2014年03月24日
僕もその縫い目から溢れだすほどに満たして欲しい(牛深舞台の演劇)
古来より日本では月を神聖なるものと考えその年最初の満月を小正月と呼び、ちょうど半分に当たる満月日をいわゆるお盆という。
お盆とは仏教だと思っている方が多いと思いますが、もともと神道にあった先祖の霊を祀るものに仏教が合わさって仏教神事となったものなのだ。
さてさて、牛深第五景で描いた通天公園からの夕日のイラストを提供させてもらってましたがそのイラストを使っていただいた劇団ゼロソーさんの公演が22日と23日あった。
牛深総合センターでの公演も以前何度かあってましたのでゼロソーご存知の方もいらっしゃるかな?
代表の方が牛深出身で、今回は牛深を舞台にした物語だということで通天公園からの景色依頼だったわけです。
-----------------------------------------------
『チッタチッタの抜け殻を満たして、と僕ら』
舞台はとある田舎の港町。
幼少期をこの町で過ごし、今は地元を離れたそれぞれの場所で生活を送る青年らが、
ある夏、約20年ぶりに集合、してしまった。…彼らのアイドル、チッタチッタの家の仏壇の前で。
額に1本の線路みたいな大きな傷をもった少女、チッタチッタ。きっと死因はその傷が示す彼女の持病にあったのだろう。
彼女の遺影を前に思い出語りをする同級生たち。
と、突如、彼らの目の前に幼い頃のままのチッタチッタとその愉快な仲間たち(妖怪?幽霊?)が現れた!
幼なじみたちにしか見えていないチッタチッタと、チッタチッタが見えない地元の人達が織りなす、ゼロソー式80年代ジュブナイル・シットコム。
港町の潮の香りに少しだけ切なさも味付けして、ゼロソー総出演でお送りします。
-----------------------------------------------
うはぁこれはおもしろそーってことで2回観劇させてもらいました。
このチッタチッタとは牛深の言葉かな?天草の言葉かな?まぁいわゆる・・・言いにくいことはっきり説明してしまえば知的障害者のことで、ちった(少しばかり)脳の発達が鈍い人のことの通称だ。
これだけの説明ではこの作品がバッシングされそうなのですが、この作者はこのチッタチッタの抱える問題に真摯に向き合い、それを優しく包み込む愛情いっぱいのバッシングすらはねのける作品に仕上げた。
あ、えと・・・このブログまでパンフで宣伝してもらってました。ありがとうございましたm(__)m
道案内などにもイラスト使われてましたがさらに嬉しい事にいろんなグッズにもイラスト使われてました。

このイラストの牛深第五景→こちら
*.♪★*・゜・*♪*.♪★*・゜*.♪★*・゜・*♪*.♪★*・゜*.♪★*・゜・*♪*.
こんにちわ!
はじめましての人ははじめまして!
で、そのお話がお盆のお話だったのです。
感想です。
まだ都城公演が残っているとのことなのでストーリーは書きません。2回見たうちの2回目は1回目よりも深く理解でき泣きました。
なんといってもチッタチッタの可愛さでしょうね。
目の前で見る役者さんの迫力っていうのはテレビや映画とは違い終始役者さん凄いなぁってドキドキしながら物語に引き込まれました。
ただ見るだけではなくて絵を描くものとしてたくさん目に焼き付けたくて、役者さんの表情はもちろん指先の動きとかお客さんの目線が集まってる時の他の役者さんの動きとかそのときそのときの小道具の場所とか細く見させてもらいました。もちろん全部は見ること出来なかったけど片時も目を離せなかった。
物語上自然にその登場人物がそこにいるように見えるのに、すべてがその場所でなくてはならずすべて計算された物を自然に見せられていることに気がつくと演劇に対して無知である私は、その魅力はとてつもなく大きなものに感じられてうわぁすげぇってなる。
天草に関しては栖本と下浦の妖怪である油すましやアマビエなども天草由来でおもしろかったですね。いつか牛深の浦島伝説のお話も作って!資料は私がいろいろ持ってるからその時は渡します(+_+)
ほんと個人的な好みの問題になるのか一言だけストーリーについて書くと、チッタチッタを見える人と見えない人の違いは何なのかを知りたかった。見えないけどそこにいる。見えないけど見たい!で感情移入したかったです。
今回も書きたいことはいっぱいありますが、これ以上書くとネタばらしになりそうだし、劇団の関係者にはうざがられそうwなのでやめましょうw
最初に書いたように物語の季節はお盆ということでその夏というものはノスタルジックにさせてくれます。
照明も夕日の演出だったりセミの音響だったり効果的に使用してあって牛深を想い幼少期を懐かしみました。あ!指定されてなかったけどこの絵は夏の牛深の絵だったー!描いたのが違う季節じゃなくて良かった。
先日3月21日は春分の日でした。今回公演日が3月22日23日ということで、春分の日前後3日間はお彼岸の時期に重なります。お盆が月に対しての神事に対して、このお彼岸は太陽に対しての神事なのです。
しつこいようですがこれも仏教だと思ってる方がたくさんいらっしゃると思います。
お彼岸も元々は神道であり仏教神事であります。もう少し詳しく言いますとお盆はご先祖様(亡くなった方)の方から降りてきてくださる神事でお彼岸は生きている人々からご先祖様(亡くなった方)に近づいて祀る神事です。
その意味でいえばゼロソーさんがここまで考えてこの日に公演をしたのかはわかりませんが私はお彼岸にこの物語が公演されたことをとても素晴らしく思います。チッタチッタの事を想う人々はチッタチッタに自分の意志で近づいた。こんなにも物語とマッチして美しい公演日はないでしょう。
劇団ゼロソーのみなさまおつかれさまでした。そしてありがとうございました。
お盆とは仏教だと思っている方が多いと思いますが、もともと神道にあった先祖の霊を祀るものに仏教が合わさって仏教神事となったものなのだ。
さてさて、牛深第五景で描いた通天公園からの夕日のイラストを提供させてもらってましたがそのイラストを使っていただいた劇団ゼロソーさんの公演が22日と23日あった。
牛深総合センターでの公演も以前何度かあってましたのでゼロソーご存知の方もいらっしゃるかな?
代表の方が牛深出身で、今回は牛深を舞台にした物語だということで通天公園からの景色依頼だったわけです。
-----------------------------------------------
『チッタチッタの抜け殻を満たして、と僕ら』
舞台はとある田舎の港町。
幼少期をこの町で過ごし、今は地元を離れたそれぞれの場所で生活を送る青年らが、
ある夏、約20年ぶりに集合、してしまった。…彼らのアイドル、チッタチッタの家の仏壇の前で。
額に1本の線路みたいな大きな傷をもった少女、チッタチッタ。きっと死因はその傷が示す彼女の持病にあったのだろう。
彼女の遺影を前に思い出語りをする同級生たち。
と、突如、彼らの目の前に幼い頃のままのチッタチッタとその愉快な仲間たち(妖怪?幽霊?)が現れた!
幼なじみたちにしか見えていないチッタチッタと、チッタチッタが見えない地元の人達が織りなす、ゼロソー式80年代ジュブナイル・シットコム。
港町の潮の香りに少しだけ切なさも味付けして、ゼロソー総出演でお送りします。
-----------------------------------------------
うはぁこれはおもしろそーってことで2回観劇させてもらいました。
このチッタチッタとは牛深の言葉かな?天草の言葉かな?まぁいわゆる・・・言いにくいことはっきり説明してしまえば知的障害者のことで、ちった(少しばかり)脳の発達が鈍い人のことの通称だ。
これだけの説明ではこの作品がバッシングされそうなのですが、この作者はこのチッタチッタの抱える問題に真摯に向き合い、それを優しく包み込む愛情いっぱいのバッシングすらはねのける作品に仕上げた。
あ、えと・・・このブログまでパンフで宣伝してもらってました。ありがとうございましたm(__)m
道案内などにもイラスト使われてましたがさらに嬉しい事にいろんなグッズにもイラスト使われてました。

このイラストの牛深第五景→こちら
*.♪★*・゜・*♪*.♪★*・゜*.♪★*・゜・*♪*.♪★*・゜*.♪★*・゜・*♪*.
こんにちわ!
はじめましての人ははじめまして!
で、そのお話がお盆のお話だったのです。
感想です。
まだ都城公演が残っているとのことなのでストーリーは書きません。2回見たうちの2回目は1回目よりも深く理解でき泣きました。
なんといってもチッタチッタの可愛さでしょうね。
目の前で見る役者さんの迫力っていうのはテレビや映画とは違い終始役者さん凄いなぁってドキドキしながら物語に引き込まれました。
ただ見るだけではなくて絵を描くものとしてたくさん目に焼き付けたくて、役者さんの表情はもちろん指先の動きとかお客さんの目線が集まってる時の他の役者さんの動きとかそのときそのときの小道具の場所とか細く見させてもらいました。もちろん全部は見ること出来なかったけど片時も目を離せなかった。
物語上自然にその登場人物がそこにいるように見えるのに、すべてがその場所でなくてはならずすべて計算された物を自然に見せられていることに気がつくと演劇に対して無知である私は、その魅力はとてつもなく大きなものに感じられてうわぁすげぇってなる。
天草に関しては栖本と下浦の妖怪である油すましやアマビエなども天草由来でおもしろかったですね。いつか牛深の浦島伝説のお話も作って!資料は私がいろいろ持ってるからその時は渡します(+_+)
ほんと個人的な好みの問題になるのか一言だけストーリーについて書くと、チッタチッタを見える人と見えない人の違いは何なのかを知りたかった。見えないけどそこにいる。見えないけど見たい!で感情移入したかったです。
今回も書きたいことはいっぱいありますが、これ以上書くとネタばらしになりそうだし、劇団の関係者にはうざがられそうwなのでやめましょうw
最初に書いたように物語の季節はお盆ということでその夏というものはノスタルジックにさせてくれます。
照明も夕日の演出だったりセミの音響だったり効果的に使用してあって牛深を想い幼少期を懐かしみました。あ!指定されてなかったけどこの絵は夏の牛深の絵だったー!描いたのが違う季節じゃなくて良かった。
先日3月21日は春分の日でした。今回公演日が3月22日23日ということで、春分の日前後3日間はお彼岸の時期に重なります。お盆が月に対しての神事に対して、このお彼岸は太陽に対しての神事なのです。
しつこいようですがこれも仏教だと思ってる方がたくさんいらっしゃると思います。
お彼岸も元々は神道であり仏教神事であります。もう少し詳しく言いますとお盆はご先祖様(亡くなった方)の方から降りてきてくださる神事でお彼岸は生きている人々からご先祖様(亡くなった方)に近づいて祀る神事です。
その意味でいえばゼロソーさんがここまで考えてこの日に公演をしたのかはわかりませんが私はお彼岸にこの物語が公演されたことをとても素晴らしく思います。チッタチッタの事を想う人々はチッタチッタに自分の意志で近づいた。こんなにも物語とマッチして美しい公演日はないでしょう。
劇団ゼロソーのみなさまおつかれさまでした。そしてありがとうございました。
Posted by hirok○ at 23:21│Comments(0)
│【所感】劇団ゼロソー
※このブログではブログの持ち主が承認した後、コメントが反映される設定です。