2015年09月12日

長良の足についてこれる?-牛深第十景その一

こんにちは!
はじめましての人ははじめまして!

「絵で見る~」の本についてはみなさんご注文いただき誠にありがとうございます。初版残り10冊ですお早めに!牛深の方は母へ言っていただけるとすぐお届けさせてもらいますm(__)m

今回は人気企画牛深八景の十作目。第十景でございます。題材は題名でお分かりの通り軍艦長良です。牛深に深く関係していて、まとめたいことが多くあるので2回に分けます。

昨日から鬼怒川の決壊でニュースは埋め尽くされています。被害にあわれた皆様に心よりお見舞い申し上げます。
鬼怒川は群馬・栃木の県境に源を発し、利根川に合流する。流長170㌔。しばしば氾濫を繰り返したので治水工事が何度も繰り返されてきた。

度重なる氾濫被害の恐れから鬼怒と名付けられたのでしょう。

日本の軍艦名には河川名を付けられたものがあります。軍艦鬼怒もその一つ。
軍艦の種類もその用途によって多種に分かれるのですが、軍艦鬼怒は長良型に分けられ長良型5番艦です。(長良と同型、順番で5番目に建造されたという意味)

先にご説明しておきますが私も最近調べましたので軍オタでもなんでもないので詳しいことはわかりません。ただ学ばないといけないことだと思いますので、間違いがあればご教授願います。


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それでは長良について書いていきます。

長良型はすべて河川名で名付けられました。長良型は順に「長良」「五十鈴」「名取」「由良」「鬼怒」「阿武隈」の6艦。
その中でも軍艦長良は型の名前にもなっている様に長良型一番艦ということで現在でも重要度と人気を集める存在。

軍艦鬼怒や軍艦長良と書いてきましたが、もっと詳しく分類したもので表記すると、

けいじゅんようかんながら
「軽巡洋艦長良」または省略して

けいじゅんながら
「軽巡長良」と呼ばれます。

軍艦に馴染みのない方々は軍の船いわゆる軍艦は全部戦艦(艦種戦類別戦艦)と思ってらっしゃる方が多いのではないでしょうか?私も恥ずかしながらそうでした。戦艦大和があまりにも有名すぎてその影響でしょう。

なので長良の事を一番誤用されやすいのが戦艦長良と呼ぶことだと思います。ここだけでも覚えていっていただけると牛深の方はわかってるなぁと思われると思いますので注意して覚えておいてください。よろしくお願いします。

大事なことなので2回言います、笑
「戦艦長良ではなく、軍艦長良もしくは軽巡長良」です!

経歴スペック(新造時)
大正11年4月21日竣工(佐世保工廠)

基準排水量:5170㌧
全長162.15㍍
速力:36.0㌩
兵装:14㌢砲7門、魚雷発射管8門、水偵1機
長良の足についてこれる?-牛深第十景その一
長良の足についてこれる?-牛深第十景その一
水雷戦隊の旗艦、主力部隊の直衛や前衛、艦隊後方の索敵(敵軍の位置・状況・兵力などをさぐる)、哨戒(敵の航空機,艦船が一定の空域,水域へ侵入するのを,哨戒機,哨戒艦艇,レーダ,見張り所などを用いて警戒する)などを任務にしていた。

長良川は岐阜県西部の大日岳に源を発し南流して木曽川、揖斐川と並んで伊勢湾に注ぐ。流長160㌔。

岐阜愛知と流れて伊勢湾に注いでいる長良川で、建造時には特別牛深と関係があるわけではありません。
何が関係しているのかというのは先日書いたこの記事の後半部分に載せた内容。

この内容にもう少し詳しいことを補足致します。
昭和19年8月7日に牛深大島沖で米潜水艦クローカー(USS Croaker, SS-246) の雷撃に遭い轟沈。
長良の足についてこれる?-牛深第十景その一
この写真は艦尾から沈みつつある長良を、クローカーが潜望鏡を通じて撮影したものです。

座標
北緯三十二度十二分
東経百二十九度五十一分
水深百二十七㍍

この轟沈した時は鹿児島から佐世保へ帰る途中だった。このことから長良は牛深沖を素通りしていただけで牛深に寄港したことなんて一度もないんだろうなと思っていました。

事実は違いました。長良は昭和3年12月に第一艦隊第三戦隊に編入され、その後は12年頃までしきりに中国のチンタオ方面で行動し、佐世保港への入港が頻繁でした。この時期牛深港に軽巡長良と軽巡夕張、その他駆逐艦などがしばしば碇泊していました。

「牛深ノ湾内ハ水深14尋(22,3㍍)アリテ、故ニ時々軍艦及ビ水雷艇ノ投錨セルヲ見ル」(我が町より)

湾内の水深は深く、湾の前面は島で視界を遮っていて敵に見つかりにくい上、天草灘の大海に直ぐ出ることができる。軍艦の碇泊には適地だった。昭和の軍測量牛深地図に詳しく一帯の水深が測定してあったのはこの理由からだったんだなと今わかった。

牛深港に長良が来ていたのだ。海彩館から港を眺め、長良を想う。

70年前の目の前の場所には長良がいたのだ。

フェリー乗り場で、見えないけどそこにいるような気がする長良に70年前の牛深の方と同じように僕は万歳ー!と叫んだ。

涙が頬を伝っていた。

長良の足についてこれる?-牛深第十景その一
新聞記事内にある恭花さんの書です。

ということで第二回へ続くわけですが、この書にある島一春さんの本「天草灘にひびけ鎮魂の譜」を読みました。

涙無くしては読めない牛深の長良物語でした。次回はそこからおつるおばさんをご紹介したり、題名からもわかるように、若者に大人気の艦これの話題なんかボリュームたっぷり長文用意しています。次回読むときはハンカチも御用意ください(TдT)

な・の・で・す・が、牛深第十景なので私が絵を描かないといけなくて、笑。描きはじめてはいますが、まだまだ時間がかかりそうです。

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Posted by hirok○ at 03:03│Comments(2)牛深八景
この記事へのコメント
僕の母方の祖父が長良の砲術長をしていたと聞いてます。そんな事もあり長良と言う軍艦について大変興味があります。海自で護衛艦として新たにながらが造られた事を嬉しく思っています。
Posted by 勇夫 at 2025年02月18日 14:43
≫勇夫さん
海自で新しくながらを造られたんですね。
わたしもご遺族の方々にこのブログを見ていただき嬉しく思います。
ありがとうございます。
Posted by hirok○hirok○ at 2025年02月18日 21:13
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