2023年12月26日
牛深への道程
平成31年4月30日 平成最後の日に僕と柚は入籍した。
『令和は明日からですよ』と、提出先の市役所では確認されもした。それでもあえてこの日を選んだ。
当時は今の上皇陛下との繋がりを大事にしたかったと公言してたが、もちろんそれもある。
しかし4月30日は兄の誕生日でもあり、尊敬する兄との繋がりも大事にしたかったというのが本音である。
僕ら兄弟は大人になり恥ずかしさもあり普段あまり話をする関係ではなかったが、作品作りなどを一緒にする機会は多々あった。
言葉は少ないながら兄は後ろ姿で僕を成長させてくれた。

おめでとうLINEのやり取りで二人の雰囲気は伝わるかなと思う。
兄のLINE画像は僕と柚と兄と母で牛深の海へ泳ぎに行ったときに僕が撮った写真だった。
この年、兄の体の異変が発覚する。
一人で検査結果を聞いたときの事をこちらに気を使ってだろう、あっけらかんと話した。死へのイメージなんか感じさせないぐらい。
おそらく今『あのときどうだったの?』と聞けるなら、
石原慎太郎よろしく、
『天の星のように光り輝く映像を眺めながら、これで先生この後どれほどの命ですかねと聞いたよ』と恰好良くいうかもしれない。
医師からその答えを言われたか、言われてないかはわからない。僕らも聞けなかったから。
石原慎太郎は『死の宣告以来、私の神経は引き裂かれたと言うほかない。』と書き残している。書くのもつらいが兄もそうだったに違いない。
そして昨年の今日、兄は亡くなった。
僕ら家族は、一周忌の法要を終わらせ亡くなった事は理解はしていて、前に進まないといけないとはわかってはいても、実際は何も進んでおらず、あの日のままだ。
兄の体調が悪くなり、コロナのワクチン次、打つのやめると聞いてから、私は悲しませないように『ワクチンなんて打つ意味ない』と言って、同じく私もそれ以降回数を増やすことはしなくなった。
新しい事を次々やって、兄がいたころの自分ではなくなるのが兄に対して申し訳ないという気持ちと、兄がいた頃のままでいたいという感情が大きく自分を占める。
正直まだ、兄とのLINEやメールを直視することも難しい。
絵描きの自分が、呆れ笑うほど絵も描けない。今年自分の作品として描いたものは5作品のみ。毎年何百人とひたすら描いていた自分が何もしないまま一年が過ぎた。
前に進むのか、それとも以前に戻る事になるのか、幼少期兄と過ごした牛深へ来月帰住する。
年明け、ありがたいことに、日本劇作家協会が兄の追悼セッションを行ってくれるとのこと。
→河野ミチユキを読む←
兄の残した戯曲の魅力について語り合うイベントらしい。
多くの人に兄の作品の言葉選びの美しさに、裏にある兄の生きた物語に気が付いて好きになってもらいたい。
『令和は明日からですよ』と、提出先の市役所では確認されもした。それでもあえてこの日を選んだ。
当時は今の上皇陛下との繋がりを大事にしたかったと公言してたが、もちろんそれもある。
しかし4月30日は兄の誕生日でもあり、尊敬する兄との繋がりも大事にしたかったというのが本音である。
僕ら兄弟は大人になり恥ずかしさもあり普段あまり話をする関係ではなかったが、作品作りなどを一緒にする機会は多々あった。
言葉は少ないながら兄は後ろ姿で僕を成長させてくれた。

おめでとうLINEのやり取りで二人の雰囲気は伝わるかなと思う。
兄のLINE画像は僕と柚と兄と母で牛深の海へ泳ぎに行ったときに僕が撮った写真だった。
この年、兄の体の異変が発覚する。
一人で検査結果を聞いたときの事をこちらに気を使ってだろう、あっけらかんと話した。死へのイメージなんか感じさせないぐらい。
おそらく今『あのときどうだったの?』と聞けるなら、
石原慎太郎よろしく、
『天の星のように光り輝く映像を眺めながら、これで先生この後どれほどの命ですかねと聞いたよ』と恰好良くいうかもしれない。
医師からその答えを言われたか、言われてないかはわからない。僕らも聞けなかったから。
石原慎太郎は『死の宣告以来、私の神経は引き裂かれたと言うほかない。』と書き残している。書くのもつらいが兄もそうだったに違いない。
そして昨年の今日、兄は亡くなった。
僕ら家族は、一周忌の法要を終わらせ亡くなった事は理解はしていて、前に進まないといけないとはわかってはいても、実際は何も進んでおらず、あの日のままだ。
兄の体調が悪くなり、コロナのワクチン次、打つのやめると聞いてから、私は悲しませないように『ワクチンなんて打つ意味ない』と言って、同じく私もそれ以降回数を増やすことはしなくなった。
新しい事を次々やって、兄がいたころの自分ではなくなるのが兄に対して申し訳ないという気持ちと、兄がいた頃のままでいたいという感情が大きく自分を占める。
正直まだ、兄とのLINEやメールを直視することも難しい。
絵描きの自分が、呆れ笑うほど絵も描けない。今年自分の作品として描いたものは5作品のみ。毎年何百人とひたすら描いていた自分が何もしないまま一年が過ぎた。
前に進むのか、それとも以前に戻る事になるのか、幼少期兄と過ごした牛深へ来月帰住する。
年明け、ありがたいことに、日本劇作家協会が兄の追悼セッションを行ってくれるとのこと。
→河野ミチユキを読む←
兄の残した戯曲の魅力について語り合うイベントらしい。
多くの人に兄の作品の言葉選びの美しさに、裏にある兄の生きた物語に気が付いて好きになってもらいたい。
タグ :日本劇作家協会