2014年03月31日
天草観光文化検定(アマケン)について分析するぜ!
こんにちわ!
はじめましての人ははじめまして!

先日の熊日にこの記事が載ってました。
おそらく読んだものの素通りした天草の方は多いと思う。
簡単にご説明いたします。
1582年、九州のキリシタン大名によって4人の少年が代表となってローマへ向かう使節団が派遣されました。
その少年の一人がこの伊東マンショです。その派遣団が天正遣欧使節団と言い、こちらの名前になると天草の方もご存知の方も多いかもしれません。
ローマ教皇に日本人で初めて会った人達であり、その他の功績を含め日本史でもとても重要な人物であるのですが、これが天草にどう関係するのかというとこの天正遣欧使節団が日本に持ち帰ったものの一つにグーテンベルク印刷機があるのです。
この印刷機が日本では初めて天草に持って来られ、天草本と呼ばれるものが誕生しました。
国語史や国語学研究上でも重要な資料となっており代表的なものが平家物語やイソップ物語だったりします。
河浦の天草コレジヨ館に印刷機のレプリカがあり、造形作家・松岡志保さん(牛深出身)らが制作したESOPOイソップの生涯の物語展示もあります。
天草市は今回発見された肖像画の複製でも取り寄せて展示してみては!?
こんなに熊本の天草に関係してるのに、熊日ではそのことが記載してなくただの全国ニュースとしての取扱いの様でした。この事書いてくれたらそれを読んだ熊本の方が天草に訪れて見ようと思うのになぁと残念に思いましてここに書きました。
*.♪★*・゜・*♪*.♪★*・゜*.♪★*・゜・*♪*.♪★*・゜*.♪★*・゜・*♪*.
天草には大事な歴史がいっぱい。
前回に引き続きまして天草観光文化検定の分析を行います。
問題自体は観光協会のHPから解答もすべて見ることが出来ますのでこちらからどうぞ。
どこの地域の問題が出たのかを数えてみました。
基本天草全土の問題なので全地域に関係するのが前提です。(なので誤解がないように書くと0の地域だったとしても関係する問題がないというわけではありません。)その中でも地域が限定されるものを正解ベースで数えています。
まず初級からです。
天草全土 9
------------------------
大矢野 1
松島 0
姫戸 0
龍ヶ岳 0
本渡 1
有明 1
御所浦 1
倉岳 0
栖本 1
新和 0
五和 3
天草 6
河浦 2
苓北 3
牛深 2
次に上級です。
天草全土 17
------------------------
大矢野 1
松島 0
姫戸 0
龍ヶ岳 0
本渡 5
有明 1
御所浦 2
倉岳 1
栖本 0
新和 1
五和 5
天草 5
河浦 5
苓北 7
牛深 1
この問題は本渡市教育委員会発行の『天草の歴史』から主に抜粋されていると思われます。
やはりそうなってしまうのか代官がいた苓北や天草氏がいた天草町河浦町方面強いですね。交通手段が主に船だったということの結果でしょうね。
初級問10に前半に書いた天草本出てます。
あ、そうそう。この間オークションにですねこんなものが出ていましてびっくりしたのを載せます。

これはキリシタン軍旗といって正覚寺から譲り受けたと箱書きにも記載してあった。
これがもし本当だとしたらこれは天草の宝ではないかと思ってこの写真だけでとても興奮いたしました。
正覚寺とは近年まで天草の歴史との関係がよくわかっていなく改築時に床下からイエズス会の墓碑が発見されたことで特に重要だということがわかりました。この正覚寺建立前の名前が天草唯一の南蛮寺だったということです。
この問題は上級問18に出てます。
天草島原の乱当時の物だったとしたら、400年前の物がこんなにきれいな状態で保存されてたことに驚きです。こんなもの個人が落札しても保存できないよと思いながら入札してましたが20万超えちゃいまして落札は無理でした。
これが間違いなく本物だと証明されたら市どころか県の重要文化財指定は確実でもしかしたら国までいくかもしれない。それぐらいすごい物。天草市または上天草市が保有し専門家による保存をされるべきだなぁと思います。もう空気に触れたら溶けてなくなっちゃいそう。
ということで今回検定を通して天草の歴史を表面だけでも勉強してみました。いろいろ思うところはありました。個人的な感想を言いますと、天草は広い。全部を完璧に調べたり勉強することは私には無理だと思いました。地元の歴史研究家さんとの手紙のやり取りでもいろいろ教わりながら勉強しているのですが、その方からも言われました。天草の歴史はほどほどにした方が良いと。少しばかり勉強してみてなんかその意味がちょっとだけわかりました。
その意味を私は詳しく書くことはないと思います。私は牛深の歴史を知るために天草全体の歴史が知りたかったのです。でも思った。天草と牛深は結構違うかも。
天草の歴史はみなさんにおまかせしてこれ以上勉強しません。私は牛深に特化して勉強することにします。
天草の歴史は面白いよ。でも牛深の歴史ももっと面白いよってね!
はじめましての人ははじめまして!

先日の熊日にこの記事が載ってました。
おそらく読んだものの素通りした天草の方は多いと思う。
簡単にご説明いたします。
1582年、九州のキリシタン大名によって4人の少年が代表となってローマへ向かう使節団が派遣されました。
その少年の一人がこの伊東マンショです。その派遣団が天正遣欧使節団と言い、こちらの名前になると天草の方もご存知の方も多いかもしれません。
ローマ教皇に日本人で初めて会った人達であり、その他の功績を含め日本史でもとても重要な人物であるのですが、これが天草にどう関係するのかというとこの天正遣欧使節団が日本に持ち帰ったものの一つにグーテンベルク印刷機があるのです。
この印刷機が日本では初めて天草に持って来られ、天草本と呼ばれるものが誕生しました。
国語史や国語学研究上でも重要な資料となっており代表的なものが平家物語やイソップ物語だったりします。
河浦の天草コレジヨ館に印刷機のレプリカがあり、造形作家・松岡志保さん(牛深出身)らが制作したESOPOイソップの生涯の物語展示もあります。
天草市は今回発見された肖像画の複製でも取り寄せて展示してみては!?
こんなに熊本の天草に関係してるのに、熊日ではそのことが記載してなくただの全国ニュースとしての取扱いの様でした。この事書いてくれたらそれを読んだ熊本の方が天草に訪れて見ようと思うのになぁと残念に思いましてここに書きました。
*.♪★*・゜・*♪*.♪★*・゜*.♪★*・゜・*♪*.♪★*・゜*.♪★*・゜・*♪*.
天草には大事な歴史がいっぱい。
前回に引き続きまして天草観光文化検定の分析を行います。
問題自体は観光協会のHPから解答もすべて見ることが出来ますのでこちらからどうぞ。
どこの地域の問題が出たのかを数えてみました。
基本天草全土の問題なので全地域に関係するのが前提です。(なので誤解がないように書くと0の地域だったとしても関係する問題がないというわけではありません。)その中でも地域が限定されるものを正解ベースで数えています。
まず初級からです。
天草全土 9
------------------------
大矢野 1
松島 0
姫戸 0
龍ヶ岳 0
本渡 1
有明 1
御所浦 1
倉岳 0
栖本 1
新和 0
五和 3
天草 6
河浦 2
苓北 3
牛深 2
次に上級です。
天草全土 17
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大矢野 1
松島 0
姫戸 0
龍ヶ岳 0
本渡 5
有明 1
御所浦 2
倉岳 1
栖本 0
新和 1
五和 5
天草 5
河浦 5
苓北 7
牛深 1
この問題は本渡市教育委員会発行の『天草の歴史』から主に抜粋されていると思われます。
やはりそうなってしまうのか代官がいた苓北や天草氏がいた天草町河浦町方面強いですね。交通手段が主に船だったということの結果でしょうね。
初級問10に前半に書いた天草本出てます。
あ、そうそう。この間オークションにですねこんなものが出ていましてびっくりしたのを載せます。

これはキリシタン軍旗といって正覚寺から譲り受けたと箱書きにも記載してあった。
これがもし本当だとしたらこれは天草の宝ではないかと思ってこの写真だけでとても興奮いたしました。
正覚寺とは近年まで天草の歴史との関係がよくわかっていなく改築時に床下からイエズス会の墓碑が発見されたことで特に重要だということがわかりました。この正覚寺建立前の名前が天草唯一の南蛮寺だったということです。
この問題は上級問18に出てます。
天草島原の乱当時の物だったとしたら、400年前の物がこんなにきれいな状態で保存されてたことに驚きです。こんなもの個人が落札しても保存できないよと思いながら入札してましたが20万超えちゃいまして落札は無理でした。
これが間違いなく本物だと証明されたら市どころか県の重要文化財指定は確実でもしかしたら国までいくかもしれない。それぐらいすごい物。天草市または上天草市が保有し専門家による保存をされるべきだなぁと思います。もう空気に触れたら溶けてなくなっちゃいそう。
ということで今回検定を通して天草の歴史を表面だけでも勉強してみました。いろいろ思うところはありました。個人的な感想を言いますと、天草は広い。全部を完璧に調べたり勉強することは私には無理だと思いました。地元の歴史研究家さんとの手紙のやり取りでもいろいろ教わりながら勉強しているのですが、その方からも言われました。天草の歴史はほどほどにした方が良いと。少しばかり勉強してみてなんかその意味がちょっとだけわかりました。
その意味を私は詳しく書くことはないと思います。私は牛深の歴史を知るために天草全体の歴史が知りたかったのです。でも思った。天草と牛深は結構違うかも。
天草の歴史はみなさんにおまかせしてこれ以上勉強しません。私は牛深に特化して勉強することにします。
天草の歴史は面白いよ。でも牛深の歴史ももっと面白いよってね!
2014年03月26日
私が知らない歴史はきっとあなたが知っている
いやぁ、天草市長選白熱しましたね。
なんといいますか、これについてはコメントに困ります。
まず牛深からの市長でうれしいです。安田さんは個人的には大好きなので私にこの選挙権があったら難しかったと思います。
今回の結果はもちろん周辺町村の町長さんはじめ周辺町民の方々のご協力があってのことだとわかっていますが、開票率90%越えても同票で接戦してた時に、なんか牛深の意地みたいなものが感じられて涙が出そうでした。
そして、力不足で申し訳ありませんでしたと悔しさいっぱいで顔を歪めて頭を下げる安田元市長を見ても涙が出そうになりました。安田元市長に最高の敬意を表したいと思います。
天草市長2期おつかれさまでした。本当にありがとうございました。安田市長から天草の賞を直接貰うことは夢となってしまったかもしれません。また再度市長になられることがあれば私の夢の続きをお願い致します。
牛深のみなさん本当にお疲れ様でした。
中村五木新市長万歳!
今後の天草市政にさらなる期待を致します。よし!今度は五木市長からも直接賞状がもらえるようにがんばるぞ!
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こんにちわ!
はじめましての人ははじめまして!

ということで先日ありました天草観光文化検定上級の合否通知書が今日届きました。
初級と上級両方いただきました。
初級は729人が合格。上級は71人が合格したそうだ。
かたらんなの皆さんの中でも認定受けた方も多い事でしょう。
今回が初めて開催された天草検定だということで、私の天草への意気込みというか愛情表現の一つの尺度として個人的に大事にしたのはその認定番号だった。
実は両方共
1桁の番号を
頂きました。
だって申し込み用紙が届いてその足ですぐ振込に行きましたもん!1桁だぜ!ちょう嬉しい!もちろん1番は市長さんかな?なんて思ったりしながら。
これは単純に申し込み順なのですが、もちろん例えば認定番号が1だったとしたらその人が一番天草を大事に思っているかと言われたらそうではないのはわかっている。けれど天草を大事に思っていない人がいち早く回答したりいち早く申し込み手続きをしたりするわけがない。一つの尺度と書いたのはそういう意味です。
この認定を受けたことで少しはこのブログにも説得力は出るだろうか。
問題自体の分析も行いましたのでまた次回にでも書きます。
全体的な感想は天草の事をほとんど知らなかったから勉強するきっかけになったので検定を作って頂いてほんとに感謝しております。上級試験の方は新聞にも写真が載っておりましたが受験者は、年配者が多く私と同世代や学生さんだと思われる方はほんと一握りでした。
受験者数自体が少ないのが残念とおっしゃってる方もいらっしゃって、私も同時に若い世代も受験していないのが残念に思いました。受験料が3150円・・・うーん。学生のお小遣いではちょっと高いかもな・・・学割なんかしてあげた方がいいと思います。その分社会人は500円ぐらい上げてもいいです。
若い世代にこういう歴史を教えたほうが天草は良い方向に進むと思います。逆に知らないからちょっとずれた方向に進んでるように思っています。
今回天草の勉強をしてみて、初めて知ったことが、もちろんたくさんありました。
私にとっては天草の印象もガラッと変わってしまうぐらいの事だったかも知れません。
来年は天草の方皆さんが受けて欲しい。
歴史を知るということは今回のような選挙はじめ、政治に置いてもとても重要な判断材料になります。
小学校を統合して、無くさないでいい学校ですら新しく作りかえて無くす。歴史や伝統はそれだけの生きてきた人の証であり想いである。
玉名の方では統合が決まってしまった小学校の統合予算を否決することで統合させないように議員を説得して抵抗をしている。
宇城の方では校歌が無くなるのが嫌だということでCD録音を残されたり運動が起こったそうだ。とても素晴らしいではありませんか。みなさんしっかり考えているところもある。
天草ではどうだろう?私の母校牛深小学校は139年の歴史ですよ。なんで無くしたんですか。なんで残念に思う人はいないんだろう。
物事は歴史を最重要視して判断したほうがいいと言っても過言ではありません。
いつか牛深小学校についてもこのブログでまとめるため資料集め中です。まとまり次第公開を致します。お楽しみに。
2014年03月24日
僕もその縫い目から溢れだすほどに満たして欲しい(牛深舞台の演劇)
古来より日本では月を神聖なるものと考えその年最初の満月を小正月と呼び、ちょうど半分に当たる満月日をいわゆるお盆という。
お盆とは仏教だと思っている方が多いと思いますが、もともと神道にあった先祖の霊を祀るものに仏教が合わさって仏教神事となったものなのだ。
さてさて、牛深第五景で描いた通天公園からの夕日のイラストを提供させてもらってましたがそのイラストを使っていただいた劇団ゼロソーさんの公演が22日と23日あった。
牛深総合センターでの公演も以前何度かあってましたのでゼロソーご存知の方もいらっしゃるかな?
代表の方が牛深出身で、今回は牛深を舞台にした物語だということで通天公園からの景色依頼だったわけです。
-----------------------------------------------
『チッタチッタの抜け殻を満たして、と僕ら』
舞台はとある田舎の港町。
幼少期をこの町で過ごし、今は地元を離れたそれぞれの場所で生活を送る青年らが、
ある夏、約20年ぶりに集合、してしまった。…彼らのアイドル、チッタチッタの家の仏壇の前で。
額に1本の線路みたいな大きな傷をもった少女、チッタチッタ。きっと死因はその傷が示す彼女の持病にあったのだろう。
彼女の遺影を前に思い出語りをする同級生たち。
と、突如、彼らの目の前に幼い頃のままのチッタチッタとその愉快な仲間たち(妖怪?幽霊?)が現れた!
幼なじみたちにしか見えていないチッタチッタと、チッタチッタが見えない地元の人達が織りなす、ゼロソー式80年代ジュブナイル・シットコム。
港町の潮の香りに少しだけ切なさも味付けして、ゼロソー総出演でお送りします。
-----------------------------------------------
うはぁこれはおもしろそーってことで2回観劇させてもらいました。
このチッタチッタとは牛深の言葉かな?天草の言葉かな?まぁいわゆる・・・言いにくいことはっきり説明してしまえば知的障害者のことで、ちった(少しばかり)脳の発達が鈍い人のことの通称だ。
これだけの説明ではこの作品がバッシングされそうなのですが、この作者はこのチッタチッタの抱える問題に真摯に向き合い、それを優しく包み込む愛情いっぱいのバッシングすらはねのける作品に仕上げた。
あ、えと・・・このブログまでパンフで宣伝してもらってました。ありがとうございましたm(__)m
道案内などにもイラスト使われてましたがさらに嬉しい事にいろんなグッズにもイラスト使われてました。

このイラストの牛深第五景→こちら
*.♪★*・゜・*♪*.♪★*・゜*.♪★*・゜・*♪*.♪★*・゜*.♪★*・゜・*♪*.
こんにちわ!
はじめましての人ははじめまして!
で、そのお話がお盆のお話だったのです。
感想です。
まだ都城公演が残っているとのことなのでストーリーは書きません。2回見たうちの2回目は1回目よりも深く理解でき泣きました。
なんといってもチッタチッタの可愛さでしょうね。
目の前で見る役者さんの迫力っていうのはテレビや映画とは違い終始役者さん凄いなぁってドキドキしながら物語に引き込まれました。
ただ見るだけではなくて絵を描くものとしてたくさん目に焼き付けたくて、役者さんの表情はもちろん指先の動きとかお客さんの目線が集まってる時の他の役者さんの動きとかそのときそのときの小道具の場所とか細く見させてもらいました。もちろん全部は見ること出来なかったけど片時も目を離せなかった。
物語上自然にその登場人物がそこにいるように見えるのに、すべてがその場所でなくてはならずすべて計算された物を自然に見せられていることに気がつくと演劇に対して無知である私は、その魅力はとてつもなく大きなものに感じられてうわぁすげぇってなる。
天草に関しては栖本と下浦の妖怪である油すましやアマビエなども天草由来でおもしろかったですね。いつか牛深の浦島伝説のお話も作って!資料は私がいろいろ持ってるからその時は渡します(+_+)
ほんと個人的な好みの問題になるのか一言だけストーリーについて書くと、チッタチッタを見える人と見えない人の違いは何なのかを知りたかった。見えないけどそこにいる。見えないけど見たい!で感情移入したかったです。
今回も書きたいことはいっぱいありますが、これ以上書くとネタばらしになりそうだし、劇団の関係者にはうざがられそうwなのでやめましょうw
最初に書いたように物語の季節はお盆ということでその夏というものはノスタルジックにさせてくれます。
照明も夕日の演出だったりセミの音響だったり効果的に使用してあって牛深を想い幼少期を懐かしみました。あ!指定されてなかったけどこの絵は夏の牛深の絵だったー!描いたのが違う季節じゃなくて良かった。
先日3月21日は春分の日でした。今回公演日が3月22日23日ということで、春分の日前後3日間はお彼岸の時期に重なります。お盆が月に対しての神事に対して、このお彼岸は太陽に対しての神事なのです。
しつこいようですがこれも仏教だと思ってる方がたくさんいらっしゃると思います。
お彼岸も元々は神道であり仏教神事であります。もう少し詳しく言いますとお盆はご先祖様(亡くなった方)の方から降りてきてくださる神事でお彼岸は生きている人々からご先祖様(亡くなった方)に近づいて祀る神事です。
その意味でいえばゼロソーさんがここまで考えてこの日に公演をしたのかはわかりませんが私はお彼岸にこの物語が公演されたことをとても素晴らしく思います。チッタチッタの事を想う人々はチッタチッタに自分の意志で近づいた。こんなにも物語とマッチして美しい公演日はないでしょう。
劇団ゼロソーのみなさまおつかれさまでした。そしてありがとうございました。
お盆とは仏教だと思っている方が多いと思いますが、もともと神道にあった先祖の霊を祀るものに仏教が合わさって仏教神事となったものなのだ。
さてさて、牛深第五景で描いた通天公園からの夕日のイラストを提供させてもらってましたがそのイラストを使っていただいた劇団ゼロソーさんの公演が22日と23日あった。
牛深総合センターでの公演も以前何度かあってましたのでゼロソーご存知の方もいらっしゃるかな?
代表の方が牛深出身で、今回は牛深を舞台にした物語だということで通天公園からの景色依頼だったわけです。
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『チッタチッタの抜け殻を満たして、と僕ら』
舞台はとある田舎の港町。
幼少期をこの町で過ごし、今は地元を離れたそれぞれの場所で生活を送る青年らが、
ある夏、約20年ぶりに集合、してしまった。…彼らのアイドル、チッタチッタの家の仏壇の前で。
額に1本の線路みたいな大きな傷をもった少女、チッタチッタ。きっと死因はその傷が示す彼女の持病にあったのだろう。
彼女の遺影を前に思い出語りをする同級生たち。
と、突如、彼らの目の前に幼い頃のままのチッタチッタとその愉快な仲間たち(妖怪?幽霊?)が現れた!
幼なじみたちにしか見えていないチッタチッタと、チッタチッタが見えない地元の人達が織りなす、ゼロソー式80年代ジュブナイル・シットコム。
港町の潮の香りに少しだけ切なさも味付けして、ゼロソー総出演でお送りします。
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うはぁこれはおもしろそーってことで2回観劇させてもらいました。
このチッタチッタとは牛深の言葉かな?天草の言葉かな?まぁいわゆる・・・言いにくいことはっきり説明してしまえば知的障害者のことで、ちった(少しばかり)脳の発達が鈍い人のことの通称だ。
これだけの説明ではこの作品がバッシングされそうなのですが、この作者はこのチッタチッタの抱える問題に真摯に向き合い、それを優しく包み込む愛情いっぱいのバッシングすらはねのける作品に仕上げた。
あ、えと・・・このブログまでパンフで宣伝してもらってました。ありがとうございましたm(__)m
道案内などにもイラスト使われてましたがさらに嬉しい事にいろんなグッズにもイラスト使われてました。

このイラストの牛深第五景→こちら
*.♪★*・゜・*♪*.♪★*・゜*.♪★*・゜・*♪*.♪★*・゜*.♪★*・゜・*♪*.
こんにちわ!
はじめましての人ははじめまして!
で、そのお話がお盆のお話だったのです。
感想です。
まだ都城公演が残っているとのことなのでストーリーは書きません。2回見たうちの2回目は1回目よりも深く理解でき泣きました。
なんといってもチッタチッタの可愛さでしょうね。
目の前で見る役者さんの迫力っていうのはテレビや映画とは違い終始役者さん凄いなぁってドキドキしながら物語に引き込まれました。
ただ見るだけではなくて絵を描くものとしてたくさん目に焼き付けたくて、役者さんの表情はもちろん指先の動きとかお客さんの目線が集まってる時の他の役者さんの動きとかそのときそのときの小道具の場所とか細く見させてもらいました。もちろん全部は見ること出来なかったけど片時も目を離せなかった。
物語上自然にその登場人物がそこにいるように見えるのに、すべてがその場所でなくてはならずすべて計算された物を自然に見せられていることに気がつくと演劇に対して無知である私は、その魅力はとてつもなく大きなものに感じられてうわぁすげぇってなる。
天草に関しては栖本と下浦の妖怪である油すましやアマビエなども天草由来でおもしろかったですね。いつか牛深の浦島伝説のお話も作って!資料は私がいろいろ持ってるからその時は渡します(+_+)
ほんと個人的な好みの問題になるのか一言だけストーリーについて書くと、チッタチッタを見える人と見えない人の違いは何なのかを知りたかった。見えないけどそこにいる。見えないけど見たい!で感情移入したかったです。
今回も書きたいことはいっぱいありますが、これ以上書くとネタばらしになりそうだし、劇団の関係者にはうざがられそうwなのでやめましょうw
最初に書いたように物語の季節はお盆ということでその夏というものはノスタルジックにさせてくれます。
照明も夕日の演出だったりセミの音響だったり効果的に使用してあって牛深を想い幼少期を懐かしみました。あ!指定されてなかったけどこの絵は夏の牛深の絵だったー!描いたのが違う季節じゃなくて良かった。
先日3月21日は春分の日でした。今回公演日が3月22日23日ということで、春分の日前後3日間はお彼岸の時期に重なります。お盆が月に対しての神事に対して、このお彼岸は太陽に対しての神事なのです。
しつこいようですがこれも仏教だと思ってる方がたくさんいらっしゃると思います。
お彼岸も元々は神道であり仏教神事であります。もう少し詳しく言いますとお盆はご先祖様(亡くなった方)の方から降りてきてくださる神事でお彼岸は生きている人々からご先祖様(亡くなった方)に近づいて祀る神事です。
その意味でいえばゼロソーさんがここまで考えてこの日に公演をしたのかはわかりませんが私はお彼岸にこの物語が公演されたことをとても素晴らしく思います。チッタチッタの事を想う人々はチッタチッタに自分の意志で近づいた。こんなにも物語とマッチして美しい公演日はないでしょう。
劇団ゼロソーのみなさまおつかれさまでした。そしてありがとうございました。
2014年03月13日
路木ダム再開のお知らせ
『湯水のごとく』使う。
というのは『無尽蔵にあるかのごとくどんどん浪費するさま』を言う。
知らない人はいないでしょう。
水というものは無尽蔵にあるものだというのが一般的である。
ただこれは牛深にとっては全くそうではなく例外であった。
前回の続きです。
先日の違憲判決に対する控訴を県は昨日の県議会で決めた。
県は牛深を見捨てなかった。
それに続く今日の熊日の記事が上。
これは県担当者や蒲島さんありがとうと言わざるを得ない。
ほんとにありがとうございます。失礼ながらGJです。
わかりやすく言いますと
『ダム建設費用を県がお金出すのはダメって言われただけで、実際もう完成しちゃったし、水不足対策の為の運用費用は違憲と言われてないからお金出しますよ』
ということだwwww
これほんと不謹慎ですが笑っちゃいます。よくそのように判決解釈してくれた!ほんとに嬉しい。
これは裁判所が(意識的に判決を先延ばししたのかはわかりませんが)ダムが完成した後に判決を出したことと合わさって効力をなす連携プレーでもあるのだ。
裁判所も県も牛深住民の水需要を深刻に受け止めていてくれてたということになる。
今回の違憲判決は全国のダム裁判にいろんな影響を与えようとしている。全国から総スカン食らった路木ダムはまた光を取り戻した。
重要なので何度も言いますよ。
『この路木ダムは他の不必要な税金の無駄だと言われるダムと同じではない』
脱ダム宣言とは全くの無関係のものであり、それと一緒に話されている方がいたらそれが間違いで、田中康夫さんなんか呼んでる場合じゃないんですよ。本質が異なるものを同じにして反対してるおかしさ。
一応今回の県の解釈によるウィークポイントもどうせ反対派につつかれるだろうから先に書いておくと、治水が違法のため、県の補助事業になりえない→なので県は建設費用は出すな→県の補助事業でないなら利水目的でも県がお金出すな。になる可能性がある。というかこの裁判になったらまた違憲になる・・・だろう。
こうなったら、いよいよ牛深を見捨てるか、見捨てない場合運用費を全額天草市が負担するかのどちらか。
県は牛深を見捨てなかった。全天草市民の方も牛深を見捨てないで。牛深は水で苦しめばいいよって方は反対してもらって構いません。見捨てるはずないじゃないって方は反対しないで。お願いします。
今回建設費は先日の裁判で天草市が返還請求を受ければ天草市の税金が使われる。これは全天草市民にとって不利益である。
しかもこれ以上反対されて天草市単独で運用になったらさらに市の税金が支出される。
おわかりでしょうか。普通に考えても天草市民は反対しないほうが、裁判起こらないほうが利なのである。本来ならば前回の裁判自体起こらなかった方が一番の利だった。現時点での天草市民の最大利益最大幸福は反対しないで賛成することなのだ。
早速、上の記事の隣には反対派が取水中止求め申入書出してるけど、ダムは運用され、天草市民(反対派も住んでいる)の使われる税金は増える。先の判決は本当にその方たちにとって勝訴なのでしょうか。
これを読んでもらえた方にはもう答えはおわかりいただけたと思います。
天草市民の方反対しないでください、お願いします。
夏の暑い日。
汗だくになって帰ってきて、ちょっとシャワーでも浴びて、
シャワーから出たら冷えたお水でもぐびぐび飲む。
こんな当たり前のことを旧牛深市民は我慢したり、やめておこうかなんて思う方がたくさんいらっしゃいます。
ご協力よろしくお願いいたします。
河浦一町田地区そして牛深地区に水の自由を。
タグ :路木ダム
2014年03月02日
路木ダム終了のお知らせ
こんにちは
はじめましての人ははじめまして。
天草にとって今日のトップニュースなのは間違いない。
この判決は牛深、河浦だけの問題ではなくなった瞬間だった。
熊日より抜粋
『県営路木ダム(天草市河浦町)の建設に反対する市民らが、蒲島郁夫知事に事業費で支出した約19億9千万円を県に返還し、今後の支出を差し止めるよう求めた住民訴訟の判決で、熊本地裁(片山昭人裁判長)は28日、ダム建設計画を違法と判断し、住民側の請求を一部認めた。事業費返還の訴えは退けた。』
ここまで
とりあえずP173の長い判決文を流し読みですが全文読んでみた。
長い期間の間の出来事なので、その間の住民の意識というものは移ろいやすく判決を出された裁判官もご苦労されたでしょう。
流れをほんとに軽く説明しますと、
1993年、国が路木川へのダム建設を事業採択。県、河浦町、牛深市が基本協定締結
1997年、国が工事実施基本計画及び全体計画書を認可
2001年、県が整備計画策定
2006年、ダム施工計画着手
2007年、水害データは不正確として県へ事業中止を求める陳述書
2008年、県が水害写真の証拠として出していた写真が別の写真だったことを訂正
2009年、2度に渡る事業費返還住民監査請求を拒否、その後熊本地裁へ提訴
2013年、9月本体工事終了
2014年、ダム建設計画は違法との判決
という流れである。
これだけ見ているとまた税金無駄使いしてとか、全面的に行政が悪いという印象になってしまうであろう。
荒瀬ダムの撤去のニュースを見たり、新聞やマスコミが自然破壊やそっちだけの方向へ民意を持って行こうとしてるからである。
牛深の立場から言わせてもらえば今までの不必要なダムとこの路木ダムを一緒にされては困るのです。
言いたいことは山ほどあるが、特に言いたいことだけ。
まず水害写真が別の写真だったということ。これは判決文の説明によると、昭和57年の豪雨水害が主な理由だとしてきたがこの水害資料が法定保存期間を過ぎダム計画時点では無くなっていた。
これがとても痛い。
水害はあったはずなのに証拠がないから裁判では無かったこととなっている。
それに加え、水害の写真だと言われて使われてきた写真が実は別の場所の写真だったということがわかった。これが故意かそうでないかは絶対公表されることはないだろう。
その担当者は墓場まで持っていく秘密事項になると思う。
ただこれがほんとに一番の戦犯である。これについては反論出来ない。結果嘘をついていたのだから。
ただ、なぜこのようになってしまったかの流れも裁判では言及されたそうだ。これも知っておかないといけないので熊日抜粋します。
『当初は水道水供給(利水)のみが目的だったダム計画に、地元からの陳情で治水目的が加わり、国の補助などで自治体の負担が大きく軽減される多目的ダムに変更された。利水目的単独のダム建設では旧牛深市などの負担が大きくなることから、ダム建設を県の事業とするための知恵だった』と指摘されたそうです。
あってはならないことだとはわかっている。でも実情はこれに似たようなことは大なり小なり無数にあるはずだ。法を守る裁判所がこの判決を下すことは当たり前のことかもしれない。法に照らし合わせたらそうなるのはわかる。だからこそ今まで社会はわかってはいても目を瞑ってきたのではないか。
判決文には牛深地区は慢性的な水不足に悩み、その解消は地域住民の長たる願いであると記載してあった。そうなんです、牛深は一貫して利水のみの要望なんです←ここ重要。
ここでご存じない方や誤解されてる方に、牛深の現状を報告します。
昭和36年、42年、59年に牛深は生活用水が不足する水飢饉が起こりました。

牛深・河浦地区は河川の水や地下水源などによる水資源の開発が困難なのです。その後第一第二ヤイラギダムが出来ましたがこれで解消されたとの見方が強まってますが実際牛深の方どうでしょうか?
そんなことはない。
熊本県の方知ってほしい。今の時代でも夏場になると毎年節水が防災無線で流れてます。
ダムの貯水量が底を着きそうで水を大量に使うものは控えて必要最小限にしてくださいのお願いです。具体的には車を洗わないでとか打ち水などの水撒きをしないでなど。もちろん法的に禁止まではされません。禁止されると憲法に抵触する恐れがありますので。
熊本にいるとミネラルウォーターと同等の水が蛇口から出るわけで気にもとめなくなってしまいますが、水に関して言えば牛深は息苦しく他地域と比べて平等ではない。
今回、牛深の人口減少も見込んでこのダムは不必要だとのこと。
ちょっと待て。今は人口減ってるのはわかる。これは裏を返せばこれから先牛深が復興することはないと言っているでしょうか?こんな決定をされて、牛深に企業(水産関係、農業関係)を呼びたくても水ないから無理って断られたらとの懸念はないですか?今でも牛深はトイレも水洗でないところがほとんど、これが全部水洗になったらどうします?
総務省統計局の調べによりますと全国の水洗化率は90.7%だということ。牛深はその少ない10%の方。
なんか健康で文化的な生活を営むなと言われているよう。
今回天草の問題になったというのは、判決文の中で『補助金返還問題、天草市の負担問題』が生じるとのことだった。補助金は国費分15億5000万円返還、水道事業として行う場合の天草市負担分は26億円という巨額増大するそうだ。そこで牛深、河浦ではなくもう天草市民全員の税金問題になったということだ。裁判しないで県と国にまかせておけばよかったのでは!?
同じ天草市として運命共同体なので河浦さんと対立するつもりはありません。だた、治水の要望は河浦から出て、作り始めたらやっぱりいらないとは振り回された牛深の気持ちも察してほしい。これでほんとに川が氾濫して被害が出たらどうするんだろう・・・防災にこれだけあれば大丈夫だということはないと東北の震災で改めて実感したはずじゃなかったのではないのでしょうか・・・
最後に誤解がないように書いておきます。
今回の判決文では『治水』は違法だけれど『利水』は違法ではありません。ダム事業は今のところこれから先の県の計画は凍結になってしまって活用はできません。ダム撤去の動きは今のところ原告団の代表の方のお話によるとされないそうです。ダム完成後にこの判決が出たのがせめてもの裁判官の温情だったのか。
題名を路木ダム終了のお知らせと書いたが、終了させたくないのでここに書きました。これからの経緯を見守りたい。
平成21年1月牛深河浦地区水需要を求める要望書は対象人口の2/3までの署名が集まったそうだ。
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