2014年05月02日

みんなだいすき牛深小学校!

こんにちは!
はじめましての人ははじめまして!

今回は牛深小学校についてまとめます。

簡単な歴史については先日の旧牛深小閉校のときの市報に載っておりましたので、ご覧になられた方もいらっしゃると思います。今回その始めの部分について私の持っている史誌より抜粋いたします。最近の歴史については省略いたします。

学制がしかれる前の牛深の学習施設は、『硯寿堂』(加世浦区)と『秀月庵』(真浦区)が主な寺子屋私塾だったとのこと。

硯寿堂、秀月庵共に長崎から支配を受け牛深村遠見番役人が教えていた。

明治八年(1875年)
公立牛深小学校設立。場所は観音庵(寺子屋)を借りる。番地は鬼塚一九一七となっているので今より少し街寄りでしょう。

明治十五年(1882年)に船津に牛小分校を新築。これを潮西小学校と称し、本校を潮東小学校と呼んだ。

同年、天附に潮東小の分教室を設置。

翌十六年、須口に潮東小分校設置、茂串に潮西小分校設置。

明治二十年(1887年)潮東小敷地に潮西小が移設され牛深小学校となる。
第一回卒業生は男子十六名、女子一名。計十七名だったそうだ。これが牛深小の始まりだ。

天附小はその後明治二十二年に独立した。
このことでわかるように、今年天附小は廃校になり新牛小に統合されましたが、天附の子供たち悲しがらないで大丈夫。もともと牛小だったのだから『母校さようなら』ではなく、『母校ただいま』なのである。

牛小先輩から一言言わせて
『天附の子供たち、おかえり(^^) そして二浦、魚貫の子供たち歓迎ようこそ!』


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先日の新牛深小開校式のとき教室を見て回ってたら、廊下に人文字の航空写真が並べてあった。

一番最初の写真は平成元年の写真だった。


これには私も並んだのを記憶していますがどこにいたのかは忘れてしまってました。どこだったかなぁ?
でも懐かしかった。


この写真でも写っているように、牛小の象徴といえば2本のせんだんの木でしょう。
この歴史については説明板が根本に設置してあったので一部転載します。

『明治三十三年(1900年)に当時の地元区長らにより校庭に植樹されたもので、当時は5㌢ほどの大きさでした』とのこと。

あのせんだんの木は114歳なのか。

まだまだ長生きして欲しいですね!
せんだんの木の絵を描こうと思ってましたが、見事な枝の広がり具合に時間がかかりすぎて今回は断念いたしました。

なので新牛小開校初日の記念日に撮影した写真を載せまして終わりにいたします。

これからも子供たちを見守ってね!おしまい!



  


Posted by hirok○ at 05:01Comments(3)休題、その他なんでも