2013年04月18日
晴れときどき恋
こんにちわ!
はじめましての人ははじめまして!
ブログコメントやいいねしてくださって嬉しく思います。ありがとうございます。
ハイヤ祭りは今週末なのに1週間前に帰るというもったいない帰り方をしましたわたしです。
ハイヤの準備をしてらっしゃる方達や街中に並ぶハイヤの看板を見るだけでもハイヤ節が聞こえた気がしてわくわくしましたよ。
そういえば帰る途中で、天草宮地岳地区でかかし村というのをやっていました。
先に謝っておきます。大変申し訳ございません。
このかかし村、熊日とかニュースとかでお話は聞いておりました。
かかし!?別に見なくても・・・なんて正直バカにしておりました。
結論から言いますと、このカカシ村のクオリティ凄い。ほんと凄い。
最初車で通っていて、何か人だかりがあるなーって思って近くによってみると人形なのに気が付きます。

あれ?この写真ではまだ予想の範囲内ですか?

川挟んで反対側のところ。この写真の中にホントの人もいますけどどれかわからないでしょw
そろそろアップもお見せしますね。

お顔

見てすぐわかりますよ。これは素人の作れるものじゃないって。どなたが作られたのでしょう。
人形の配置だとか空間の使い方とかはもちろん、人の顔の表情ですけどいきなり作ろうと思ってできるものじゃないですね。
わたしもこういうものは学生時代仲間と作ったりしたことありますが、絵を描くということは2次元いわゆる2Dの把握能力が必要になるのですが、銅像などの人型というものはそれ以上の3次元、3Dの空間把握能力が必要になります。
だからこそこの顔が作れ、3枚目に載せたような躍動感ある人形の配置ができるのです。
見る前までの失礼な態度重ねてお詫びいたします。宮地岳地区の皆様。お許し下さい。申し訳ございません。
すごいいいものを拝見させていただきました。ありがとうございました。
人形を見て回っているときに知人から声をかけられてびっくりしましたよ。人形が喋ったってw
人形が人の気配出し過ぎで人と人形の区別が付けづらい感覚になりました。
これはPRさえうまくやればお金とれますね。ふふ、商売っ気出すなって!?w
でもわたしは見た後にはお金払ってもいい気持ちになりましたよ。
いいまちおこしになると思います。
*.♪。★*・゜・*♪*.♪。★*・゜*.♪。★*・゜・*♪*.♪。★*・゜*.♪。★*・゜・*♪*.♪。★*・゜*.♪
牛深八景の絵は今回お休みです。
取材はやって来ました。お話もまたお伺いに行って来ましたよ。また5時間ぐらいお話をして頂いて楽しかったです。
他にも知りたいことあったら電話でもなんでもいいからしてきてもいいよと言ってくださるお気持ちがうれしいです。
ほんとありがとうございます。
八景以外にも今依頼を受けている通天橋からの夕日の素材写真も天気が凄く良かったこともあり、満足行くものが撮れました。2時間ぐらい粘りました。
いいイメージができたのです。
その他にもいろんな場所へ行って道端で軽くスケッチして来ました。
八景に入れるつもりないところはお見せできるかな、ちょっと載せませすね。

これは牛深中学校です。
体育館などは私のときのものとは違いますが正門は懐かしいです。
その他にもほんとは校舎に入る玄関や教室なども写真撮りスケッチしたかったのですが、事前に取材許可もらってなかったので断念いたしました。学校始まってますしね。
その正門のとこで描いていたので、その後正門前のノムラさん(ケーキ屋さん)でケーキを買って行きました。少しは地元にお金落として行かないとなって思いますので、そんなに食べるかな?って思いながら全種類買ったのです。甘いモノは好きです。
そういえばお土産買って帰ろうと思いまして、かまぼこや海の物はいろいろ買ったのですが、数が多くて日持ちがする土産物が牛深にはなくないですか?
クッキーとかパイとか武者返しとか陣太鼓とかそういう系統のお土産物。
土産物屋さんに置いてあるお菓子はありますが牛深で作ってるもの探しましたが無かったです。これいいなって思っても作っているところは御船とかって書いてあるし、これを買ってしまうのは違うなって思ってせめて天草のものということで松島で作っているおせんべいを買いました。
牛深のお菓子のお土産作っても採算合わないのはわかりますが一つぐらい、ハイヤの時期だけでも欲しいなぁなんて思っちゃいました。わがままですね。
絵の方のお休みは今日までにして、明日からまた今描いている本気の作品に戻ります。しばらくまたブログも書けなくなると思いますので長くなっちゃいますけど、もうひとつぐらい今回の帰省の話題書きます。
今回描いてきたスケッチの一つです。
八景に入れる予定ではないので公開。

場所はわたしの通学路であった鬼塚の団地前の2差路。井上スポーツさんのところです。
なぜこの場所を描いたのかというと、気恥ずかしい甘酸っぱいお話になっちゃうのですが、中学生時代私はこの場所で学校に通学するときの数分とある下の学年の女の子と会っていました。
田舎の純粋な丸坊主の少年にとって女性とお付き合いするという概念すらなく、ただ一言二言会話をするか挨拶をするだけの場所。
他の人の目も気になるので、そこから一緒に登校するとかそういうこともなく、そこで別れます。
時間も誰も登校してないかなり早い時間に行っていました。
もちろん教室にも一番に行ってしまうのでカーテンや窓を開けるのが僕の日課になっていたものです。
そんな想い出の場所を今もう一回歩いてみた。
道が広くなっているのかな?整備はされているのだろう。少し変わってはいたけれど、でもそこで会って当時ドキドキしていた僕の胸は今行ってもドキドキしてた。
その後彼女とはどうなったかというと、わたしは高校を熊本に来ましたので離れてしまい、それからは手紙のやり取りを随分しました。
何度か熊本に彼女が来てデートのようなこともやりました。
そのうち僕の方は高校や大学でいろんな人に出会う中彼女と疎遠になったりしました。
今のように携帯電話やメールなどない時代だったので、住所が変わったりするときに事前に伝えなかったため連絡が取れなくなってしまったこともありました。
そして時間がたってふとしたときに彼女はどうしてるかなーって思ったりしてると、彼女もそういう風に思ってくれていたのでしょう。僕の実家の方に手紙をくれてまた連絡取れるようになったりしました。
中学生時代からするといつの間にかそこそこ長い年月が経ってしまってますので、そういう風に連絡先がわからなくなって実家に手紙が来ることが2回ほどあったと思います。
何回疎遠になるんだよ、俺w
大学の時には携帯が出始めていたので、よくメールのやり取りもしました。
また僕が就職してもまだ連絡は途切れず会ったりしてました。
僕が牛深帰るときに合わせて彼女も帰ってきて会ったこともありました。
あれ?この文章の流れは・・・!?って思って読んでいる方もおられるでしょう。
そうですよね。ネットで普通この流れなら、今その彼女はわたしの隣に妻としています。
・・・
みたいにキレイに終わるのですけどそうではありませんw
今僕の側に居てくれる女性はその方ではございません。期待に添えなくて申し訳ございません。
でもね、いつも彼女には幸せになって貰いたいって思ってましたよ、ほんとに。
(余談ですが彼女は彼女でその後ご結婚されております、誤解無いように書きますが、ご結婚されてからはもちろん会っておりません)
そんな初恋の想い出の場所。
はじめましての人ははじめまして!
ブログコメントやいいねしてくださって嬉しく思います。ありがとうございます。
ハイヤ祭りは今週末なのに1週間前に帰るというもったいない帰り方をしましたわたしです。
ハイヤの準備をしてらっしゃる方達や街中に並ぶハイヤの看板を見るだけでもハイヤ節が聞こえた気がしてわくわくしましたよ。
そういえば帰る途中で、天草宮地岳地区でかかし村というのをやっていました。
先に謝っておきます。大変申し訳ございません。
このかかし村、熊日とかニュースとかでお話は聞いておりました。
かかし!?別に見なくても・・・なんて正直バカにしておりました。
結論から言いますと、このカカシ村のクオリティ凄い。ほんと凄い。
最初車で通っていて、何か人だかりがあるなーって思って近くによってみると人形なのに気が付きます。

あれ?この写真ではまだ予想の範囲内ですか?

川挟んで反対側のところ。この写真の中にホントの人もいますけどどれかわからないでしょw
そろそろアップもお見せしますね。

お顔

見てすぐわかりますよ。これは素人の作れるものじゃないって。どなたが作られたのでしょう。
人形の配置だとか空間の使い方とかはもちろん、人の顔の表情ですけどいきなり作ろうと思ってできるものじゃないですね。
わたしもこういうものは学生時代仲間と作ったりしたことありますが、絵を描くということは2次元いわゆる2Dの把握能力が必要になるのですが、銅像などの人型というものはそれ以上の3次元、3Dの空間把握能力が必要になります。
だからこそこの顔が作れ、3枚目に載せたような躍動感ある人形の配置ができるのです。
見る前までの失礼な態度重ねてお詫びいたします。宮地岳地区の皆様。お許し下さい。申し訳ございません。
すごいいいものを拝見させていただきました。ありがとうございました。
人形を見て回っているときに知人から声をかけられてびっくりしましたよ。人形が喋ったってw
人形が人の気配出し過ぎで人と人形の区別が付けづらい感覚になりました。
これはPRさえうまくやればお金とれますね。ふふ、商売っ気出すなって!?w
でもわたしは見た後にはお金払ってもいい気持ちになりましたよ。
いいまちおこしになると思います。
*.♪。★*・゜・*♪*.♪。★*・゜*.♪。★*・゜・*♪*.♪。★*・゜*.♪。★*・゜・*♪*.♪。★*・゜*.♪
牛深八景の絵は今回お休みです。
取材はやって来ました。お話もまたお伺いに行って来ましたよ。また5時間ぐらいお話をして頂いて楽しかったです。
他にも知りたいことあったら電話でもなんでもいいからしてきてもいいよと言ってくださるお気持ちがうれしいです。
ほんとありがとうございます。
八景以外にも今依頼を受けている通天橋からの夕日の素材写真も天気が凄く良かったこともあり、満足行くものが撮れました。2時間ぐらい粘りました。
いいイメージができたのです。
その他にもいろんな場所へ行って道端で軽くスケッチして来ました。
八景に入れるつもりないところはお見せできるかな、ちょっと載せませすね。

これは牛深中学校です。
体育館などは私のときのものとは違いますが正門は懐かしいです。
その他にもほんとは校舎に入る玄関や教室なども写真撮りスケッチしたかったのですが、事前に取材許可もらってなかったので断念いたしました。学校始まってますしね。
その正門のとこで描いていたので、その後正門前のノムラさん(ケーキ屋さん)でケーキを買って行きました。少しは地元にお金落として行かないとなって思いますので、そんなに食べるかな?って思いながら全種類買ったのです。甘いモノは好きです。
そういえばお土産買って帰ろうと思いまして、かまぼこや海の物はいろいろ買ったのですが、数が多くて日持ちがする土産物が牛深にはなくないですか?
クッキーとかパイとか武者返しとか陣太鼓とかそういう系統のお土産物。
土産物屋さんに置いてあるお菓子はありますが牛深で作ってるもの探しましたが無かったです。これいいなって思っても作っているところは御船とかって書いてあるし、これを買ってしまうのは違うなって思ってせめて天草のものということで松島で作っているおせんべいを買いました。
牛深のお菓子のお土産作っても採算合わないのはわかりますが一つぐらい、ハイヤの時期だけでも欲しいなぁなんて思っちゃいました。わがままですね。
絵の方のお休みは今日までにして、明日からまた今描いている本気の作品に戻ります。しばらくまたブログも書けなくなると思いますので長くなっちゃいますけど、もうひとつぐらい今回の帰省の話題書きます。
今回描いてきたスケッチの一つです。
八景に入れる予定ではないので公開。

場所はわたしの通学路であった鬼塚の団地前の2差路。井上スポーツさんのところです。
なぜこの場所を描いたのかというと、気恥ずかしい甘酸っぱいお話になっちゃうのですが、中学生時代私はこの場所で学校に通学するときの数分とある下の学年の女の子と会っていました。
田舎の純粋な丸坊主の少年にとって女性とお付き合いするという概念すらなく、ただ一言二言会話をするか挨拶をするだけの場所。
他の人の目も気になるので、そこから一緒に登校するとかそういうこともなく、そこで別れます。
時間も誰も登校してないかなり早い時間に行っていました。
もちろん教室にも一番に行ってしまうのでカーテンや窓を開けるのが僕の日課になっていたものです。
そんな想い出の場所を今もう一回歩いてみた。
道が広くなっているのかな?整備はされているのだろう。少し変わってはいたけれど、でもそこで会って当時ドキドキしていた僕の胸は今行ってもドキドキしてた。
その後彼女とはどうなったかというと、わたしは高校を熊本に来ましたので離れてしまい、それからは手紙のやり取りを随分しました。
何度か熊本に彼女が来てデートのようなこともやりました。
そのうち僕の方は高校や大学でいろんな人に出会う中彼女と疎遠になったりしました。
今のように携帯電話やメールなどない時代だったので、住所が変わったりするときに事前に伝えなかったため連絡が取れなくなってしまったこともありました。
そして時間がたってふとしたときに彼女はどうしてるかなーって思ったりしてると、彼女もそういう風に思ってくれていたのでしょう。僕の実家の方に手紙をくれてまた連絡取れるようになったりしました。
中学生時代からするといつの間にかそこそこ長い年月が経ってしまってますので、そういう風に連絡先がわからなくなって実家に手紙が来ることが2回ほどあったと思います。
何回疎遠になるんだよ、俺w
大学の時には携帯が出始めていたので、よくメールのやり取りもしました。
また僕が就職してもまだ連絡は途切れず会ったりしてました。
僕が牛深帰るときに合わせて彼女も帰ってきて会ったこともありました。
あれ?この文章の流れは・・・!?って思って読んでいる方もおられるでしょう。
そうですよね。ネットで普通この流れなら、今その彼女はわたしの隣に妻としています。
・・・
みたいにキレイに終わるのですけどそうではありませんw
今僕の側に居てくれる女性はその方ではございません。期待に添えなくて申し訳ございません。
でもね、いつも彼女には幸せになって貰いたいって思ってましたよ、ほんとに。
(余談ですが彼女は彼女でその後ご結婚されております、誤解無いように書きますが、ご結婚されてからはもちろん会っておりません)
そんな初恋の想い出の場所。
2013年04月13日
凛として眺望-牛深第四景
こんにちわ!
はじめましての人ははじめまして!
気がつけばもう4月中旬ですね。
早い早い。
私は普段ほんとに毎日毎日絵を描いているわけなのですが、絵を描くことにも調子のバイオリズムと言いますか、絶好調だったり絶不調だったりその波が訪れます。
これはどういうきっかけでそのスイッチが入るか、どうやったら抜け出せるかその答えは未だはっきりとはわかりません。
絶好調になるにはもちろん体力的なこともそうだし、心のこともそうだし、その他いろんなことが満たさせていないとその絶好調期間には入ることはありません。
その絶好調状態のときの自分は、描きたいという意欲が普段よりも溢れ、思考も普段とは比べ物にならないくらいに冴え、自分が自分でないような感覚になります。
アイデアが次々と出てきてその状態から覚めたときはどうしてそういうアイデアが出来たのかわからなく自分で不思議に思うことさえあります。
この感覚を出来るだけ長く続けさせたくて、何がきっかけで落ちるかもわからないのでほんとにそういう時にはそれ以外のことを出来るだけわたしはしません。
友人からちょっとご飯を食べに行こうよとか飲みに行こうよとかの誘いも調子が落ちるのが怖いので全部断ります。篭りっぱなしで食事をとる時間さえも無くすぐらいに。
そうやって周りの方の干渉も極力無くして協力してもらいます。
前回の絶不調は8ヶ月も続きました。一度落ちるとなかなか抜けだせないから怖いのです。
年が明けました。気力も体力もフルに近かった。
何か絶好調になる予感がする!
これを待っていたのです。ここで一回自分の全力の絵というものを描いてみようと思った。
描ける条件とその意欲とその絶好調のタイミングが重なるのはこれが初めて。
そうやって描き始めたのが年明け1月2日。
そして今日まで一日も空かさず3ヶ月が過ぎました。その間、他の依頼されている絵を待ってもらってひたすら自分の絵を描き続けました。
感情が高ぶり毎日涙を流しながら描き、その絶好調期間は2月の中旬過ぎに解けました。
それからは良くも悪くもない調子に。大事な部分のアイデア出しは終わっていたのでもう解けても大丈夫でした。
しかし結果から言いますとまだ出来上がっていません。進行度で言いますと5分の4過ぎた辺りだと思い
ます。
あとは碁や将棋で言うところの寄せを間違わなければというところなのですが、ここにきて絶不調に入ちゃいましたw
4月初めから描いても描いても納得行かず同じ所を描き直ししてばかりです。
絶不調の抜け出し方を作家の知人に相談したことがある。
その方が言うには「それでも描くしか無い」だった。
何度同じ所描き直しても描くしか無いのですよね。わかってる。
時間ばかり過ぎてしまい焦ってしまうのですが開き直るしかないのでしょう。こういうのは自分を追い込んでもしょうがないのはわかってる。
前回の絶不調の時はその回復するきっかけをくれたのがこのブログである牛深八景だった。
実は不調すぎて自分の絵が描けなくなって縋る思いで始めたのがこの牛深八景だったのです。
ということでまた故郷に頼ります。今週末2,3日牛深帰る。ハイヤ祭りまで待てません。
いきなりですがまたロケハン行きます。またいろんな楽しいお話もお伺いに行きます。もう電話してアポ取りました。
今描いている絵が自分の代表作になることを願って。
*.♪。★*・゜・*♪*.♪。★*・゜*.♪。★*・゜・*♪*.♪。★*・゜*.♪。★*・゜・*♪*.♪。★*・゜*.♪
昨年末描いていた絵なのですが牛深八景の第四景。
今回アップします。
まず私の絵ではございませんが見ていただきたい絵があります。
牛深の方はご存じの方が多いでしょう。こちらです↓

この絵は昭和23年に描かれた加世浦、真浦、奥には天附の風景です。
描かれた方の詳しいお名前はわかりません。お話によると阿蘇のホテルを経営している方が趣味で描きに来られて数日寝泊まりされて描き上げ寄贈されたのだとか。
昭和23年ということは1948年、戦後間もない頃ですね。
茶色の屋根は茅葺き屋根だそうです。船も帆船だったそうだ。
長手はもちろん第一景でも書いたように埋め立てられておりません。
漁協組合のドックは同じ所にありますね。
一文字防波堤は埋め立てよりも先に有ったのですね。
これを見てもわかるのですが天附の方も民家がぎっしりですね。漁船もたくさん。穏やかな牛深の海とそこに生活するたくさんの人達の存在感が感じられます。
半世紀以上たってこの保存状態は凄いですね。飾ってある場所が日陰なのと適度な風当たりなどがよかったのでしょうね。上に掛けてあったので手にとって間近に見ることは出来なかったのですが木の板に描いてあったのかな?キャンバスや紙ではなかったような気がします。
ということで、この絵が描かれた同じ場所へ登ってみましたが、描かれた場所の現在は木が生い茂っていて残念ながら同じところから見ることはできませんでした。
まさか木を切るわけにも行きませんのでそこから少し引いた場所からの景色を私は描くことにしました。
それでは私の第四景どうぞ↓(クリックで拡大)

真浦地区は完全に草木で隠れてしまっていました。
比較します

これでわかりやすくなったでしょうか。
もちろん埋め立てもそうですがハイヤ大橋があるのが大きな違いですね。
それにしても漁船が少ないのが寂しい限りです。
ここももう少し見晴らしがいいように草木を切れば眺めももっとよくなりますね。ほんと帰るのが待ち遠しくなりました。
僕には牛深があって良かった。そして第五景に続きます。
はじめましての人ははじめまして!
気がつけばもう4月中旬ですね。
早い早い。
私は普段ほんとに毎日毎日絵を描いているわけなのですが、絵を描くことにも調子のバイオリズムと言いますか、絶好調だったり絶不調だったりその波が訪れます。
これはどういうきっかけでそのスイッチが入るか、どうやったら抜け出せるかその答えは未だはっきりとはわかりません。
絶好調になるにはもちろん体力的なこともそうだし、心のこともそうだし、その他いろんなことが満たさせていないとその絶好調期間には入ることはありません。
その絶好調状態のときの自分は、描きたいという意欲が普段よりも溢れ、思考も普段とは比べ物にならないくらいに冴え、自分が自分でないような感覚になります。
アイデアが次々と出てきてその状態から覚めたときはどうしてそういうアイデアが出来たのかわからなく自分で不思議に思うことさえあります。
この感覚を出来るだけ長く続けさせたくて、何がきっかけで落ちるかもわからないのでほんとにそういう時にはそれ以外のことを出来るだけわたしはしません。
友人からちょっとご飯を食べに行こうよとか飲みに行こうよとかの誘いも調子が落ちるのが怖いので全部断ります。篭りっぱなしで食事をとる時間さえも無くすぐらいに。
そうやって周りの方の干渉も極力無くして協力してもらいます。
前回の絶不調は8ヶ月も続きました。一度落ちるとなかなか抜けだせないから怖いのです。
年が明けました。気力も体力もフルに近かった。
何か絶好調になる予感がする!
これを待っていたのです。ここで一回自分の全力の絵というものを描いてみようと思った。
描ける条件とその意欲とその絶好調のタイミングが重なるのはこれが初めて。
そうやって描き始めたのが年明け1月2日。
そして今日まで一日も空かさず3ヶ月が過ぎました。その間、他の依頼されている絵を待ってもらってひたすら自分の絵を描き続けました。
感情が高ぶり毎日涙を流しながら描き、その絶好調期間は2月の中旬過ぎに解けました。
それからは良くも悪くもない調子に。大事な部分のアイデア出しは終わっていたのでもう解けても大丈夫でした。
しかし結果から言いますとまだ出来上がっていません。進行度で言いますと5分の4過ぎた辺りだと思い
ます。
あとは碁や将棋で言うところの寄せを間違わなければというところなのですが、ここにきて絶不調に入ちゃいましたw
4月初めから描いても描いても納得行かず同じ所を描き直ししてばかりです。
絶不調の抜け出し方を作家の知人に相談したことがある。
その方が言うには「それでも描くしか無い」だった。
何度同じ所描き直しても描くしか無いのですよね。わかってる。
時間ばかり過ぎてしまい焦ってしまうのですが開き直るしかないのでしょう。こういうのは自分を追い込んでもしょうがないのはわかってる。
前回の絶不調の時はその回復するきっかけをくれたのがこのブログである牛深八景だった。
実は不調すぎて自分の絵が描けなくなって縋る思いで始めたのがこの牛深八景だったのです。
ということでまた故郷に頼ります。今週末2,3日牛深帰る。ハイヤ祭りまで待てません。
いきなりですがまたロケハン行きます。またいろんな楽しいお話もお伺いに行きます。もう電話してアポ取りました。
今描いている絵が自分の代表作になることを願って。
*.♪。★*・゜・*♪*.♪。★*・゜*.♪。★*・゜・*♪*.♪。★*・゜*.♪。★*・゜・*♪*.♪。★*・゜*.♪
昨年末描いていた絵なのですが牛深八景の第四景。
今回アップします。
まず私の絵ではございませんが見ていただきたい絵があります。
牛深の方はご存じの方が多いでしょう。こちらです↓

この絵は昭和23年に描かれた加世浦、真浦、奥には天附の風景です。
描かれた方の詳しいお名前はわかりません。お話によると阿蘇のホテルを経営している方が趣味で描きに来られて数日寝泊まりされて描き上げ寄贈されたのだとか。
昭和23年ということは1948年、戦後間もない頃ですね。
茶色の屋根は茅葺き屋根だそうです。船も帆船だったそうだ。
長手はもちろん第一景でも書いたように埋め立てられておりません。
漁協組合のドックは同じ所にありますね。
一文字防波堤は埋め立てよりも先に有ったのですね。
これを見てもわかるのですが天附の方も民家がぎっしりですね。漁船もたくさん。穏やかな牛深の海とそこに生活するたくさんの人達の存在感が感じられます。
半世紀以上たってこの保存状態は凄いですね。飾ってある場所が日陰なのと適度な風当たりなどがよかったのでしょうね。上に掛けてあったので手にとって間近に見ることは出来なかったのですが木の板に描いてあったのかな?キャンバスや紙ではなかったような気がします。
ということで、この絵が描かれた同じ場所へ登ってみましたが、描かれた場所の現在は木が生い茂っていて残念ながら同じところから見ることはできませんでした。
まさか木を切るわけにも行きませんのでそこから少し引いた場所からの景色を私は描くことにしました。
それでは私の第四景どうぞ↓(クリックで拡大)

真浦地区は完全に草木で隠れてしまっていました。
比較します

これでわかりやすくなったでしょうか。
もちろん埋め立てもそうですがハイヤ大橋があるのが大きな違いですね。
それにしても漁船が少ないのが寂しい限りです。
ここももう少し見晴らしがいいように草木を切れば眺めももっとよくなりますね。ほんと帰るのが待ち遠しくなりました。
僕には牛深があって良かった。そして第五景に続きます。
タグ :牛深八景