど5時15分ぎりぎりまでいました。4時間?最後駆け足になりそうなくらい時間が足りなかった。これだけの作品があったらそうなるのはわかるでしょ?


藤田嗣治は日本のピカソだ!っていう人もいます。

いやいやいや私はそう思いません。ライバル視していた相手と同じだなんて本人が聞いたらどう思うでしょう。嫌なはずです。

では誰だと表現するのが望ましいかという事なんですけど。

フランス国籍を取得した後の洗礼名に注目していただきたい。


洗礼名ということでその名前は藤田自身が決めたものではありません。

「レオナール・フジタ」アルファベットで表記すれば「Leonard Foujita」
お気付きでしょうか?そう、イタリア発音をすればレオナルドである。

世界はレオナルド・ダ・ヴィンチのレオナルドをもちろんダ・ヴィンチに憧れてるのを知ってて藤田嗣治に与えたのだ。

ゆえに藤田嗣治は日本のダ・ヴィンチなんだとわたしは思っている。


藤田嗣治は海外では葛飾北斎と並ぶ有名な画家であるにもかかわらず、日本では北斎ほど知ってる方はいません。

これから先書くことは今まで言われて来ませんでした。本当かどうかっていうのも読んだ方の個人的な解釈として判断して下さい。

藤田嗣治もまた教科書などでご存知の方が多いと思うといろんなところで書かれていた。だけど少なくとも私の習ってきた学校教育の美術の教科書ではその名前は聞いたことがなかった。

ちょっと今の教科書も開隆堂、光村図書、日本文教と主要3つ調べてみた。さすがにすべてを見たわけではないので正確ではありませんが、探した中では一つも探せなかった。載ってなかったし歴史年表にも藤田嗣治の名はなかった。

これはおかしすぎる。こういうことには大抵大人の事情が働いている。

予想は簡単、上記した黒田清輝一門の圧力かGHQ、日教組の戦後教育か、またそのどちらもだということ。

もうこういうのやめにしません?

いいものはいいってちゃんと評価しましょうよ。


藤田嗣治の作品を見てみると一貫して伝わることがある。ここから今回私の一番言いたいこと。そしてそれを感じて作品を見てほしいということ。

日本のことを考え日本の画壇に反発した卒業制作の自画像。

フランスに渡りながらもモチーフはフランス人かも知れないが描き方は油絵を使った日本画であること。

自画像の中に散りばめられたすずりなどや面相筆、そして極めつけ菊花紋章(天皇家)などの日本を思わせるもの。


6年間共に暮らしてモデルとして描いたフランス人リュシーバドゥーを日本名でユキと呼んだ。


戦争画を書いて戦死した方達への慰霊の想い。そして戦争責任を他に戦争画を描いている画家はたくさんいたのにもかかわらず一人で責任を負って日本を離れたこと。

その他いろいろあると思いますがこれらからでも伝わるものありませんか?


そう日本への愛国心です。一貫して日本への愛のカタチを表現してるじゃないですか。フランスに渡った多くの画家がフランスの町並みは描けど、日本を表す物をフランスで描いたりしましたか?ないない。こんな日本を愛してる画家はいないでしょ。

でも結局日本を捨ててフランス国籍とったじゃない!?って言います?

フランス国籍をとった後、藤田は家族にこう言ったと記録が残っています。

「日本を捨てたのではなく日本に捨てられた」のだと

こんなに日本のことを愛して、日本のことを考え日本のために絵を描いた画家に対して日本がやったことは酷い。

日本を捨てたのではなく日本への当て付けにフランス人へなったのではないか。もし日本が見捨てないでいたら日本で日本の素晴らしい作品を残してくれたのではないのだろうかと残念でならない。

このことを思ってその負の連鎖のはじまりである卒業制作の自画像を見たとき息ができなかった。その力強い反発してる目を見て涙をこらえるのに必死だった。

藤田嗣治様

安心して下さい。
あなたが捨てられたと思った日本では、現代あなたのことを素晴らしい画家だったと尊敬してやまない人たちがたくさんいます。見捨ててなんかいません。ほんと戻ってきて欲しいのです。


藤田嗣治の企画展示をする美術館関係者の方へ

今回はフランスにいた時期に焦点を当てた企画で藤田嗣治がどのようにしてアイデンティティの確立をしていったのかといことをテーマにしていたということはわかります。それは臭いものには蓋をして大衆受けがいいようにということはありませんか?


そして展示会の表題「レオナール・フジタとパリ」だったですけど、パリにいた時代ということでそういう題名だと思うし海外ではその名前で通ってるし、フランス国籍をとったからとか、上記したようにダヴィンチに憧れていたのでそのようにしたのかとかいろいろ思い当たりはします。

だけど、日本をこんなに愛した画家をこれ以上突き放すのですか?

そのパリで活躍した時代はまだ日本人だし、なにより日本がしたことを反省しきちんと評価して日本人名で表題を付けましょうよ。


ここは日本ですよ。世界でどう呼ばれてるとかはどうでもいい。

「藤田嗣治と巴里展」でしょ。

今回見た藤田嗣治自身が描いたサインの中にもたくさん巴里って描いてあった。その意味も含めて日本語表記でしょ。

絶対その方が喜ぶと思う。

そして最後にこのブログを読んでくださった方々。
みなさん足を運んで藤田嗣治と巴里展見に行きましょ。

日本人の一番素晴らしい絵が来てるんですよ。美術を志す若者にもそう、そういうことには関係ない人にも日本人として藤田嗣治を見て貰いたい。

余談ですが、
会場でレコーダーでの説明の機材の貸出とか500円でありますが、あんなのは必要ありません。私聞いてみましたけど大した説明してないですし、ほぼ同じ事文字で絵の横に書いて説明してありますし、なにより説明文とレコーダーの説明してる年号とか間違い数カ所あったし、よくわからないならわざわざ説明するなって言いたかったよ。こんないい加減な展覧会ですけど、作品は一流なんです。

だから作品だけ見に来て。一生のうちおそらく二度ともうこれだけ一緒には見れないから。  


Posted by hirok○ at 05:23Comments(9)休題、その他なんでも

2013年02月26日

404 天草の今昔 Not Found

こんにちわ!
はじめましての人ははじめまして!

えと、牛深八景第4景できてるんですけど・・・早く公開したいんですけどすみません、まとめる時間がないとか言いたくないのですけど時間に全く余裕がないのです。

そうしている間に牛深の通天公園からの海の景色を描いて欲しいとのポスター?チラシ用?背景の作画依頼を受けましたので、予定としては今年の年末ぐらいになるのかな。

たぶんこちらで公開してもいいと許可はもらう予定ですのでそのときは八景の一つとして紹介させてください。


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さてさて本題。

天草の古い写真を集めた書籍が発売された。

天草今昔という写真集だ。

今月発売するというお話を聞いてすぐ地元の書店さんへ予約しました。

その地元の書店さんにはその他にも私が探している本をいろいろ調べて頂いてすごい丁寧な対応で嬉しくなった。

私も子供の頃その本屋さんでは本を買っていたので懐かしく思った。

温かい対応本当にありがとうございました。

ということでその本についてなのですが、





こういう本です。全224ページ。牛深の写真が載っているとことに付箋を付けました。

付箋は21ページでした。もちろん1ページに写真が1枚ということではないので実際の牛深の写真の数はそれよりも多いです。

これから先は私の個人的なレビューですので、色んな所の書籍レビューの一つとして見て下さい。
それ以上の深い意味はありませんので。

まずこういう本を出してくださったことをうれしく思いありがとうございますと感謝の気持ちです。

それを大前提にした後で、少し言い難いことを。

たしか事前予約1100部数超えているということだったそうですね。

一部1万円弱でしたので・・・1100ま・・・んとかゲスいことは言うのはやめますw

同じ作り手からの目線で見た写真集としての出来 不合格です。

昔の古い写真が鮮明ではないのがあるのはもちろん理解出来ます。
(誤解無いように補足します、全部の古い写真が鮮明でないわけではありません)

画像が粗い写真を使うのであればそれを大画面にする必要があったのかどうかです。
写真が大きいということは作り手が大きくしたい意志があると思うのですが、それでは何も伝わりません。どうしても大きくしたいのであれば、鮮明な写真を探すかもしくは写真を小さくして綺麗な状態で見せるかのどちらかでしょう。

どうしてもそのまま大きくしたいのであればわかりづらいところを言葉で説明する。まぁこれは一般的ではなく最後の手段なのですけどね。

そういう説明的なことで言えば、説明も私としては中途半端です。説明が薄い薄い。ほんとはその写真一枚一枚に多くの物語があるはずなのに。

おそらくその時代を生きてきた方には写真だけでいいのでしょうけど私にはどちらかと言うと説明が長い方がいいのです。

あれ?これは最初っから私たちの年代以下の人達のことは切り捨てて考えないで作ってるってこと!?だったら全然おkです。

後世に受け継いでいくという意志は全く感じられません。それでいいのかな?


あーーー言いたいことが脱線しまくってたーーww

画像が粗い写真を使っているってとこなんですけど、昔の写真が粗いのは上記もしたように理解できます。

今回の写真集には現在との対比として現在の写真も載っています。

その現在の写真さえ鮮明でなく粗いものがあるのです。またお金のことで申し訳ありませんが1万円が高いって言ってるのではありませんよ。

失礼なの承知で言わせてくださいね。

1万円で売るために撮った現在の写真が携帯で撮ったかのような解像度とはこれはひどい。

別にプロに撮ってもらってよってまでは言いませんよ。

これでおkを出すのが私は信じられません。不完全でもある程度のレベルは超えてないとだめでしょう。

これは購入する天草の人達のことをこれぐらいでいいだろうとバカにしているのか、それを見ても何も違和感を感じない天草の人がいるのであればその人達が・・・ってことでしょう。

今回の編集者が天草の方ではなかったということで天草に愛着がなかったのでしょうね。

時間さえあれば無償で構わないので私がいつかこういうの作ってみたい。レイアウトなんかももうね、写真が古いからレイアウトも昭和のレイアウトなんですかね、レイアウトデザインなんてのも今はもっともっと進んでるですけどね。

斬新なデザインをして欲しいって言ってるのではないのです。もっと読者目線で伝わるデザインや物づくりに気配りを使って欲しいって言いたいんですよ。

私自身牛深のことだけ欲しかったので、その中でも欲しかった写真が1,2枚有りましたので救いでした。

えっとここまで書いてきてなんですけど・・・
天草の方達には天草全域のお祭りやイベント事などたくさんの写真がありますのでまだの方はご覧になられてはいかがでしょうか。
  
タグ :天草の今昔


Posted by hirok○ at 19:31Comments(0)休題、その他なんでも

2012年12月16日

失敗するうわぁ・成功するうわぁ

こんにちわ!
はじめましての人ははじめまして!

牛深八景の第三景の方はただいま製作中です。もうすぐ出来上がります。
つなぎと言ってはなんですが今回は雑談です。

ちょっと前になりますが週刊山崎くんでワッゲンオッゲンの特集見ました。

大竹しのぶさんは以前から演技の上手さから好きな女優さんでありました。

牛深でこの規模の映画は凄いなって思いましたよ。

山崎くんを見る前、実は牛深の遊郭のこと、女性が主役、この2つのキーワードだけで正直わたしの嫌いなストーリーだなとの先入観がありました。

その後予告動画も見ました。

ほんと大竹さんのうしぶか弁いいですね。おじょうず。

うわぁこれは面白そうだ。

公開初日の日に時間作っていこうと考えてみましたがどう考えても時間的に無理でそのまま今日まできてしまってまだ見てません。

近いうちほんと行かないとな。・・・って今上映スケジュール見たんですけどもう終わってる!?終わるの早すぎでしょー。DVDは出るだろうからそれまで待ちますか、残念。

ところでいつから題名は女たちの都になったんだろう・・・ワッゲンオッゲンの方が良かったような・・・大人の事情なのかなw

*.♪。★*・゜・*♪*.♪。★*・゜*.♪。★*・゜・*♪*.♪。★*・゜*.♪。★*・゜・*♪*.♪。★*・゜*.♪


僭越ながら書かせて頂きます。

10月に帰省していろいろ見て回った時に気になったことなんですが
こういう歴史説明板や観光案内板をいくつか見かけました。



わたしは阿蘇の方でもこういう関係のお仕事にも携わっていました。
こういう説明板や案内板、標識などを総じてこの業界ではサインと言うのですが、芸能人の書くサインとかそういうのと違って看板みたいなもののことを指します。

で、このサインで気になるとこありませんか?
わたしはあります。


阿蘇は世界の阿蘇と呼ばれるように観光にはすごい力が入っているのは周知の通り。
正直阿蘇でこの写真のような仕事したらまずやり直しですね。

牛深も同じく観光に力入れてるんじゃなかったのかなぁ。

デザインがどうのとかそこは今回置いておいてそんなこと言う段階にも行っていないかんじがします。
天草は海があるのでどうしても鉄では錆びやすいので、ステンレス柱を、そして盤面もステンレスに屋外用プリント使ってある。この辺りはわたしもそれを勧めると思う。

この材料を使う時点でこの事業はおそらく天草市全域での統一サイン計画でやられていると思うし結構な予算かけてあると予想できます。

多額のお金かけてあるのにこれでいいの?
まだ何がダメか言ってませんでしたね。

基礎のとこが不合格なのです。基礎が地面より上に出ているとこ。

こういうサインを立てるときに建て方として仕様書の通りの大きさの穴を掘ってサイン本体を立ててセメントを入れるやり方と最初から基礎部分の四角いセメントを予め用意しておく方法と2通りある。

この写真のは後者ですね。前者は型枠をして固まったら外しに再度現場に来ないといけないのでこれぐらいの小さいサインは一回で建込みしたいため後者が多い。
前者でも後者でもいいんですよ。

今回あと数センチ穴を深く掘ればいいだけなんですけど。
わたしがデザインした人ならこれでは怒りますよ。仕様書には地面から表示盤面までの高さが書いてあるはず。でもこの写真のサインは基礎からのその寸法は合ってるかもしれない。けど地面からは違うはず。
ここで竣工検査が通らない・・・何度も言いますが阿蘇なら確実にやり直しです。


天草は雲仙天草国立公園に指定されている。これは阿蘇も同じ。
さらに熊本県では他県とは違いさらにこういうサインにも景観条例まで制定してあって大きさや色など規制が強い。その為景観をできるだけ守りましょうという意識が強いのである。

この基礎が出ているのは見た目どうでしょう。作った人にも検査した市役所の方にも景観をできるだけ壊さない配慮が感じられません。

たまたまここだけでしょうって思ったら他の場所でも同じサイン見かけましたが基礎同じでした・・・故郷がっかり。

今回もう一つ話題があります。
ハイヤちゃんマスコットが決定したそうですね。10月の熊日で見ました。

募集するときの記事も見てました。
もちろん応募しようかなと思ってわたしも一つデザインして送っておりました。

うわぁ・・・結果は不採用です。

デザインするにあたって考えたのは、ハイヤの着物はおそらくほとんどの応募作が牛高伝統芸能部 のような柄が多いと思うので、ありきたりなデザインとは差別化するためそのデザインは避けたほうがいいなぁとか

マスコットの肌の色なのですが、マスコットを作るときに白色はよくあります。かわいく見える色ではありますので最初はその色で作っていました。でも思ったのです。牛深の海の女は白い肌よりも日焼けした肌の色のほうが合うのではないかと。

それとーー。ここ一番言いたいとこ。

新聞の募集記事には
「運動神経がよく踊って太鼓が叩ける女の子のイメージ」
と間違いなく書いてあった。

牛深地区振興会では近年ハイヤ太鼓にも力をいれていると伺っていたのでそういう方向性のマスコットが欲しいのだろうなと思っていた。

もうね、言い難いこと言っちゃいますけど、以前から牛深に関係するマスコット名前まで言いませんがそのセンスの無さったらひどすぎますでしょ。個人的感覚なのでそれは人それぞれだって言われるかもしれませんが・・・選考した方達に果たしてマスコットを作った後の展望が見えてるのでしょうか。今までと何も変わらない感じがしてしょうがないです。

マスコットというのはおそらくみなさんが最初に思われるのはクマモンだと思います。
あのクマモンのように人気や有名になればと思って今回の企画を考えられたのだと思います。

あのクマモンはもちろん素人さんが作ったものではありません。小山薫堂さんの呼びかけで始まったプロジェクトなのですがデザインしてるのはプロのデザイナー。

簡単な熊のデザインのようで実はマスコットの体のパーツのセオリーである黄金比率などの基本的なベースはあるのですが、さらに熊本サプライズというテーマの元作られているということもありその黄金比率のままではなくびっくりしている要素として少し縦長にデザインされております。

クマモンの目が点になっているのもそのびっくりしている様子からそのようになっています。

その他にも細かいことはたくさん散りばめられてあってほんとに凄い。

簡単な話それ以上考えて作らないとクマモンレベルのマスコットはできないということです。

じゃあそこまで言うならお前の描いた物見せてみろよって話ですよね。

お見せしますよ。
(ここにマスコット画像)
っと原稿段階ではわたしのデザインしたマスコット画像を載せていたのですが、諸事情によりストップがかかってしまいました。

主な理由としては著作権の問題ですね。応募した時点で著作権放棄の同意をしていたためやはりそれを反故にして勝手に載せるわけにはいけませんよね。

これは大変申し訳ございません。自分のを見せないなんて、なんて説得力のないブログになってしまったことでしょう。大変不本意ですが仕方がありません。お詫びいたします。



漠然とした魚ではだめだと思うなぁ。牛深に関係する魚を具体的に入れたほうがよかった。
漁師町で盆踊りみたいなとこがある町にすべてあてはまってしまうのより牛深だけのマスコット感が欲しかったと思います。

それと熊日に書いてあった太鼓の要素どこいったのかな・・・

今でもわたしのは審査には負けたけどデザインでは負けてないと思っていますよ。

というわけで今回は完全なる負け惜しみですね。

ほんとに負けて惜しいんですよ。そういうの隠してヘラヘラなんかできない。

マスコットに付随して提案できる企画もたくさんあったのですがかすりもしなかったので伝えることもなくお蔵入りとなりました。


ワッゲンオッゲンでも言われておりましたが牛深は衰退都市No1というフレーズだけが飛び交って、こんな恥ずかしいことなのに悲壮感はなく全国1位だ、やったーぐらいに思ってるんじゃないかとさえ感じます。
そのランキングがでた2002年時点が転換するチャンスで、なぜどうにかしようと行動する人がいなかったのかとおっしゃっている大学教授もいた。

そもそもその衰退都市No1と言われたことは知ってはいるものの具体的にそのランキングがどういうランキングなのか知ってる元牛深市民がどれだけいるのだろうか。
元牛深市役所の方でもよくわかっていないのではないでしょうか。

今回書いたのはほんの一例でこの他にもいろいろ思うことがあったのですが、そこで見えた牛深というのは実際動かしている人達もこのままではいけないとわかってはいるものの、どこかで今のままでいいと思っていて、なるようにしかならないからそんな無理もしなくて、周りも何も言わないから波風たたないようにとかそういうふうに考えてきたんだなって思いました。

批判的な事も書きましたがそれが牛深の慣例というか雰囲気だと言われたら、それはそれでわたしはいいと思います。


現状維持さえ難しく衰退するのが当たり前。そんなことわかっていてそれを見ていくしかないというのであればわたしはせめて今の自然だけは残して欲しいと願います。

そういう気持ちで今の牛深の風景を描いています。

そして第3景に続く・・・









  

Posted by hirok○ at 22:18Comments(0)休題、その他なんでも