2013年05月14日

【藍より青く】の中心で愛を叫ぶ-第一回-

「学は、もって已(や)むべからず
青は藍よりい出て藍より青く、
氷は水これを為して水よりも寒(つめた)し」

荀子の一節。

学問はここまでで終わりと云う事はないので弛んではいけない。
藍から生まれた青がもとの藍よりも鮮やかに青いように、
水からできた氷がもとの水よりももっと冷たいように、
(師を凌ぐ学の深さを持った弟子も生まれるものなのだ。)
という意味。


こんにちわ!
はじめましての人ははじめまして!

牛深の人にとってこの「藍より青く」という言葉は1972年NHK連続テレビ小説で放映されたドラマとして馴染みが深いものだと思う。
全国視聴率50%だというから地元牛深では特に知ってて当たり前の話なのだろう。


ですが私はその時産まれてもいない訳で、全くどんな話かもわからない。今となっては私と同じように知らない世代も多いのではないか。牛深八景にも関係しますのでこのブログに記しまとめることにした。おそらく短くはまとまらないので数回に分けて公開することにします。

まずネットで検索してみてた。

どうやら動画はNHK自体にも保存されてないらしい。動画を見れる可能性は0に近い。市役所では保存してないのかなぁ?保存されてたら公開の機会を希望。

wikiを見た→短くまとめられすぎ。

うーん。さっぱりわからない(ガリレオ風w)



本買った。





読んだ。


いつか読もうとは思ってはいたが、今だと思い立って2日後の事だった。同時に当時の撮影の関連雑誌なども取り寄せた。

牛深でロケがあったこと、わたしの親戚の方も出演した?!事など聞いていたのでわくわくしながら一気に読んだ。

考察・感想まとめます(以下注意!詳しいネタバレがありますのでストーリー知りたく無い方はスルーでお願いします。


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まず題名について。


冒頭に掲載した荀子の一節を想像していたので、読みながら思っていたのはヒロイン真紀(母親)と周一(父親)から産まれた周太郎(子)が親よりも立派に人として生きたみたいな話なのかなと思った。

読み終わって思ったのは「なんなんだこれ」だった。

これを見て当時の人達は「周太郎立派になって」という風に涙を流したのだろうか。

これが子供の頃から、おそらくとても良い作品なんだろうと思わされていた作品なのだろうか?

これが若かったとはいえ後に名脚本家と呼ばれる山田太一さんの作品なのだろうか?疑問だった。


そしてその憤りのままあとがきを読んだ。


その疑問が払拭されるには十分な材料がそこにはありました。


この藍より青くは冒頭に書いた荀子の一節とは全くの無縁であるそうだ。

そこに書いてある一文を書き出します。

【今の時代の自己形成が、「藍より青く」というような前世代との連続性の中で行われず、いわば「藍より赤く」といった非連続なかたちをとりがちであるという思いでした】

そう。僕が読みたかった物語は「藍より青く」だったはずなのに、読まされたのは「藍より赤く」であり全く青くなかったのだ。

あまりの戦後の時代の変化の激しさに順応していくのがやっとで、生きる事だけに一生懸命で、先人から代々受け継いできたものを見失ってしまっている。同じ線上である青として生きることを忘れ、みんな過去とは違う赤の線上にのってしまっていますがはたしてそれでいいのでしょうか?という作者の想いがあったようだ。

これはその後月日が流れた現代でもわたしは同じ思いをしていた。
あぁ、僕は、まんまと作者の罠にハマってしまって怒っていたようです。

はい。完全敗北を認めます。(上から目線ですみません)


ここまで理解しての「藍より青く」は間違いなく名作でした。


ということで牛深目線での「藍より青く」のあらすじを私の考察を入れながら詳しくまとめます。

当時テレビをご覧になられた方は思い出して懐かしんで、また全く知らない私の同世代より下の方で読む予定ないけれど内容を知りたいという方は見てみて下さい。どうぞ。


物語は昭和18年、大東亜戦争末期。

設定舞台は天草南端、遠見浦(とおみがうら)という漁村。
夕暮れ、漁船のエンジンが一斉にかかり港口を目指して出発する。
航跡で白く湧き立ち、夕日が、シルエットの彼方で見る見る熟れ落ちていく。

物語の中で実在する地名はいくつか出てきますがこの遠見浦という地名は牛深にはない。
天草ーNOWさんという天草インターネットビデオ放送局のHPを見た。

その中では「牛深には『遠見山』があって、『加世浦』の浦と合わせた地名じゃないのかな」ということだった。
これはわたしも同意見だ。

物語を作るに辺り牛深にロケハンに来た時に遠見山に登って景色を見ないはずがない。なので遠見というフレーズを使うことは不思議ではない。そしてこのブログでも以前から書いているように漁業の中心地であった船津郷の中の加世浦地区。合わせて遠見浦なのだろう。

そしてその天草ーNOWさんのHPの中で書いてある事の中に
「山頂で、真紀と周一は「遠見浦の海」を見下ろしながら、お互いの思いを確かめ合うというシーンはその遠見山から見ているシーンであるだろう。」とのことだった。わたしはこのことについては少し疑問がある。

遠見山から見える景色は市街地がメインでこの話の舞台である加世浦が見えないわけではないが、実は見えづらいのだ。
おそらくこうだ。作者は遠見山からの景色は印象に残っている。しかし実際は私が第四景で描いたあの山からの景色も見たに違いない。(その第四景はこちら)
その景色を重ねたのではないのでしょうか。そういう風に思える理由は後にも関係してきますので順番にいきますね。
後日どのシーンがどこの場所で起こったのか私なりの思い当たる予想を地図に示したいと思います。

さてあらすじに戻ります。この調子で書きたいこと書いていくとほんと長くなりそうなのでできるだけ超特急でいきます。
もう出てきてしまいましたが主人公は真紀18歳。父は厳格な国民学校(小学校)の校長。妹が一人いる。真紀は同世代の牛深からは唯一女学校を卒業した品のある美しい女性。
以前のことで誤解して覚えてる方も多いかもしれない。実は父親の遠見浦赴任により真紀も幼少期一緒に本渡から移住してきていたのだ。厳密に言えばこのヒロインである真紀は牛深出身者ではなく本渡出身者なのだ。

そしてもう一人の主人公。周一。網元の長男。20歳。お互いの存在は牛深から本渡へ中学校へ行った数少ない者同士。行く学校は同じではなかったが見かけたりする機会はあった。硬派な時代のためお互い話かけたり関わりを持つことはなかったが意識しあう存在ではあった。卒業後地元に帰り漁師をしていた。

はじまり
・帰宅した真紀はいきなり父親行義に怒鳴られる
女学校卒業後郵便局に勤める真紀はその帰り道に港を通って帰っていた。港に思いを寄せる周一がいるので通りがけに声でもかけられ2人きりになれるかもしれないとの希望を持っていたのだ。しかしその希望はいつも外れた。同世代の異性との会話自体が誰しも恥ずかしく世間の目も厳しいなか、真紀にそんな大胆な行動を取らせたのは周一が熊本師団への入団が一年足らずだと迫っていたからだった。

・周一と同じ漁船に乗る英雄が一足先に出征する
出征前日のふるまいの後、英雄は一度でいいから真紀と二人で話してみたいと周一に間に入ってもらって呼んできて欲しいと頼む。周一は船で世話になっている先輩の英雄を、そして出征する兵士の頼みを断れるはずがなかった。話したこと無い意識する相手にぎこちなく伝えたはいいもののやはりいてもたっても居られず呼び出した浜へ追い駆け出す。真紀は英雄に抱きしめられるのを嫌がり突き放して走ってくるところだった。周一に向かって一突きし、また走っていく真紀。お互いの気持ちとは裏腹に誤解を生んだ初めての会話であった。

・兵学校に行っている友人久雄が休暇で帰省する
このとき真紀はもう港を通るのをやめて山道を帰っている。周一は先日のことを悔やむ毎日。久雄の行っている兵学校はエリート中のエリートを育てる学校でそこから帰ってきた久雄を地元の女性子供はもてはやした。帰省の目的はお嫁さんを決める為だった。もうお分かりだろうがもちろん狙いは校長の娘真紀だという噂。久雄の歓迎会を開こうと周一は船仲間と準備をしているが約束の時間に遅れてやってくる久雄。女性青年団に捕まって遅れたとの理由に嫉妬し喧嘩になる一同。船仲間信次が、海に出れば久雄にも負けないと言い張る。周一は落ち着いて場を沈めようと動く。治まらない信次は久雄に浜島まで泳ぎ比べをしようと言い出す。時期は3月、お酒を飲んでいる、距離は4キロ余り。しかも久雄以外はその日3時間しか寝ていなく危険な争いであった。周一だけはそういう挑発に乗らず冷静なはずだった。しかし家を飛び出したのは歓迎会メンバーの一人である明以外の5人であった。

明は学校の校長である真紀の父に止めてくれと呼びに行く。周一の父や漁撈長の鯖江も海に出てくる。船で追いかけ船に全員引きずり上げた。周一と久雄を除いて。
心配で真紀は明と堤防の先まで来ていた。なぜ周一が泳いでいるのか友達思いの明はここで真紀に告げる。

真紀しゃんのためたい

久雄は帰郷した夜、真紀の家へ真紀を嫁に欲しいと言いに行ったということから一変、周一が競争に参加したというのだ。あんたん為に泳いどるちゅうこつだけ言うときたかったつよと言う明。あんな取次をしてわたしを好きだと言えるのだろうか真紀は戸惑った。だが次第に真紀の心に明の言葉が広がっていくのがわかる。

もう真紀には周一を嫌いになることができないくらい自分では止められないほど気持ちを寄せている自分に気がつくのだ。

 【信じたい、と思う

この小説の中で唯一一段落で終わる真紀の感情を表す一文。
そしてその後の 【信じられる、と思う】。希望が大きくなり確信に変わる瞬間。
また周一もやり場のない真紀への思いを海にぶつけて泳ぎ続けたのであった。

はい、ここ。実はまだページで言うところの34ページ目のこのシーン。全編通じて私が思う、ここが「藍より青く」の中で一番美しく一番のクライマックスシーンである。

ということでまだ序盤ですが一番の盛り上がりだと言いました。しかしまだまだいいシーンはありますので次回をお待ちください。この辺りで今回は終わりにしたいと思います。ちょっと長いですげどここまで読んでる方がいるとすればおそらく長文が嫌いではない方だと思いますのでw次回も続く藍より青く考察にお付き合い下さい。決してコメントで「長い、三行でまとめろ」とか言わないでくださいね(^m^;)
これを見てちょっと本読んで見ようと思ってくれる同世代がいたら嬉しく思います。

その他いろいろ、その話の場所はあそこだと思うとかあればこの右も左もわからない若造に教えて下さい。正解は著者しかわからないかもしれませんが真実だと思える理由を見つけたいのです。
  
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Posted by hirok○ at 02:04Comments(6)考察「藍より青く」