2022年12月30日

未だ信じることができない訃報

私の実の兄である劇作家・演出家 河野ミチユキ(通幸)が令和4年12月26日午前6時32分、胃がんのため永眠いたしました。
ここに皆様からの生前のご厚誼に深謝し、謹んでご報告申し上げます。

昭和51年4月30日生まれ 享年47歳

令和元年12月に胃がんが発覚し、翌年1月に胃全摘出手術を行い、その後は再発防止の抗がん剤治療を続けておりましたが令和4年3月再発骨転移、入退院を繰り返しながら10月腹膜播種と厳しい状況にも諦めず、副作用に耐えながら辛い抗がん剤治療を最後まで続けてまいりました。
食事も食べれる量やものを自分で考え細かく調整しながら工夫しながら、私たちの1日でも長く生きて欲しいとの願いに応えるように頑張っていました。食べ物が喉を通らないようになって、体を起こすことが出来なくなって薬も、もう飲む必要が無いと思われても、兄の強い意志で最後の日まで力を振り絞って飲みこんでがんに抗いました。
そして26日自宅にて最愛の妻と母親に看取られながら安らかに息を引き取りました。


通夜は27日、告別式は28日に多くの御参列者様のご協力を頂きまして、つつがなく執り行うことができました。心より深くお礼申し上げます。


告別式まで終わったものの、実際目の前で起こっている事と、気持ちが正直まったく同期していなく、亡くなってしまったことは物理的に理解してはいても、そんなのは嫌だ!と子供みたいに理屈の通らない感情が溢れてきます。

自分の気持ちを整理する為にも、少し長く、乱文になるとは思いますがここに全て気持ちを書き記したいと思います。


兄が代表をしていた劇団ゼロソーには私もデザインや絵・イラストなど多少関わっておりまして、こちらのブログや『あーね』というブログで観劇したときの感想など書いておりました。

兄が書いた多くの物語はまさしく兄の人生そのもので全て兄が経験したことが元になって作られています。
『アクワリウム』の水俣病について考えていた兄の高校時代。牛深から熊本へ出てきていた僕と兄は牛深へ帰省する際時間を合わせて水俣へ行き、そこから船で帰っておりました。その船を待っているときに兄はそんな事を考え、そして考えていたまさにそのとき私は隣にいたという事になります。
ただ早く来ないかなーとか思って待っていた私の隣では、アクワリウムの源になる疑問を考えていた兄に驚かされます。

ゼロソーのお話の中で2つばかり私はマンガ化致しました。
その一つ『チューウィンガム』または『猥々野郎』(共に同内容作品)について書きます。

今では当たり前になりつつあるyoutubeなどの一般の方の生放送・生配信をいち早く題材に取り入れた作品。
元カレから太ったねと言われ別れた事による過食症である女の子(配信者)が主人公。
そこへ配信を盛り上げるためでもあり、同時に主人公を心配して集まる仲間、その人々もまた違う悩みや心の病気を持っていた。
配信が盛り上がると、どうしてもうるさくなってしまい、住んでいる下の階の住人にうるさいと苦情を受ける。
下の住人をなだめる役の方がいたり、主人公にお菓子を食べさせないように自分がお腹を壊してまで無理して食べる方や、心配して生の象徴として毎日卵を持ってきてくれる農家さんとか、毎日大丈夫なのかなと心配して見ている画面の前の視聴者さんとか、登場人物は多数。

あるとき、『こんな放送誰が見てるんだろう?(見る人なんていないだろう)』との質問に多くの視聴者が『見てるよ』と答える。
主人公はこのとき多くの見ているというコメントを見て『自分は生かされている』と言う。

兄の事を書きますと、当時実生活で上の階の暴漢(大麻逮捕歴有前科8犯)に突然襲われ(うるさく等はしておりませんこの部分はもちろん物語とは違います)左手に障害を持ちました。その後精神状態も崩壊寸前だった時に書いた作品です。

実際兄が過食症になったとかは聞いておりません。もしかしたらそうだったのかもしれません。その物語は女性ですが、自分が投影されています。上記した『自分は生かされている』というのは、その襲われたときにいろんな人が助けてくれて、自分は周りの人々に生かされているということをしっかりわかっていて、そのお世話になった人たちに感謝を伝えたかったんだと僕はそのセリフで感じました。クリックにて画像拡大できます。
未だ信じることができない訃報

そして終盤、元カレがちょっとぼっちゃりしている新しい彼女と一緒にいるところを見かけてこっそり見ていると、彼女がくしゃみをして鼻が垂れた。それを見た彼氏は笑ったそうだ。

主人公に太ったねって言った時と同じ笑顔で。

彼氏が言った『太ったね』はぼっちゃり好きな彼氏が傷つけようとした言葉じゃないことに気が付いた。そのシーン。
未だ信じることができない訃報

次に主人公に対して『甘えるな』と言う。ここ。

暴漢に襲われ、なんで自分がこんな目に合うのだと精神が不安定になりながら仕事もまともにできず兄は、なんとか克服しようと歯を食いしばりながら自分に向かって『甘えるな』と脚本を書いた。

それが分かって僕もこのシーン歯を食いしばって涙こらえながら力いっぱい描きました。怒った顔とか苦しむ顔とか何パターンか主人公が『甘えるな』言われたときの表情を書いて兄が選んだのはこのすっと驚いた後の表情でした。これとかまさしく兄っぽくないですか?

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未だ信じることができない訃報

『配信本日最終回です』は言い換えると『俺はこの出来事を克服するんだ!弱るのはこれで最後にして区切り付けて前に進むんだ』です。これを感情をあまり出さない顔で言わせるんすよ。これが兄の演出です。


兄の作品について思い出すことはたくさんありすぎて終わらないのですが、ぜひとも書きたい九州戯曲賞大賞を獲った『チッタチッタの抜け殻を満たしてと僕ら』をもう一つだけ書きたいと思います。

コロナが出てくる以前に2014年の3月に『チッタチッタ』は初公演行われているのですが、すでにアマビエを登場させていたり先見の明も◎ですね。
『チッタチッタ』マンガ化したときに兄に寄稿してもらった文章。兄の字が手書きで残っているのも今となっては嬉しい。
やはり幼少期の思い出から物語が出来ており、その当時は私もいたはずなのに何もそんな事思ってなくて兄の凄さにまた驚く。
未だ信じることができない訃報

気恥ずかしくて兄弟同士面と向かて御礼とかもあまり言い合った記憶も無いので、これを見てなんか嬉しく思う。
『チッタチッタ』を観劇したとき私は感想の一部に『いつか牛深の浦島伝説のお話も作って!資料は私がいろいろ持ってるからその時は渡します』と書いた。

『竜宮都市ゴーヘイ』は私の希望も含まれ生まれていた。思い出すと兄弟で話す事は少ないながらもいろいろと愛情を与えてくれてたんだよな。

牛深が物語の舞台である『チッタチッタ』で大賞を獲ったというのもなんか美しいわ。

告別式の前説も過去の公演で兄が録音したものをゼロソーの仲間が流してくれた。間もなく幕が開くという時間が、告別式の時間お昼の1時半と同じで、自分でアナウンスするなんてね。すべてが計算だったのかと思わせる終わらせ方。

もう美しすぎるね。

兄にはいろいろと学ばせてもらいました。

大賞とったときの私のブログ記事↓
高度に発達した大賞は魔法と見分けがつかない


弟だから言うとかじゃなくて、まじ兄って本物の天才だったんすよ。
もっかい言いたいからいうよ。
兄はね、控えめに言って天才だったんです。

もっと一緒にやりたいことまだまだあったし、兄がいない世界を想像してなかったしできない。
書きたいことはたくさんありますが、この辺りにしておきます。
残りは私の過去のブログで兄を思い出していただけると嬉しく思います。

兄へチッタチッタのマンガのネーム描いているときに相談したときの驚きエピソード↓
続・『竜宮都市ゴーヘイ』

『いやぁ、歌ってのはあんまり歌詞はその、どうだっていいんですよね。』の意味↓
絵を描くということ-序章

この時に描いたモデルさんが後に兄の妻へなるなんて想像もしてませんでした。こういうのも美しい。

最後に亡くなる数日前兄は私の小6の頃の思い出を語ってくれました。幼少期共に育った牛深にはマクドナルドが無く、小6だった私が熊本市内へ部活の遠征へ行った帰りにマクドナルドのポテトを買ってきたそうだ。それがとても美味しくてと。
言われて30年前の記憶が蘇りました。そう言えば兄の机にはその後マクドナルドの赤いポテトの箱があったのを鮮明に思い出しました。
闘病生活の中で食べ物が喉を通らなくなってきた時にマクドナルドのポテトは食べれると何度か食べていました。兄はその時に幼少期のその事を思い出していたのでしょうか。
私はこれから先マクドナルドのポテトを食べる度に兄を思い出すに違いありません。
演出指示を出している兄、照明操作卓を触ってる兄、演劇台本を考えている兄、そしてポテトを食べる兄。いつも笑ってる笑顔しか思い出せません。
これを読んでくださっている方々それぞれに兄の姿があると思います。ツイッターなどでも兄の事を書いてくださっているものは可能な限り拝見したく思っています。兄も読んでると思います。兄に代わり厚く御礼を申し上げます。
これまで兄を支えてくださった皆様に厚く御礼を申し上げます。


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