2013年10月29日

絵を描くということ、そして個人的天皇論

昨日は熊本駅へ両陛下の奉迎にいきました。

新幹線乗り場まで行ってたんですけど、張り切りすぎて規制かかる前に乗り場に入ってたものだから警官ばかりでおかしいなー誰も奉迎にこないなーって思ってたらいつの間にか新幹線のレーンは民間人立入禁止になってました。

規制区域になってるのに一般人の私いる状態、笑。

途中でもちろん声をかけられて不審な活動家と間違われて職質、笑。

しばらく話してると不審者じゃないってわかってくれたみたいで、特別に車両を陛下と同じレーンで拝見するか、下でお迎えするかどちらがいい?ってなって近くで拝見したかったので下に行きますって言っても一人で行動しないでって言われて迎えの警察官が来るまで待機。

2人の警官に連れられ規制の中警官と歩く。下には規制の外で人がいっぱい。視線が痛い。
せっかくなので一番近くで見れるようにしてほしいと要望したら特別場所を用意してくれた。熊本県警ありがとうございます(TдT)そしておつかれさまでした。

私が写した写真や動画は私だけの宝物です。お見せしません。熊本駅では間違いなく私が一番最高の絵を撮れてます。

という話を友達の中で話してたら、友達の母親が見たいのに遠くて見れなかったりして落ち込んでるとのことで見せて欲しいって言われました。

もちろん陛下の事を思う気持ちがある方に見せない訳ないじゃないということでURL知ってる方だけの限定で見せたら大変喜んでもらえたそうだ。

せっかくyoutubeに載せましたが全体公開にはしておりません。
熊本駅の両陛下最高の映像をこのブログを読んでくださってる方たちだけに公開します。ここだけしか見ることはできません。

それではどうぞ↓

おそらく私が今後こんな近くで拝見できる機会はないだろうと思う一生の宝物です。

そして今日は熊本城と城彩苑に奉迎に回ってきて両陛下と共に同じ時間を共有できた貴重な3日間でございました。

*.♪★*・゜・*♪*.♪★*・゜*.♪★*・゜・*♪*.♪。★*・゜*.♪

こんにちは!
はじめましての人ははじめまして!
お車で移動される両陛下を生で見たという友人は泣が出そうになったと言っていた。

今まで天皇陛下の事でそんな気持ちになったのは初めてだそうだ。

僕らの世代ではまだこの大事なことの意味がわからず、もうすぐわかろうとする時期でもあるのだろうか涙が出そうになるようだ。

この事についてはっきりわかりやすく伝えてくれる方が私の近くにもいなかったような気がする。
もしかして伝えようとしてくれた方は居たかもしれませんが私には伝わってなかった。

これの答えは私なりに、はっきりあります。最後に書きますので引き続き読んでいただけたらと思います。

これから下は私が辿り着いた天皇陛下論です。
最高に大きなテーマですけどまた個人的な意見だと思って読む方は読んでください。

まず毎日の生活の中で私は普段ほんとに毎日毎日絵を描いているのですが、その絵を描いてきた長い時間は自分との戦いでもある。

絵を描くにあたって自分というものがどういう存在なのかよく考えてた。自分がわからないのに絵を描いたところでその絵はわからない絵なのではないかといつも絵に説得力がない気がしてた。

そこで自分を形作っているものはなんだろう?と思った。

それは一番最初に思うのはやっぱり家族であったり、愛する人であったり、友人であったり。

そこから視野が広がると、今住んでいる場所だったり、産まれた場所だったりしてそこで気が付いた。
そうです。それがこのブログである牛深八景を描き始めた第一のきっかけだったのです。

牛深と関係ない違う絵を描いていてもいつも牛深が心にあって牛深の事を想いながら絵を描く。
実際の絵だけ見るとまったく牛深なんて分かるわけがない。けど想うと想わないでは決定的に違うのです。

みなさんは何かの2つの絵を見た時にどちらも同じような絵なのに片方だけ賞をとってもう片方は落選ってことあるでしょ?

実はその違いはそこなのではないかと気が付いた。そういうことに気が付いた人はいろんな絵を描くときにもいろんな気配りができるということだ。

もっとわかりやすく簡単に例を出すと、人物画を描くときによく人物デッサン(クロッキー)をたくさんしなさいと教えられる。これの意味は人体の骨格や筋肉の付き方動きなどを知っていないと人物画は描けないからだ。だからデッサンは大事なのだ。

風景画や静物画はどうだろう。
実はこれも同じなのである。風景を描くに当たってはその山がどういう山でどういう名前でその由来は?とか何があって何の動物がいてなどなどたったひとつの山を描くにもたくさんの情報を知っていれば知っているほどその絵には自然と深みが増します。見たままを描けばいいなんて思ってるのは間違いなのです。

もうおわかりでしょ?そういう情報を知らないで描いた絵とそうでない絵は見た目同じようでも全然違う絵なのです。

それが分かる人にはわかるもので、そう気が付いた時に全部とは言いません、私もそういう風に物事を見ることが多少できるようになった。

そんな風に思ってたら、牛深よりもっと広い視野になってそれが熊本になり日本になった。

ここで国家の存在に辿り着いた。
日本の歴史に興味が湧き、日本の起源に興味を持った。

先の大戦の事を再度勉強したりした。そして古事記や日本書紀を読んだ。




目から鱗が落ちた。




日本の歴史とは天皇家の歴史だった。
こんなこともわかっていなかった自分がとても恥ずかしかった。

と同時に嬉しかった。

そんなことは知らなかったのに、自分の周りではその天皇家にまつわることがたくさんあって自然と普段の生活に馴染み自分を形作っていたからだった。


知らなかったことを公表するのは恥ずかしいですけど気付いていない同世代より下の方にでも伝わればと思い少し書きます。

子供の頃昔話で桃太郎だとか浦島太郎だとか鶴の恩返しだとかみなさん読んでもらったことない人はいないでしょう。

全部古事記が元だった。

当たり前すぎて誰も言ってくれなくなってたんだな。(一人でも古事記をちゃんと読んでみようと思う方がいてくれれば嬉しいです)

初詣に行ったことない人もいないでしょう。いろんなお祭りや行事も一回も参加したことない人はいないでしょう。国民の祝日で学校やお仕事が休みになったことがない人もいないでしょう。君が代歌ったことない人もいないでしょう。御飯食べるとき『頂きます』もやってる。などなど枚挙に暇がないですね。

全部ぜーんぶ天皇家に関わってた。

天皇陛下がいらっしゃらなければそれは日本ではないし、そして今の私もいなかった。

ここで最初の疑問に戻るわけです。
なぜ天皇陛下を拝見すると涙が出てくるのか。

上記した理由がはっきりわかってなくても知らない間に日本人で日本に住んでいれば天皇陛下の存在がすべての日本人の心にあるからなのだ。

ここまで読んでそんなわけないじゃんって思う方は、戦後米軍に占領されて憲法を新しく作り変えさせられた中、頑なに譲らなかった憲法第一条をもう一度見直してきてください。日本はこれを一番大事にするから一番最初に持ってきてるという先人の想いを知ってください。

このことを2600年もの長い長い間、日本は時には命がけで大事にしてきたのだ。

そしてこのお話は私の次の牛深第六景へと続くのです。乞うご期待。















タグ :天皇陛下

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この記事へのコメント
熊本駅での出来事(笑) 良い思いでになりますね。
近くでご覧になれて運があります!

私は勉強不足で何もわかっておりませんが、日々 日本を私達国民を案じてくださる天皇皇后陛下を敬う気持ちをいつももっております。今回の熊本への行幸啓でさらにそれが強まりました。
Posted by あひるちゃん at 2013年10月29日 08:01
〉あひるちゃん
ほんとです。いい思い出になりました。
今日の熊日にも今回の行幸啓まとめてあったので保存しておこうと思いました。
Posted by hirokhirok at 2013年10月29日 22:21
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