2012年12月31日
日本髪いいね牛深第三景
こんにちわ!
はじめましての人ははじめまして!
メリークリスマス~♪ってもうだいぶ過ぎてますね・・・
もう31日じゃないですかー。
やっとお正月の休みです。
今年一年はそこそこ普通に忙しかったですね。
このブログにも出会いました。他のところでもブログを持っていますがそっちと違って、こっちのこういう規模のゆっくりした感じで書きたいこと書くブログもいいものだなって思います。
大きくなりすぎると書きたいのに書けないってことよくあるから・・・匿名で書かせてもらっているのもそういう理由のためです。
他のブログ書いている方のを見て故郷の近況がわかるし、天草の人達だけで集まってやっているのがうれしいですね。
運営さまお疲れ様でございます。こういう場所を提供して頂いてありがとうございます。また来年もよろしくお願い致しますね。
*.♪。★*・゜・*♪*.♪。★*・゜*.♪。★*・゜・*♪*.♪。★*・゜*.♪。★*・゜・*♪*.♪。★*・゜*.♪
ということで第三景です。
実は三景で描いた油絵があるのですが、その絵は次回第四景にまわします。
先に三景として公開するのは・・・実はマンガを描きました。
そのマンガからお見せしますね。(画像クリックで拡大)



お分かりだと思いますが題材は新銀取り坂です。
このマンガで言いますと4ページ1コマ目の女郎さんが登っている坂がそれにあたります。
本土から来るお金のことを新銀と言い、女郎さんのことを新銀取りと言い、そしてその新銀取りさんが登り降りをした坂を新銀取り坂と呼んでいたということですね。
この辺りの山は今の山のように雑木が生えてなく松の木だけしか生えてなかったそうです。
落ちた松の枯れ葉をよくかき集めてたそうだ。お風呂の火を起こすときなどに使用したのかな?!
一点誤解がないように書いておきますと、このマンガの最後のページなのですが、松の木に提灯をぶら下げていつまでも出港する船を見送っているように見せたという話はほんとのお話だとお聞きしておりますが、それが今で言う営業目的だったかというのは私の脚色です。
牛深を離れる船乗りがいつまでも見送る提灯の明かりを見て、自分のことをそんなに思ってくれているんだと感じて「牛深の女は情が深い」という言葉が残っていることもありますので営業心が全くなく、純粋に相手を思って見送っていたのかも知れません。
現在の写真も記録のために一応載せておきます。

今年の豪雨の時に山崩れ起きたそうですね。今は土のうで応急的に固めてありました。(写真奥)こういう面白い場所は無くならないようには保存してもらいたいですね。
今回日本髪の女性の絵を描いて日本髪いいなって思いました。戦後牛深でもお正月には日本髪を結っていたそうですね。いいなぁ。見てみてかったな。
ということで今年も今日で終わりですね。
みなさん良いお年を。
はじめましての人ははじめまして!
メリークリスマス~♪ってもうだいぶ過ぎてますね・・・
もう31日じゃないですかー。
やっとお正月の休みです。
今年一年はそこそこ普通に忙しかったですね。
このブログにも出会いました。他のところでもブログを持っていますがそっちと違って、こっちのこういう規模のゆっくりした感じで書きたいこと書くブログもいいものだなって思います。
大きくなりすぎると書きたいのに書けないってことよくあるから・・・匿名で書かせてもらっているのもそういう理由のためです。
他のブログ書いている方のを見て故郷の近況がわかるし、天草の人達だけで集まってやっているのがうれしいですね。
運営さまお疲れ様でございます。こういう場所を提供して頂いてありがとうございます。また来年もよろしくお願い致しますね。
*.♪。★*・゜・*♪*.♪。★*・゜*.♪。★*・゜・*♪*.♪。★*・゜*.♪。★*・゜・*♪*.♪。★*・゜*.♪
ということで第三景です。
実は三景で描いた油絵があるのですが、その絵は次回第四景にまわします。
先に三景として公開するのは・・・実はマンガを描きました。
そのマンガからお見せしますね。(画像クリックで拡大)



お分かりだと思いますが題材は新銀取り坂です。
このマンガで言いますと4ページ1コマ目の女郎さんが登っている坂がそれにあたります。
本土から来るお金のことを新銀と言い、女郎さんのことを新銀取りと言い、そしてその新銀取りさんが登り降りをした坂を新銀取り坂と呼んでいたということですね。
この辺りの山は今の山のように雑木が生えてなく松の木だけしか生えてなかったそうです。
落ちた松の枯れ葉をよくかき集めてたそうだ。お風呂の火を起こすときなどに使用したのかな?!
一点誤解がないように書いておきますと、このマンガの最後のページなのですが、松の木に提灯をぶら下げていつまでも出港する船を見送っているように見せたという話はほんとのお話だとお聞きしておりますが、それが今で言う営業目的だったかというのは私の脚色です。
牛深を離れる船乗りがいつまでも見送る提灯の明かりを見て、自分のことをそんなに思ってくれているんだと感じて「牛深の女は情が深い」という言葉が残っていることもありますので営業心が全くなく、純粋に相手を思って見送っていたのかも知れません。
現在の写真も記録のために一応載せておきます。

今年の豪雨の時に山崩れ起きたそうですね。今は土のうで応急的に固めてありました。(写真奥)こういう面白い場所は無くならないようには保存してもらいたいですね。
今回日本髪の女性の絵を描いて日本髪いいなって思いました。戦後牛深でもお正月には日本髪を結っていたそうですね。いいなぁ。見てみてかったな。
ということで今年も今日で終わりですね。
みなさん良いお年を。
Posted by hirok○ at 05:02│Comments(1)
│牛深八景
この記事へのコメント
こんなお話があったんですね(*^_^*)
そして、漫画でリアルに情景を描いていただいて、全く知らない私にも牛深の時代を感じさせていただける素晴らしい芸術です(^O^)
牛深を見る目が変わりました(^_^;)
来年もよろしくお願いします。
楽しみに読ませていただきます。
そして、漫画でリアルに情景を描いていただいて、全く知らない私にも牛深の時代を感じさせていただける素晴らしい芸術です(^O^)
牛深を見る目が変わりました(^_^;)
来年もよろしくお願いします。
楽しみに読ませていただきます。
Posted by やっぱり太陽
at 2012年12月31日 23:47

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