2014年10月16日

昭和天皇に日本の心を見た-その2

こんにちわ!
はじめましての人ははじめまして!

前回の続昭和天皇実録についてこちら

大東亜戦争も終盤。いよいよ日本の戦況は最悪なものになろうとしていた。


1945年8月6日広島へ、同9日長崎へ原爆が投下された。


この原爆という新型爆弾の威力の恐ろしさに戦意を喪失し日本は戦争継続は不可能だと判断したと歴史教科書では習った。
前回の記事で歴史教科書を変えるまでの新事実はないと言われていると書きましたが、私はここは違うのではないかと思った。

ここからとても重要。
大東亜戦争中、昭和天皇は再三に渡りソ連が本当に参戦してこないのかとの動きを気にしておられる。
長崎へ原爆が投下される9日の前日、日ソ中立条約をまだ条約有効期限内であるにも関わらず一方的に破り、ソ連は日本へ宣戦布告を宣言。(この辺りは正確な時系列で実録では纏めてあった)
この宣戦布告の後、満州へソ連軍が進行してきたことを受けた時点で陛下は内大臣を呼び速やかに方向性の決定を促す(敗戦の決意)。
首相よりポツダム宣言に対する態度を決定したいと聴取してきた旨の報告を受ける。

その後長崎に新型爆弾が投下されたことをお聞きになる。←ここ敗戦決意の後

敗戦の決意は長崎に原爆が落とされた事が最大理由じゃない。
ここの認識は変える必要がある。

そしてポツダム宣言の受諾へ移るわけですが、ここでもその受諾条件について陸軍側と内閣側と2案が出される。どちら共に一番大事にしたのが『天皇の国際法上の地位存続』。これは天皇の存在がある限り日本国は続くと認められるためどうしても譲ることができない条件だった。

いわゆるポツダム宣言は無条件降伏だと歴史教科書では教えています。
無条件じゃないじゃないと思われると思う。
この無条件というのは国を解体することさえ認めるという意味ではなく、あくまでも軍備的なことに対して無条件降伏との意味である。
受諾条件陸軍案には戦争指導者などの首を差し出すなどの条件が入っていた。
陛下は自分の部下の首を差し出すような真似はしないとその条件さえも認めさせない。
手放しでなんでも条件を受け入れるという意味ではなく、手放しで軍備の解除をするといったほうがわかりやすいかも。

ポツダム宣言を受諾することを決定する御前会議で陸軍はまだ諦めてはいなかった。海軍も陸軍が諦めないなら諦めると言えない状況だった。それを陛下はわかっていたのでここで唯一陛下の力強いご意思でご決断なされる。

これがいわゆるご聖断と言われるものだ。歴史上陛下の意志はここでのみ反映されることになる。

これでも昭和天皇に戦争責任を追わせたいと思われますか?
むしろ戦争を終わらせ平和に対する貢献をされてると思われませんか?ノーベル平和賞ですら超越したものをもらって頂くべきだったでしょう。

8月14日全国民に対してポツダム宣言の受諾を報告して陸軍を止めなければならないと考え、陛下は玉音放送のテープを録音する。放送されては困る一部陸軍幹部らが14日の深夜から15日未明にかけて、6回ものクーデター(宮城事件・きゅうじょうじけん)を起こす。皇居を占領し録音されたテープを奪おうとしたのだ。

このクーデターは失敗に終わりそのテープは15日正午放送され日本中に敗戦が伝えられた。
この辺りのことは終戦のエンペラーという映画になっているのでご覧になられるとよくわかると思います。

↑DVDはこちらですね。素晴らしい映画ですのでぜひ御覧ください。

その後この有名な写真。
昭和天皇に日本の心を見た-その2
通常陛下の右側へは何人たりとも立つことは許されない。陛下は自らその場所へお立ちになった。マッカーサーは日本に上陸する厚木基地に降りる時から日本への圧力を掛けるための印象操作を計画的に行っている。おそらくわざと陛下をそちらに立たせて写真を取らせたのだろう。陛下がマッカーサーのところへお出ましになられることをわかっているのにも関わらずマッカーサーらは出迎えも行わなかった。
いくら戦勝国だとしても戦った相手に敬意を払えないのはやはり日本の武士道とは違うものがある。

陛下がマッカーサーに最初に言った言葉がこうだ。
『この戦争については、自分としては極力これを避けたい考えでありましたが戦争となるの結果を見ましたことは自分の最も遺憾とするところであります』その言葉にマッカーサーも心中お察しするとの理解の旨を答えた。
さらにマッカーサー回想記ではその後『すべての決定と行動に対する全責任を負う者として、私自身をあなたの代表する諸国の裁決に委ねるためお訪ねした』とおっしゃったとある。
おそらくその会見には死をも覚悟して向かったに違いない。

さらには何度目かの会見時には風呂敷いっぱいの有価証券を持ち出しこれをすべて換金して日本国の復興へ使って欲しいと訴えたそうだ。これを見たマッカーサーは、どこの国の国王も会見してみればみんなふんぞり返って偉そうにしているのにも関わらず、こんな国王は初めて見たと大層驚いたそうだ。

こんなに日本国民のことを考え、自分を犠牲にされた昭和天皇に対して未だに戦争責任を押し付け憎いと思われてる方が居ることに胸が痛い。

これが新聞の見出しにもなった『君主の苦悩』だ!終戦の部分実録を読みながら涙をこらえるのに必死だった。

でも大丈夫。
この現在の東京の夜景の写真を見て!
昭和天皇に日本の心を見た-その2


真ん中の暗い部分が皇居であります。
戦後復興した日本もまた陛下を中心にして生きている証拠。
その道はすべて皇居へ繋がっているのです。

*.♪★*・゜・*♪*.♪★*・゜*.♪★*・゜・*♪*.♪★*・゜*.♪★*・゜・*♪*.

東御苑を出て武道館を通り、靖国へ向かった。

よくテレビなどで鳥居も見てはいましたが日本一の鳥居とはこんなにも大きいのかとそれにも圧倒された。

そして拝殿まで行くとそこに宿る数多のご神体は見えないながらその大きさにまた圧倒され動けなかった。
昭和天皇に日本の心を見た-その2

日本の国を守った人たちの最強のお守りを受け、遊就館を周った。
この遊就館もびっくりしました。いわゆる戦争記念館な訳ですが収蔵品も1級品ばかりしかも大量で観覧ルートの時間の目安が120分とか書いてあるんですよ(+_+)
全部見て回るのも大変なのですが、一応全部周ってきました。

靖国へ行ったことが無かったのでとてもスッキリして帰ってきました。
昭和天皇に日本の心を見た-その2






















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この記事へのコメント
文面を読ませていただいて「日本のいちばん長い日」という
映画を思い出しました。
本木雅弘の演じた、昭和天皇の苦悩
抑揚を抑えつつ、深い悲しみと葛藤を醸し出す演技は
切なくて、胸がつぶれそうでした。
歴史の上っ面しか、なぞっていない自分に
本当に突き刺さる内容、ありがたいです!
Posted by 原田鈑金塗装原田鈑金塗装 at 2020年06月08日 09:18
》原鈑さん
このページまで読んでくださってありがとうございます。
日本の一番長い日でも昭和天皇の苦悩が表現されていますよね。
終戦のエンペラーでは敗戦の決意後に焦点を当てたところとアメリカ側が作った映画って言うところがとてもいいと思うのです。変に日本側に脚色されてないところです。
Posted by hirok○hirok○ at 2020年06月10日 21:50
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