2012年11月11日
牛深のが特別じゃない!?・・・牛深第二景
こんにちわ!
はじめましての人ははじめまして!
早速ですが第二景です。
何を描くのか先に言いますと「背戸輪(せどわ)」です。
なぜそう呼ぶのかとか、そういうことは他に検索してもらえればどこにでも書いてある事なので詳しいところは省略いたします。
まあ、一言で言うと背中あわせに家が建ち並んでいることからだということですが、天草街道フェスタのHPを見てみると同じような作りの町並みが天草にはいろいろあるようですね。呼び名も「せどわ」はもちろん「せどや」「とうや」など。天草のどこの地域にあるのかとかはそちらのHPで御覧ください。
牛深のせどわが特別じゃないんだ・・・
そんなことを思っていたとき立て続けに2つのTV番組を見た。
ひとつは列車に乗ってという旅行番組。
石原良純さんが牛深に来られた時の回だ。
その中でせどわの紹介もあった。
石原さんの感想は「港町のこういう景色は全国どこ行っても同じですね」だった。
わたしもそう思う。
そしてもう一つの番組
それは探偵ナイトスクープです。
『さらば、巡航船』という題名の回。
番宣からの転載です
「三重県の男性(52)から。私が生まれ育った三重県尾鷲市須賀利町は、34年前までは町に出る道路がない陸の孤島で、唯一の交通手段が巡航船だった。当時はこの巡航船で、他校に転任する先生や就職で須賀利を離れる友人たちを、何人も見送った。船と港をつなぐ七色の紙テープが、切れて海に溶けていくのを見るうちに、この地に取り残される感覚に陥り、自分もここを出たいと心の中で叫んでいた。」
この依頼者の男性はふるさとを離れる人を見送ったことはあったが見送られる側がやってみたいという依頼だった。
この光景は牛深でも見られていたことはわたしの世代でも知っていました。わたしも一度だけそうやって見送ったことがあり、以前からやっていたんだよと母が教えてくれたことを覚えているからだ。
今やる人はまぁ、いないと思う。けど今でも紙テープは牛深港で販売してて欲しいと思った。
そしてその番組で出てくる町は牛深よりも規模こそ小さかったものの似ているところが多かった。
漁師の力仕事をするために食べていたおにぎりが黒糖でまぶしてあった。甘いおにぎりだ。
これは食材は違えどその用途から牛深で言うところの赤巻じゃないですか。
そしてなんとそこにも出てきます。家と家の間隔が近く細い路地。
そこではその道のことを「せこ」と呼んでいた。
その男性は道が狭いからせこいから!?「せこ」と呼んでいると言っていた。
家を立てる平地が狭いためどうしても全国そういう家の配置になってしまうのだろう。
ほんと牛深に似てるなって思った。
そしてまた牛深のせどわが特別じゃないんだと思った。
・・・
・・・・・・
・・・・・・・・・
いやいや、特別ですよ、ちゃんと
今回わたしがお話をお伺いした中でとても興味を引いたことがあった。
それは牛深のせどわには、その筋ひとつ一つに名前がついていたということだった。
・現在のたまみらーめんさんの筋 「ひょこし町」
火起こしが訛ってそう呼ぶ。七輪に種火を入れて置いておけば火が起こるのでその名がついたと言われているそうですが、実際はそういうことはなくやはり火吹竹を使って火起こしをしていたそうです。
それぐらい風通りがよかったことの例えなのでしょうね。
・ひょこし町より一本現在の加世浦公園側の筋 「ほらんきゃ町」
ほらんきゃとはホラ貝のことで、家の軒先がそろっておらずバラバラに出来ていることから、ホラ貝の内部断面の形に例えられたとのことでした。
・一番加世浦公園側の筋 「へっちん町」
へっちんとはトイレ・かわや・便所のこと。雪隠(せっちん)が訛ったものとのこと。
以前は農作物の肥料用に野菜を売りに来られた農家の方が帰りに船で汲み取りしたものを運んでいたそうで、特にこの通りはその汲み取り口が筋に集まっていたためそういう名前がついたということです。
地域面積自体は狭いのにそんなに細かく地名を分ける必要がどこにあるのか不思議な感じがしたのが第一印象。ここからは個人的な想像です。
昭和24年イワシ景気で水揚げ量が全国第2 位になり、昭和30年の人口3 万8 千人にもなったという事なので、そんなに人が多いのであれば、誰かの話をする場合、加世浦の◯◯さんでは誰のことか伝わりづらかったことは容易に想像できる。
その為もっと細かく地名を分けて呼ぶ必要があったのではないか。そこに町という名前をつけるぐらい活気があったということではないでしょうか。
全国にランクインできる漁獲量を持っていた牛深だからこそ、その他の漁師町にはないであろう特別なことをここで見つけたような気がしました。
そして、いろんな牛深のせどわの紹介でこの名前まで記載してあったら特別感が増しおもしろいなって思いました。
*.♪。★*・゜・*♪*.♪。★*・゜*.♪。★*・゜・*♪*.♪。★*・゜*.♪。★*・゜・*♪*.♪。★*・゜*.♪
せどわを描くと聞いてみなさんイメージされているものがあると思います。
おそらくわたしが描いた場所はそこのイメージとは違うと思います。
いろいろせどわも改めて歩いてみたのですが、何箇所か絵になるところはあったものの、当たり前の話道が狭すぎて、通りを広い視野で見ることができない。
その中で物理的にもせどわ的にも絵的にもわたしが選んだ場所があります。
第2景こちらです。(クリックで拡大)

ここもせどわなのは間違いないですよね。
カブ号に力入れすぎとかは言わないでw
メインの道も周りのお家もそしてもちろんカブ号も描いてて楽しかったです。
今回は油絵でございました。
子供の頃見ていた何気ない風景はそこにある歴史を知ってこんなにも僕の心に色を加えてくれるものなんだな。そしてまたすぐに次の絵を描きたくなった。
はじめましての人ははじめまして!
早速ですが第二景です。
何を描くのか先に言いますと「背戸輪(せどわ)」です。
なぜそう呼ぶのかとか、そういうことは他に検索してもらえればどこにでも書いてある事なので詳しいところは省略いたします。
まあ、一言で言うと背中あわせに家が建ち並んでいることからだということですが、天草街道フェスタのHPを見てみると同じような作りの町並みが天草にはいろいろあるようですね。呼び名も「せどわ」はもちろん「せどや」「とうや」など。天草のどこの地域にあるのかとかはそちらのHPで御覧ください。
牛深のせどわが特別じゃないんだ・・・
そんなことを思っていたとき立て続けに2つのTV番組を見た。
ひとつは列車に乗ってという旅行番組。
石原良純さんが牛深に来られた時の回だ。
その中でせどわの紹介もあった。
石原さんの感想は「港町のこういう景色は全国どこ行っても同じですね」だった。
わたしもそう思う。
そしてもう一つの番組
それは探偵ナイトスクープです。
『さらば、巡航船』という題名の回。
番宣からの転載です
「三重県の男性(52)から。私が生まれ育った三重県尾鷲市須賀利町は、34年前までは町に出る道路がない陸の孤島で、唯一の交通手段が巡航船だった。当時はこの巡航船で、他校に転任する先生や就職で須賀利を離れる友人たちを、何人も見送った。船と港をつなぐ七色の紙テープが、切れて海に溶けていくのを見るうちに、この地に取り残される感覚に陥り、自分もここを出たいと心の中で叫んでいた。」
この依頼者の男性はふるさとを離れる人を見送ったことはあったが見送られる側がやってみたいという依頼だった。
この光景は牛深でも見られていたことはわたしの世代でも知っていました。わたしも一度だけそうやって見送ったことがあり、以前からやっていたんだよと母が教えてくれたことを覚えているからだ。
今やる人はまぁ、いないと思う。けど今でも紙テープは牛深港で販売してて欲しいと思った。
そしてその番組で出てくる町は牛深よりも規模こそ小さかったものの似ているところが多かった。
漁師の力仕事をするために食べていたおにぎりが黒糖でまぶしてあった。甘いおにぎりだ。
これは食材は違えどその用途から牛深で言うところの赤巻じゃないですか。
そしてなんとそこにも出てきます。家と家の間隔が近く細い路地。
そこではその道のことを「せこ」と呼んでいた。
その男性は道が狭いからせこいから!?「せこ」と呼んでいると言っていた。
家を立てる平地が狭いためどうしても全国そういう家の配置になってしまうのだろう。
ほんと牛深に似てるなって思った。
そしてまた牛深のせどわが特別じゃないんだと思った。
・・・
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いやいや、特別ですよ、ちゃんと

今回わたしがお話をお伺いした中でとても興味を引いたことがあった。
それは牛深のせどわには、その筋ひとつ一つに名前がついていたということだった。
・現在のたまみらーめんさんの筋 「ひょこし町」
火起こしが訛ってそう呼ぶ。七輪に種火を入れて置いておけば火が起こるのでその名がついたと言われているそうですが、実際はそういうことはなくやはり火吹竹を使って火起こしをしていたそうです。
それぐらい風通りがよかったことの例えなのでしょうね。
・ひょこし町より一本現在の加世浦公園側の筋 「ほらんきゃ町」
ほらんきゃとはホラ貝のことで、家の軒先がそろっておらずバラバラに出来ていることから、ホラ貝の内部断面の形に例えられたとのことでした。
・一番加世浦公園側の筋 「へっちん町」
へっちんとはトイレ・かわや・便所のこと。雪隠(せっちん)が訛ったものとのこと。
以前は農作物の肥料用に野菜を売りに来られた農家の方が帰りに船で汲み取りしたものを運んでいたそうで、特にこの通りはその汲み取り口が筋に集まっていたためそういう名前がついたということです。
地域面積自体は狭いのにそんなに細かく地名を分ける必要がどこにあるのか不思議な感じがしたのが第一印象。ここからは個人的な想像です。
昭和24年イワシ景気で水揚げ量が全国第2 位になり、昭和30年の人口3 万8 千人にもなったという事なので、そんなに人が多いのであれば、誰かの話をする場合、加世浦の◯◯さんでは誰のことか伝わりづらかったことは容易に想像できる。
その為もっと細かく地名を分けて呼ぶ必要があったのではないか。そこに町という名前をつけるぐらい活気があったということではないでしょうか。
全国にランクインできる漁獲量を持っていた牛深だからこそ、その他の漁師町にはないであろう特別なことをここで見つけたような気がしました。
そして、いろんな牛深のせどわの紹介でこの名前まで記載してあったら特別感が増しおもしろいなって思いました。
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せどわを描くと聞いてみなさんイメージされているものがあると思います。
おそらくわたしが描いた場所はそこのイメージとは違うと思います。
いろいろせどわも改めて歩いてみたのですが、何箇所か絵になるところはあったものの、当たり前の話道が狭すぎて、通りを広い視野で見ることができない。
その中で物理的にもせどわ的にも絵的にもわたしが選んだ場所があります。
第2景こちらです。(クリックで拡大)

ここもせどわなのは間違いないですよね。
カブ号に力入れすぎとかは言わないでw
メインの道も周りのお家もそしてもちろんカブ号も描いてて楽しかったです。
今回は油絵でございました。
子供の頃見ていた何気ない風景はそこにある歴史を知ってこんなにも僕の心に色を加えてくれるものなんだな。そしてまたすぐに次の絵を描きたくなった。