2015年01月28日

熊本県の天草,牛深の義務ナジウム

26日の熊日の新生面に大変驚いた。



(クリックにて大きな画像)

先日私が観劇してこのブログでもご紹介した義務ナジウムの事が書いてあった。あの新生面にだ。

ここって国を代表する偉人の言葉や国家単位で今まさに起こっている出来事などが書かれる場所でしょ。
初見さんにも優しいブログ(笑)を目指すということで繰り返しますが、この記事中『在熊劇団の主宰者が書いた脚本』この脚本を書いた主宰者が牛深出身の方なのです。これは凄いの通り越した。物凄く凄いw

毎回この劇団の演劇を見て私が思うことは、一見日常の中の出来事のようでその作者の根底には牛深があり、そしてそこから日本という国を見てると感じてた。

新生面を書かれた方も観劇されそう感じられたということでしょう。

黄昏に緋を穿つ♫ 牛深の弓矢~♪
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こんにちは!
はじめましての人ははじめまして!

前半以外にも前回熊日さんの記事載せてましたが、熊本公演の後にも記事が載ってましたので記録のためにご紹介致します。

(クリックにて大きな画像)

東京公演は東京熊本県人会でも告知され、連日満員だったそうだ。


今回名実ともに熊本県を代表する劇団と認められたという事でしょう。
関係者の皆様お疲れ様でございました。さらなるご活躍を。

(追伸)
ちなみに以前書きましたがその劇団の『チッタチッタの抜け殻を満たして、と僕ら』のときのポスターなどの夕陽は私が描きました。そのチッタチッタのお話はほんとに少しずつwアニメ化するため動いていますwその他の物語もマンガ化の権利を頂いておりますので全部私がマンガにするのだ!気長にゆっくりゆっくりお待ちください
なw  


Posted by hirok○ at 20:24Comments(2)【所感】劇団ゼロソー

2015年01月22日

どうやら牛深ハイヤが本気出してきた-牛深第九景その一

こんにちは!
はじめましての人ははじめまして!

牛深八景の新作『第九景(その一)』でございます。ちなみに書籍化した牛深八景には八・五景(ハイヤ大橋、海彩館)が収録されております。

今回は大テーマの『牛深ハイヤ』で2回に分けたいと思います。
1回めの今回は混同しないように牛深ハイヤ自体について。2回めは牛深ハイヤ祭りについてまとめます。

細かすぎることは伝わりにくいと思いますので、できるだけ簡潔にいきますね。

九州内ではハイヤ節、ハンヤ節。東北、北海道ではアイヤ節、宮城県や茨城県では塩釜甚句とか潮来甚句と呼ばれるこの唄の源流が牛深ハイヤ節と言われている。有名どころである四国の阿波踊りや新潟の佐渡おけさなどもこの影響をうけているとされる。

まずこの説明で有名なものが
『ハイヤ ハンヤは何処でもやるが 牛深ハイヤは元ハイヤ
この言葉は古典邦楽、民謡学研究科権威の町田佳聲(まちだかしょう)先生のお言葉で牛深発祥だとお墨付きを頂いている。

もう少し詳しくご紹介しますと、通天橋の袂にあるハイヤ節発祥之碑から転載致します。(じっくり読まれた事がある方も少ないと思いますので)

 「ハイヤ節」は元禄時代から唄いだされたもので当時の船乗り達が荒波を越える人達の心情を唄いあげたものである。当時寄港船の船乗りを相手に、牛深乙女が大いにもてなし時化ともなれば何処の「料亭」も賑いを見せ三味線、太鼓等その場に有るものをたたいて調子をとり熱狂的に唄い踊り一文無しになる迄遊び通した姿を「酒盛り唄」として唄いつがれたのが「ハイヤ節」だと伝えられ密貿易船と共にサツマ、長崎、北海にと、日本海の暖流に乗って全国の港町に上陸し歴史と共に唄い続けられて来たが之を牛深市恒例の「ハイヤ祭り」として永く後世に残す為この碑を建立するものである。        昭和五十年四月六日

この石碑に彫られている文字自体もすべて町田佳聲先生の文字だそうだ。

補足説明。
ここでも書かれているように元号は元禄(1688年~1704年)。まさしく江戸時代である。幕府五代将軍徳川綱吉の時代。歴史がとてもとても深い。

江戸時代ということでもちろん遠見番所の時代と重なります。密貿易のことは御番所編で数回説明済み。薩摩の密貿易については牛深にとって特に重要事項なので後日御番所編で詳しく掲載予定。

どうやって日本中に広がっていったのかというのは説明すると長くなりすぎるので、限界まで簡略します。

交通手段は主に帆船。牛深から大阪に向かう上下2つのルート船でそれぞれ立ち寄る町々で落とし唄い継がれた。直接牛深へ来てない船も大阪までの航路の重なる場所でハイヤを聞き東日本や北日本まで広がったとされる。これには歌だけが運ばれた為、三味線や太鼓が継承されず現代のハイヤ系民謡はそれぞれ調子や抑揚に各地の色が反映されていてその違いが現代ではとてもおもしろい。

牛深から北へ向かって大阪への航路を持つときに、南風が必要でその南風のことをハエん風と呼び、ハエがハエヤになり、ハエヤがハイヤになった。

歌詞からみても「料亭」の牛深乙女目線でしょう。その料亭の女性が作ったのかもしれない。着物の裾を三角に折り下に来ている赤い長襦袢を見せる着方をして艶を出すのはその名残りだと思う。
当時の「料亭」の女性は博学で頭も良く、仕事柄外部の人間と話すことが多い為知識も豊富だったとのこと。多少の外国語なら話せる人も少なくなかったそうだ。

政府が初めて貨幣を発行した時期で、その貨幣自体を牛深では持ってなく貧しかった。
薩摩の船が暴風がくると内海の牛深港に避難をした。時化待ちのときにその薩摩の船乗りが料亭に通ったということだ。おいしい物をたくさんご馳走してくれる上に、初めての貨幣をくれて、その上面白い他国の話をしてくれる船乗りに対して牛深乙女は真心を込めて接客をしたそうだ。
もうおわかりでしょう。その貨幣というのが新銀でその接客が新銀取坂(第三景)として残っている。
その魅力を知った船乗り達はせっせと牛深へ通い帰りは無一文になったという。
これが歌詞になっているとても有名な部分↓
『牛深三度行きゃ三度裸』である。

全国へ広まったということはそれだけ牛深の町がとても楽しかったということなのでしょうね。


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今回ハイヤをなぜ勉強し直したのかというと昨年末の天草を絵描くコンクールで牛深ハイヤを描いたからです。
その結果はもう本人には通知されているですが私は目指した賞は頂けなかった。力は出し切った感があったのでとてもこれに落ち込んだ。

去年の今頃はもうその絵の構想立ててたなぁとか取材何回もやったりハイヤ祭りの時も資料をたくさん集めたな。牛深への想いをたくさん詰めこんだつもりだったけど力及ばずお恥ずかしい結果になってしまいました(>_<)

牛深の人に認めてもらいたいと思っているのに僕の恋はなかなか成就いたしません。
牛深の方々に見てもらいたいので恥を忍んで公開します。この絵が僕の牛深第九景『牛深ハイヤ』です。

クリックにて高画質

まずデッサンで構図決めをするときに3枚の絵を描いた。
長い間伝わっている漁師さんたちの元ハイヤ、と保存会の方々のハイヤ、と一番新しい世代の牛高郷芸部のハイヤ。
その中でこの2枚を油絵にした。元ハイヤから牛高生までの継承する文化が美しくて表現したかったからこの2つを一つの作品として余計なことは言わず『牛深ハイヤ』と題した。


幸いにもすでにこの絵を欲しいと言ってくださっているがこの絵に箔を付けてあげれなくてほんと申し訳なく思う。
僕は人物画専攻だったのでこれが限界に近い。この路線では天草ではおそらくこれ以上の賞を頂くことはできないと思う。目標を見失って心に穴が空いたようだった。

あまり暗いお話に伝わるといけませんね。でもその気分も持ち直しそうです。
また違う絵を全国規模の大きな賞に応募してたのですがその審査結果が速達で送られてきた。はいはい、どうせダメだったんでしょ?って見たくないって思いながら見た。もちろん受かるわけはないのですが、審査員の評価の手紙が入っていた。こういうのは大抵問題点の指摘などが多いのですが、古風でありながら現代にも通用する画風であるとか好感が持てるとか仕上げが丁寧であるとか勇気付けられる事が書いてあった。

こんな僕でも評価してくれるプロもいるんだなと描く気が起きなかった心にまた光が灯った気がした。

これからおそらくハイヤの絵はたくさんたくさん描くと思う。
その処女作が今回のハイヤの絵。
その『牛深ハイヤ』は今週末1月25日(日)から31日(土)まで牛深総合センター4階にて来月は本渡でも展示されます。実際の油絵を僕の筆の一筆一筆に込めた牛深への想いをどうかみてやってください。お願いします。

ということで次回の八景は牛深ハイヤ祭りについて書きますね!長文お付き合いありがとうございました。




  


Posted by hirok○ at 01:53Comments(4)牛深八景

2015年01月19日

僕の私の義務ナジウム

こんにちわ!
はじめましての人ははじめまして!

最近あることがあって絵の調子がすこぶる悪くて全く描けない・・・自分では描きたいのか描きたくないのかもわからない。
過去最大の絶不調というわけですよ。ほんと笑えない。もともと見に行く予定でしたが何か変わるきっかけを貰えるかもしれないと少し期待を持って行って来ました。



15日の熊日の芸能欄に載っておりました上の記事。
熊本の劇団ゼロソーの主宰が牛深出身で観劇に行くと毎回感想を書いております。

今回はゼロソーさんの演劇ではありませんが、そのゼロソー主宰の方の脚本を東京の第一線で活躍されている演出家さんが演出をされた。この演出家さんは宮崎出身で熊大を卒業後熊日で記者を4年ほどされた後東京に移られたそうだ。

主催は文化庁と日本劇団協議会で地方の芸術団体のレベルアップを図るという目的で国の予算が出てるとのこと。国も良い事業やってるんだな。

楽しみにしておりましたので17日の夜と18日のお昼と2回行って来ました。


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過疎化の問題にスカッシュというスポーツを使って町興しを考えている陸の孤島・美女都村。
その村にはいくつかの昔から伝わる風習や決まり事があった。その風習が現代にはそぐわないところがありどうしても認めたくない外部から嫁ぎに来た人と伝統だから守らなければならないという地元の人たちの間での物語。

九州の山奥という設定だったけど熊本弁でしたね。『むぞらしかね~』(かわいらしい)っていうセリフがありました。天草では『みぞらしかね~』ですよね。みぞらしいという方言があるのは他に長崎で、天草弁が長崎弁に似ているのは天草が船で長崎と行き来していたという証拠でしょう。天領として長崎奉行が治めてた名残りですね。( ゚д゚)ハッ!脱線してしまったwここは御番所のブログじゃなかったので戻ります。

大まかな感想は、とてもおもしろかったです。物語の違和感は全くなかった。むしろ引き込まれすぎて作り話に思えなかった。近代化する前の日本では今回のに似たような話はほんとにあったのを話だけ聞いたことがある。どこかひっそりと外部と遮断されている場所では今だにあってるのだろうか?

作り話に思えなかったのはそれだけリアルに設定がされていたということでしょうね。
僕はこの地元歴史ブログを書いているように歴史や伝統を最重要視しているので、当初一方的に伝統を守る地元側立場で見るのかと思っていましたが、対立する問題が性の事でもあり心があるのでその伝統に納得出来ない人の言葉に揺さぶられた。

作者はどっちが大事だと伝えたかったのだろうか?それともそれは見たそれぞれの人達が判断してもいいのだろうか?もちろん僕の中では揺さぶられはしたが答えは変わっていない。

お話に出てきましたが土俵に女性は上がれないとかそういう伝統は守らないといけない事に理由を求めたがる。こういうので真っ先に女系天皇の事を思った。なぜ女系天皇が認められないのか。ここでは詳しく書く必要がないので書きませんが、この問題に似ている。これってもちろん遺伝子的な細かい事もあるんですけど一番わかり易い最大の理由にこういうのがある。

『ずっと男系で続けてきたから』以上。

これが理由じゃないようで理由であり歴史を大事にするということだそうだ。

今回のお話の風習がどれくらい続いてきたのかはわからない。でも長い間続いて来ているのは守っている人たちを見て伝わる。何十年何百年と続いてきたかもしれない。それに比べたった20年30年~しか生きていない後世の人が断ち切るのはいけない・・・っていうのが基本なんだけど今回のは沙織さんの気持ちが伝わりすぎてとてもとても切なく苦しかった。

我慢できずに涙を流しました。その会場の空気も相まってもうこれ以上続いたら心が耐えられないぎりぎりって思ってた所で亀久寿さんの笑いで空気を変えて負担を抜いてくれました。あそこ見てて超気持ちいい。涙を拭いながら笑う気持ち良い感じ。

演技というかリアルすぎて役者さんの心の負担の方が心配になっちゃうぐらいでした。演技が終わってもしばらく涙が止まらないんじゃないかなってw


佐右衛門三郎二郎さん、マンガのような驚きの顔にはほんと笑いました。貫通石のとこも笑わせて頂きましたwお笑い芸人さんですか?wおもしろい演技で終始楽しめました。あと個人的なことで直接言えなくてこの場で申し訳ないのですが年賀状お返事ありがとうございました(>_<)
千晶さん、スローのとき座って目を潤ませてるシーン、あそこキラキラしてました。絵になります。髪伸びました?そのまま伸ばします?
終わってからの撤収作業も少し拝見させていただきましたが、あんなにたくさんの裏方さんがいらっしゃるんですね。その一人ひとりの力が合わさって実際僕ら観客から見えるのは役者さんしかいなくて、役者さんはその方々の代表なんだなって思った。そう噛み締めながら見ると演劇の魅力ってほんと凄いな。演劇のことわかんないから普段ただの視聴者として普通に見てるだけなのでその大変さを理解してるつもりでも理解してなくてすみません。


東京公演も今週末あるので、もっともっと書きたいですがネタバレを避けてやめましょう。

大変楽しかったです。思いっきり泣いてストレス発散出来ました!僕自身も復調するのかな?やる気出さないとだな。
皆様お疲れ様でございました。ありがとうございました。
東京公演も成功しますようにお祈り申し上げます。  


Posted by hirok○ at 03:11Comments(2)【所感】劇団ゼロソー

2015年01月01日

我輩は初詣である

あけましておめでとうございます。

旧年中は大変お世話になりました。ありがとうございました。
今年もよろしくお願い致します。

ということで初日の出を拝む為に熊本城へ行って参りました。
天守閣で明けるのを待ったのですが、残念なことにぶ厚い雲に覆われ初日の出は拝めませんでした。

その後天守閣を降りたら猛吹雪w↓


先着2015名には盃がプレゼントされました。写真内左下。


そして恒例の初詣に行って参りました。

昨年の大きな厄を落とすべくなんと今年は熊本城周りで五社参りをしました!
御朱印はこちら↓

ここまで並ぶと爽快。今神力すごいだろな俺。

昨年の初詣でも書きましたが一番右の熊本大神宮が熊本のお伊勢さんと呼ばれる神社で、熊本の天照さまの御札は伊勢神宮からこちらに来てここからすべての熊本の神社へ配られます。一枚一枚の御札に上下関係はありませんがなんか熊本がひとつになってる大きな力を感じます。

今年はハイヤコちゃんの痛絵馬を描きましてそれは加藤神社で奉納してきました↓

牛深復興も入れておきました(^^)


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後半は神社つながりのお話。
マンガ日本昔ばなしというアニメを覚えてらっしゃる方はいますでしょうか?

そう。子供に見せたい番組としてよく名前が出るあのアニメの事。

かく言う私も大好きだったアニメであるのですが今見てみると、やっぱり内容がとてもいい。日本文化を子供に伝えるものとしては素晴らしい教材だと改めて思った。

その中こんな動画を発見致しましたのでご報告致します。

題名『鳥居を持ってきた乙姫様

どこかで聞いたような・・・って思われた方は私の牛深八景を読んでくださっている方のはずw
第六景で恵美須神社を描いた。そこからその後牛深にまつわる浦島伝説について伝わっている民話を紹介した。
詳しくはこちらの第六景部分

そこで簡単にご紹介したお話がアニメになってた!これは驚きと嬉しさでご紹介しなくてはと思った。
早速ではございますが御覧ください。後に解説補足致します。


MNMB 鳥居を持ってきた乙姫様

この昔話がどこの昔話としてアニメの中で紹介されているというと
『熊本県のずーっと南の方に大島という離れ島があってな』という始まりだった。画像はこちら↓

これはだいぶ簡略化されている地図ではありますが、補足するとこの大島とは牛深の大島の事だ。

そして大島のイメージで使われている画像がこちら↓

あれ?これももうお分かりですよね。
この形は私のブログでも何度も登場している龍仙島でしょう。比較の為の龍仙島↓

おそらく間違いない。この辺りはごちゃまぜに物語を作っているのでしょう。


この物語に出てくる乙姫様。
何度も言いますが牛深に浦島伝説は確実にあった。八景を描くまで私が知らなかっただけw

お話の中では何の神様が祀られているのかはわからない。お社としか表現されていないからであるが、漁関係の神様であるので恵美須神社で間違いではないでしょう。

鳥居を立てて豊漁となり祝いの酒盛りが始まります。→これ恵美須祭り。
ここで踊られたもの。

アニメの中では熊本とわかりやすくしてあった為か認知度の高いおてもやんになっていた。

これはもちろん、磯節やハイヤということでしょう。

牛深の浦島伝説があの『マンガ日本昔ばなし』にもなっていたとは、感動(TдT)

最後に新年縁起良くアニメの中で豊漁時に帰ってくる船の絵で新年のご挨拶とかえさせていただきます。

実際の大漁旗を掲げた牛深の船は、お正月牛深のみなさんのブログでたくさん掲載されることでしょう。それを楽しみに失礼致します。

改めまして今年は皇紀2675年、平成27年明けました。
今年もよろしくお願い致します。              元旦










  


Posted by hirok○ at 11:37Comments(0)牛深八景神道