2015年03月24日

君のいうことやることすべて、キラキラ輝いてて僕は眩しくて目を瞑ってしまう




 最近特にプライベートなことで岐路に立たされていて、それでも時間は待ってくれなくて目の前の事をひとつひとつこなしていくしかないと必死でもがいております。

この牛深八景を描きかじめてからは、牛深へゆっくり帰った記憶が無い。牛深でもやりたいことが多すぎてテンションが上ってしまって昨日と今日牛深へ帰ってきましたが2日間ほとんど睡眠さえとらなかった。

感傷的になっているのか想うトコロがたくさんあり考える事が多い。
全てをここで書くことは出来ない。やろうとしてることが自分の許容範囲を超えてるのかもしれない。それを認めたくないのでやり切る強い意志を持ってやるしかないと自分に言い聞かせています。

こんにちは!
はじめましての人ははじめまして!

お墓参りの後、宮崎の八幡様に参拝しました。
絵馬を奉納。参拝に行かれましたら絵馬も見てきてくださいね!


牛深八景は今だにご注文を頂くことがあり、大変嬉しく思っております。受注後印刷しておりますのでお手元に届くまで少々時間がかかってしまいますがまだまだご注文お待ちしております。


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 御番所編のことなんですけど、どうやったらわかりやすく伝わるのか試行錯誤中です。
掲載滞ってしまってて反省しております。

イメージ通り出来るかどうかわかりませんが今回の帰省で方向性は完全に決まったかなと思います。
時間がないを言い訳にしないようにします。

1日に36時間来ればいい!来い。


近日怒涛の連日更新できるようにやります!
普段生活してるその場所で起きていた知らない史実。
江戸時代の牛深へタイムスリップしたと思っていただけるように面白く色鮮やかにお伝えしたい!


  
タグ :牛深御番所


2014年12月18日

ところがどっこい、帰郷です

随分すごい寒波が来ておりますね。

この時期に見たこともないような天気図で牛深の写真資料集めは条件的にあまりよくなかった。

そんな中、天草市議の浜崎昭臣先生に初めてお会いすることが出来た。

牛深の観光関係に特に力を入れられている議員さんのお一人。
今活動されてる内容のお話を時間が許す限りたくさん伺うことが出来た。

合併後、範囲が広くなっているにも関わらずハイヤ総踊りの参加団体・参加人数が毎年減少していっている事を危惧し、来年、再来年とさらに力を入れていくプランをお考えで先日の議会の一般質問でもされていた。

再来年は45回の記念回、さらにその年は崎津の世界遺産認定予定。ここに弾みをつけたいそうだ。

これはわくわくしますね!
ハイヤ自体には長い歴史があり、甚句、阿波踊り、おけさのルーツと言われる牛深ハイヤは全国に誇るお祭りのはず。
近年の規模でいいわけがない。

その他、夕陽八景の整備も手がけてらっしゃる議員さんでこれも天草にとって良い計画だなぁって思ってたのでお話を終始興味深く伺った。

天草を描くでは牛深ハイヤを描き、夕陽八景では賞を頂いている私は何か浜崎議員さんと不思議なご縁を感じました。

(掲載許可頂きました)


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こんにちわ!
はじめましての人ははじめまして!

牛深に帰るのはほんと楽しい。いろんな方と有意義なお話出来るのは嬉しくて楽しい。

総合センターでもたくさん資料見せてくださったり、欲しい印刷物も頂いたり、お話もたくさん教えて頂いて私長居しすぎてご迷惑おかけしました、笑。みなさんお世話になりました、ありがとうございました。コーヒーまで出して頂いてありがとうございました(^^ゞ温まりました!

写真撮りの予定があいにくの天気で満足に出来なかったけど逆に幸運だったのか、その他にも予定してない嬉しい予定も入りましたがきっちり回ることが出来ました。その辺りも時期を見て書いていきたいと思います。

御番所ネタも随分補充できました。

そうそう。牛深八幡様へも参拝させていただきました。


子供の頃からお参りしている地元の神社さんの御朱印も快くいただけました。ありがとうございました。
御朱印癒される~(*_*)

その他牛深八景も追加注文頂まして、増版したいと思います。
もうしばらくお待ちを。

あと少しだけ海彩館の案内所にて置いてあります。それはまだ第一版の分です。そこにある分で最後。ある意味貴重w


あーたのしかったー!










  


Posted by hirok○ at 03:57Comments(2)牛深八景(取材)神道

2014年12月04日

検定フェチが泣いて喜ぶ認定証

今日、上天草検定の初級認定証が届いた。


天草検定とどう違うのかな?って思ってたw
上天草ということで天検より範囲が狭い分細かい事まで出題されるということか。

写真文章にも載ってるように難易度高すぎましたよw
次回は基準の見直しをするんだって。天検のとき簡単過ぎっておっしゃってる方もいたのでその反動かな?
だいぶ遅れて解答したのに私は30番台だった。

それにしてもカードの仕様は天検初級よりは立派(゚д゚)!
すげぇな。上天草お金あるんだね。

今回思いついたんですけど、天検もこの上天検も問題用紙を主要観光施設に置いてその場でやってもらって会員増やすというのはどうでしょうか?天草を好きになってもらうのにこういう検定はとてもいいツールだと思います。関係者の方々ご一考くださいませ。

ちなみに上級試験は私は今回辞退致しております。会場で探してもおりませんw


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こんにちわ!
はじめましての人ははじめまして!
近況報告です。

天草を描く(天草の絵画展)への出品を今年も考えております。
ぎりぎりになりましたが明日サインを入れる予定で、その後乾燥作業に入ります。

これで今年も一年が終わったなぁなんて気にもなるわけです。(描くものはまだまだ残っておりますがね)

あかね市行きたかったなぁ。あかね市に合わせて描き上げて牛深帰れば良かったななんて。
みなさんのブログであかね市を楽しむ事にします。

あ!えっと、あかね市で牛深行かれた方は海彩館の観光案内所で牛深八景売ってますのでw(一応宣伝を)

それと、ハイヤの絵を描く為に牛深ハイヤの歴史も勉強し直しました。
公開できる絵を用意できるかはわかりませんが、牛深第九景として近日掲載予定。

牛深ハイヤも牛深の風景であることには違いない。
お楽しみに!

あとあと、牛深御番所も連続掲載中!
読んでみてね!→こちら  
タグ :上天草検定


Posted by hirok○ at 03:26Comments(0)牛深八景(取材)

2013年12月13日

彼女が煌めく砂浜ではしゃいだ時僕は希望への第一歩を歩みだした



牛深の歴史と言っても、「年代によっていろいろありますので、まず調べる年代を絞ることにしました」と最初に書いた。

テーマを漁業時代に絞ったのには私の中にいろいろな理由があった。

もちろん興味があったことは間違いないのですが、その先に見たい歴史が漠然とですが見えていて確証はないけどそれが、わからないながら大切なモノであることは感じていた。


こんにちは!
はじめましての人ははじめまして!

帰省して10日が経ちました。連日牛深の歴史調べに走り回ってます。
立ち寄った砂月の白浜で一枚。


絵じゃなくてすみません。絵も少しずつ描いているのですが調べるだけで時間がなくなってしまって・・・
そういえば砂月についてですが、わたしはずっと「さづき」と発音してました。

わたしの周りでもみんな「づ」と発音してたので近年牛深の道路標識が新しくなってこういう風に書いてあって間違えて発音してたんだって気が付いた。


アルファベットの所見るとSatsukiと書いてある。

これでは標識が間違ってるのでは?と思われる方もいらっしゃると思う。
ソース出します。

この地図は明治18年(1885年)に海軍が測量した地図なのですがSatsukihamaとしっかり書いてある。

さらに見づらいですがあの伊能忠敬の地図1810年。

こちらにはカタカナでサツキと書いてありますね。

まぁ地名なので訛って今の呼び方になっているのでしょうね。牛深に関して言えばその他にもこういうところがいくつかあるみたいです。

訛るのは悪いことではないと思っています。ただし、正確な呼び名は知ってないといけないと思い直しました。

それよりもいたるところにあるこのハングルどうにかならないものか。牛深の人はこれに反対する人はいないのかな?


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冒頭、その先に見たい歴史が漠然とですが見えていて・・・と書きましたがそのことについて今回自分にとっての転機が訪れた。

牛深のある歴史文化財についていつの日か私も勉強したいと思ってはいたが、牛深のことを何も知らないに等しい私がそれを教えて欲しいと地元の歴史研究家を訪ねに行ったところで、わかるはずもなく、その前に門前払いされるだろうと未熟過ぎる自分は恐れ多くて行けなかった。


現在牛深八景も私の構想の中では八景までほぼ出来上がっていて、あとは絵を描いてまとめれば公開できる状態。終盤を迎え、多少見えてきた牛深にやはりその先のあの歴史があった。


わたしの知的好奇心は自分では抑えられなくなっていた。
今回断られること覚悟で訪問させてもらいました。


結果から言いますととても素晴らしいお話をたくさん伺うことが出来ました。

まず牛深のある歴史文化財とは何かを先に言わないといけませんね。
それは「牛深御番所」(天草の遠見番所)についてです。

まだ合併前の牛深ではございますがその方は当時の市報にこの歴史を紹介されていた。もちろん私もそのことを知っていてそれを今読むことができればいいなぁと思っていた。

当時も読んだことはあるとは思いますが小学生?中学生?の私は読んでも全く理解出来なかった。そういうものがあるという事だけが記憶に残っていたがその中身は全く知らなかった。

このことをお話されるにあたって、当時から現在まで地元牛深ではこの重要性をわかっている人がいないと嘆いておられた。

その方はその半生をこの御番所に注ぎ込んできた。それは自分の興味本位の趣味で調べたということとは比べ物にならない牛深への郷土愛そのものだった。

まだ私も調べ始めたばかりで私が説明できるなんて思ってもいません。

私なりに理解したことをここで公開していきたいと思っています。これは牛深八景よりも長期間になるものだと考えております。

無事八景を描き終えた後、その大テーマについてまとめていきたいと思いますが、おそらく数十回に渡るものだと予想されます。今回私の見解も含め簡単にさわりだけ少し。


時代は江戸時代。天草・島原の乱後、日本はキリスト教を恐れ鎖国時代に入る。

天草はその立地上外国船が入って来やすかった。それを取り締まるものが御番所である。

それがなぜ重要なの?これは私もずっとそうだった。

今の沖縄を想像して見てみてください。外国から入って来やすいということはそこから攻められて占領される恐れがあるということだ。

国と言うものは領土があって初めて成り立ち、領土が無くなればわかりきった話日本はなくなるのだ。
ほんとはここで竹島や尖閣諸島や北方領土や南樺太とかそんなことも書きたいんですけどそれも書き出すと長くなってしまうのでここでは書きません。だからといって大事じゃないっていう意味じゃないです。ここでは牛深の話を特に書きたいので。

そういう理由で当時の牛深(天草の玄関口)は日本にとってとても重要な場所だったのだ。


もっとわかりやすく言いますよ。
その証拠に天草は江戸幕府直轄で治め、天領天草と呼ばれていた。この天領とは天皇が治める領土と言う意味。天皇陛下ありがとうございます。個人的にはこれも感動モノです。

今で言う尖閣諸島を日本政府が買い取って治めたのと同じようなもの。

これでも伝わりませんか?もっと史実を書きますよ。

当時熊本はもちろんあの細川さんの肥後藩があるんです。
ですが、この牛深御番所に配属されていたお役人さんは長崎奉行所から来ているのです。

その理由はもちろん長崎と近いということもありますが、その頃の九州で一番の力を持っていたのは唯一出島で外国と貿易を許されていた長崎だったのです。

幕府直属で肥後ではなく一番の力を持っている長崎に治めさせた牛深の御番所。

全部言わなくてもこれだけでもこの重要さが伝わりませんか?


現在の牛深でこのことがあまり大事にされてこなかったのにはいくつかの理由があり、予想もおおよそつきます。

明治維新後廃藩置県で牛深は熊本県に編入される。
奉行所の大事な文献のほとんどが長崎ということで熊本牛深には残りにくかった。

現在ではその古文書も研究される方が少ない。ましてや古文書を読める方が牛深の事を調べようなんて思う機会も少なかっただろう。

もちろん私が訪ねさせてもらった方は古文書も読めて、牛深に関する古文書も集めそのすべてを現代でも読めるように直されていました。

その膨大な資料とびっしり書かれた大量のノートを見て、とても素晴らしいと思いますと私は言った。


天草の人たちはその重要性をわかっていないと何度もおっしゃった。
私も同じなのですがわかっていなかった。

でもこれだけはわかっていた。
故郷の歴史を知らない人がいくら故郷を好きだと言ってもそれはとても薄っぺらいものなのである。
あの櫻井よしこさんが言ってました。「あるフランスの哲学者の言葉に歴史を知らない人は人間じゃない」というのがあるそうだ。わたしも心からそう思う。


牛深にはハイヤはあるけれど、一般で知られているハイヤ(祭り)と言うものはその開催回数でわかるように今年で42回。言ってみれば42年しか歴史はないのである。これが牛深を代表するものとされている。

誤解がないように書きます。ハイヤがダメだとは言っていません。

その方がおっしゃるにはハイヤのような歴史の浅い民族文化は人口が減ればいつか廃れ将来の観光の基板にはなりにくいとのこと。

実際の現状もそうだ。

だがこういう発言が漁師民が多い牛深では受け入れがたいという側面も私はあると思う。

そこでわたしの提案はこうだ。

一般的に言うハイヤ祭りに関しては上記したとおりだ。だがそのハイヤ踊りの元になっている元ハイヤの歴史は古い。御番所の時代と重なってるのではないかとも思う。


元ハイヤを大事にしようとして活動されている方々も十分に知っています。ただ一般天草市民にまでは広まっていないようなかんじがします。そのことも大事にしながらこれからは御番所も大事にしていきましょうよ。まだ勉強不足で詳しくはわかりませんが元ハイヤと御番所も年代が同じであれば関係してるはずです。


その夜、就寝前その日のことを思い出しいろんな想いでなかなか寝付けなかった。
涙が溢れて止まらなかったからだ。

観光客を呼びたいと思っているが打開策がない現状に

私にとってはもちろんのこと、この御番所が牛深の希望の光りに、そして牛深の宝、ダイヤの原石だと思えて眩しかった。


私の残りの人生これに費やしても後悔しないのではないか。
私もやっとそこへの第一歩を踏み入れたと思う。















※お名前はご本人の希望もあり今は非公開にさせていただきます。ご存じの方もお名前は控えて頂けるようにお願い致します。そして市報をまとめた冊子をいただき、聞きたいことがあれば手紙でもくれれば返事を書くとのことで全面バックアップしてくださるとの事です。そのお言葉をとても嬉しく思います。本当に有難うございます。





  


Posted by hirok○ at 05:39Comments(4)牛深八景(取材)

2013年04月18日

晴れときどき恋

こんにちわ!
はじめましての人ははじめまして!

ブログコメントやいいねしてくださって嬉しく思います。ありがとうございます。

ハイヤ祭りは今週末なのに1週間前に帰るというもったいない帰り方をしましたわたしです。

ハイヤの準備をしてらっしゃる方達や街中に並ぶハイヤの看板を見るだけでもハイヤ節が聞こえた気がしてわくわくしましたよ。

そういえば帰る途中で、天草宮地岳地区でかかし村というのをやっていました。

先に謝っておきます。大変申し訳ございません。

このかかし村、熊日とかニュースとかでお話は聞いておりました。

かかし!?別に見なくても・・・なんて正直バカにしておりました。

結論から言いますと、このカカシ村のクオリティ凄い。ほんと凄い。

最初車で通っていて、何か人だかりがあるなーって思って近くによってみると人形なのに気が付きます。



あれ?この写真ではまだ予想の範囲内ですか?


川挟んで反対側のところ。この写真の中にホントの人もいますけどどれかわからないでしょw

そろそろアップもお見せしますね。


お顔


見てすぐわかりますよ。これは素人の作れるものじゃないって。どなたが作られたのでしょう。
人形の配置だとか空間の使い方とかはもちろん、人の顔の表情ですけどいきなり作ろうと思ってできるものじゃないですね。

わたしもこういうものは学生時代仲間と作ったりしたことありますが、絵を描くということは2次元いわゆる2Dの把握能力が必要になるのですが、銅像などの人型というものはそれ以上の3次元、3Dの空間把握能力が必要になります。

だからこそこの顔が作れ、3枚目に載せたような躍動感ある人形の配置ができるのです。

見る前までの失礼な態度重ねてお詫びいたします。宮地岳地区の皆様。お許し下さい。申し訳ございません。
すごいいいものを拝見させていただきました。ありがとうございました。

人形を見て回っているときに知人から声をかけられてびっくりしましたよ。人形が喋ったってw

人形が人の気配出し過ぎで人と人形の区別が付けづらい感覚になりました。

これはPRさえうまくやればお金とれますね。ふふ、商売っ気出すなって!?w

でもわたしは見た後にはお金払ってもいい気持ちになりましたよ。
いいまちおこしになると思います。

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牛深八景の絵は今回お休みです。

取材はやって来ました。お話もまたお伺いに行って来ましたよ。また5時間ぐらいお話をして頂いて楽しかったです。

他にも知りたいことあったら電話でもなんでもいいからしてきてもいいよと言ってくださるお気持ちがうれしいです。

ほんとありがとうございます。

八景以外にも今依頼を受けている通天橋からの夕日の素材写真も天気が凄く良かったこともあり、満足行くものが撮れました。2時間ぐらい粘りました。

いいイメージができたのです。

その他にもいろんな場所へ行って道端で軽くスケッチして来ました。

八景に入れるつもりないところはお見せできるかな、ちょっと載せませすね。

これは牛深中学校です。

体育館などは私のときのものとは違いますが正門は懐かしいです。
その他にもほんとは校舎に入る玄関や教室なども写真撮りスケッチしたかったのですが、事前に取材許可もらってなかったので断念いたしました。学校始まってますしね。

その正門のとこで描いていたので、その後正門前のノムラさん(ケーキ屋さん)でケーキを買って行きました。少しは地元にお金落として行かないとなって思いますので、そんなに食べるかな?って思いながら全種類買ったのです。甘いモノは好きです。

そういえばお土産買って帰ろうと思いまして、かまぼこや海の物はいろいろ買ったのですが、数が多くて日持ちがする土産物が牛深にはなくないですか?

クッキーとかパイとか武者返しとか陣太鼓とかそういう系統のお土産物。

土産物屋さんに置いてあるお菓子はありますが牛深で作ってるもの探しましたが無かったです。これいいなって思っても作っているところは御船とかって書いてあるし、これを買ってしまうのは違うなって思ってせめて天草のものということで松島で作っているおせんべいを買いました。

牛深のお菓子のお土産作っても採算合わないのはわかりますが一つぐらい、ハイヤの時期だけでも欲しいなぁなんて思っちゃいました。わがままですね。

絵の方のお休みは今日までにして、明日からまた今描いている本気の作品に戻ります。しばらくまたブログも書けなくなると思いますので長くなっちゃいますけど、もうひとつぐらい今回の帰省の話題書きます。

今回描いてきたスケッチの一つです。
八景に入れる予定ではないので公開。

場所はわたしの通学路であった鬼塚の団地前の2差路。井上スポーツさんのところです。

なぜこの場所を描いたのかというと、気恥ずかしい甘酸っぱいお話になっちゃうのですが、中学生時代私はこの場所で学校に通学するときの数分とある下の学年の女の子と会っていました。

田舎の純粋な丸坊主の少年にとって女性とお付き合いするという概念すらなく、ただ一言二言会話をするか挨拶をするだけの場所。
他の人の目も気になるので、そこから一緒に登校するとかそういうこともなく、そこで別れます。
時間も誰も登校してないかなり早い時間に行っていました。
もちろん教室にも一番に行ってしまうのでカーテンや窓を開けるのが僕の日課になっていたものです。

そんな想い出の場所を今もう一回歩いてみた。

道が広くなっているのかな?整備はされているのだろう。少し変わってはいたけれど、でもそこで会って当時ドキドキしていた僕の胸は今行ってもドキドキしてた。

その後彼女とはどうなったかというと、わたしは高校を熊本に来ましたので離れてしまい、それからは手紙のやり取りを随分しました。

何度か熊本に彼女が来てデートのようなこともやりました。

そのうち僕の方は高校や大学でいろんな人に出会う中彼女と疎遠になったりしました。

今のように携帯電話やメールなどない時代だったので、住所が変わったりするときに事前に伝えなかったため連絡が取れなくなってしまったこともありました。

そして時間がたってふとしたときに彼女はどうしてるかなーって思ったりしてると、彼女もそういう風に思ってくれていたのでしょう。僕の実家の方に手紙をくれてまた連絡取れるようになったりしました。

中学生時代からするといつの間にかそこそこ長い年月が経ってしまってますので、そういう風に連絡先がわからなくなって実家に手紙が来ることが2回ほどあったと思います。
何回疎遠になるんだよ、俺w

大学の時には携帯が出始めていたので、よくメールのやり取りもしました。
また僕が就職してもまだ連絡は途切れず会ったりしてました。

僕が牛深帰るときに合わせて彼女も帰ってきて会ったこともありました。

あれ?この文章の流れは・・・!?って思って読んでいる方もおられるでしょう。

そうですよね。ネットで普通この流れなら、今その彼女はわたしの隣に妻としています。

・・・

みたいにキレイに終わるのですけどそうではありませんw

今僕の側に居てくれる女性はその方ではございません。期待に添えなくて申し訳ございません。


でもね、いつも彼女には幸せになって貰いたいって思ってましたよ、ほんとに。

(余談ですが彼女は彼女でその後ご結婚されております、誤解無いように書きますが、ご結婚されてからはもちろん会っておりません)

そんな初恋の想い出の場所。

















  


Posted by hirok○ at 04:45Comments(2)牛深八景(取材)

2012年10月07日

美しいまち・うしぶか

こんにちわ!
はじめましての人ははじめまして!

今週帰って参りました。

天気も良く少ない日数ではありましたがいろいろ楽しいことがたくさんありました。

牛深でのスケジュール的にはけっこう忙しく、本来のふるさとでのんびり過ごす・・・というのとは違う形になってしましましたがこういう帰郷もすごく充実してていいものになりました。

牛深八景を描くのにあたり、ただ単にキレイな風景を描くっていうことに疑問を持ちました。
今見える景色の奥にある牛深の歴史を知らないで描けるのだろうかって。

もちろん中学生の頃までいた時間と今回のたった3日間で牛深の歴史が理解できるとは到底思いません。

年代によってもいろいろありますので、まず調べる年代を絞ることにしました。

細かくどんなことを調べたのかはそれぞれの絵を描いた時に書いていくとして、やはり興味が一番あったのは牛深の好景気時代特に鰯漁の昭和20年台から30年台始めの頃でした。

そういう好景気時代があったことは話で聞いているだけで実際わたしは生まれる前のお話ですので想像することしか出来ませんが、牛深のことを語るには絶対外せないことだなって思いました。

当時のお話に詳しい方とお会いしまして長時間楽しいお話を伺うことが出来ました。

当時の風景を絵にも残してあって見せてもらいながら説明をうけたのですが、それはもうすごく感動いたしました。

今度は私が同じ場所の現在の絵を残す番かな!?なんてw

その絵を描いていた場所も連れて行ってもらいましたので、その場所の話題もこのブログの何回目かには書けると思います。

牛深の昔の写真もたくさん見せてもらったし、結構写真素材もたくさんいただきました。
今回の帰省と言う名の取材は大成功だったのです。

えと、できれば当時のことを想像して八景以外にイラストでも描きたいとも思いますが基本は今の風景を描く・・・のかな。そこは縛りをつけないでそのときどきで描きたいもの描きたいと思います。

今回の帰省の全体的な感想ですが、牛深はやっぱり時間もゆっくりしてて、風景は美しいなって思いました。
美しい国・日本ではないけれどそこは美しいまち・うしぶかでした。

だからこそ残さないといけないものや、牛深のことで思うこと気付いたこともたくさんありました。いろいろ考えさせられたわけです。

そういうことも絵を描きながら何かこのブログでも残していけたらいいなと思います。
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以下の文は八景とは全く関係ございません。

懐かしいものが食べたくなって、学生時代食べてたもので懐かしいもの買いにいきました。

それは吉永パンです。

これは年代によってそれぞれ想い出のパンがあるそうですが、みなさんはどのパンが想い出のパンでしょうか。

わたしは中学生時代吉永パンさんの近くの片山塾に通うときによく買って食べました。

わたしの想い出のパンはマヨネーズパンです。

実際お店に行ってみると今のマヨネーズパンは形も乗っているマヨネーズの量も変わっていて、おそらく原料とおもわれる小麦粉やチーズとかマヨネーズの高騰によるものでしょう、想い出の・・・とは少し違いましたが味は当時の味で懐かしく思いました。写真です↓

正式名はチーズマヨネーズパンだったかな?当時は正式名で呼んでなかったのですねw

正式名ではないといえばこのパン↓

スパイスウインナーと書いてありますが私たちはピリリと呼んでました。

お店でもピリリくださいと言って通じてましたね。

最終日に熊本に持って帰ろうと思って近くまでマヨネーズパンを配達していただきました。
急に来てお願いしてみましたけど快く受けていただきましたありがとうございました。
  


Posted by hirok○ at 01:46Comments(2)牛深八景(取材)

2012年09月28日

ラーメン屋で隣に座った老夫婦が牛深の話をしていた

わたしは牛深で産まれて中学まで牛深で育ちました。

半年ぐらい前熊本市内のラーメン屋で隣に座った老夫婦が牛深の話をしていた。

話の内容はここでは省きます。その話に入るきっかけもなく、わたしはそのお店は出たのですがその帰り道偶然牛深の古いポストカードを見かけて、その場で即購入しました。

その写真はわたしが生まれる前の写真だったので、今とは変わっているところもありますが、もちろんどこの場所かはわかるし、以前はこんな風になってたんだなぁって興味を持ちました。

その写真を母に見せたところ、母が子供の頃その写真に写っている場所でも遊んでいたんだよと話を聞きました。

先にその写真を載せますね


これは天附から遠見山の方を見た写真だそうです。

岩が見えてる辺りは今の恵比寿神社や観音様の辺りだと思いますが、まだ埋め立てられてなくて通天橋もなかった時代です。

おそらく母はそこで友人と魚をとったり泳いだりして遊んでいたのでしょうか。

そこの場所に行くにも道とかはまだなかったそうで、山を越えるのに崖をよじ登って行ってたそうです。

その当時母達はその対岸にいる天附(写真撮影している側)の子供たちと海を挟んで何かを言い合っていたそうです。

子供のときってそういうのおもしろかったりしますよね。想像して笑っちゃいました(^_^)

この写真を見て懐かしいと思われる方はいらっしゃいますでしょうか?


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っということでこんにちわ!
はじめましての人ははじめまして!

上の写真を手に入れたっていうのがきっかけではないのですが、ブログの題名通りわたしのふるさとであります牛深の風景を8ヶ所選びまして描いていこうと思います。

以前からそういう絵を描きたいと思っていたのですがなかなかそういうタイミングがなくってですね^^;

来月に3日ほど時間が取れまして久しぶり2年ぶり!?に帰郷いたします。

せっかくなのでそのときにいろいろ取材を兼ねて行こうと準備してます。

八景と描きましたが、八景は最低でも描こうと思っているからそういう題名にしただけで、もしかしたらそれ以上描くかもしれません。

十景、十二景と描けたらいいと思うのですがとりあえず長い期間での自分の目標ですね。

少し自分の絵のことを書きますと、専門は人物画ですので風景は得意としませんと言いますかほとんど描いておりません。

ですが近年熊本の名所を数点描きました。

全部はここに載せることはできませんがどういう絵を描くのかを先にお見せしたいと思います。

今このブログの背景画像に使っている画像は熊本駅の新幹線口ができたときに描きに行ったイラストを版画加工した画像です。
その画像↓(クリックで拡大)



Gペン画ですがもうひとつ載せます。(クリックで拡大)


この絵の場所は熊本市電の電停辛島町の風景です。

こういう画風です。
牛深の風景も描きたいイメージ通りに描けたらいいなと思います。

それでは今回は自己紹介兼ねてのブログでございました。

牛深に帰る日をあと数日楽しみにして今回はこの辺で失礼します☆ミ  

Posted by hirok○ at 08:06Comments(3)牛深八景(取材)