2023年12月26日

牛深への道程

平成31年4月30日 平成最後の日に僕と柚は入籍した。

『令和は明日からですよ』と、提出先の市役所では確認されもした。それでもあえてこの日を選んだ。

当時は今の上皇陛下との繋がりを大事にしたかったと公言してたが、もちろんそれもある。

しかし4月30日は兄の誕生日でもあり、尊敬する兄との繋がりも大事にしたかったというのが本音である。

僕ら兄弟は大人になり恥ずかしさもあり普段あまり話をする関係ではなかったが、作品作りなどを一緒にする機会は多々あった。

言葉は少ないながら兄は後ろ姿で僕を成長させてくれた。



おめでとうLINEのやり取りで二人の雰囲気は伝わるかなと思う。

兄のLINE画像は僕と柚と兄と母で牛深の海へ泳ぎに行ったときに僕が撮った写真だった。

この年、兄の体の異変が発覚する。

一人で検査結果を聞いたときの事をこちらに気を使ってだろう、あっけらかんと話した。死へのイメージなんか感じさせないぐらい。

おそらく今『あのときどうだったの?』と聞けるなら、

石原慎太郎よろしく、
『天の星のように光り輝く映像を眺めながら、これで先生この後どれほどの命ですかねと聞いたよ』と恰好良くいうかもしれない。

医師からその答えを言われたか、言われてないかはわからない。僕らも聞けなかったから。

石原慎太郎は『死の宣告以来、私の神経は引き裂かれたと言うほかない。』と書き残している。書くのもつらいが兄もそうだったに違いない。

そして昨年の今日、兄は亡くなった。

僕ら家族は、一周忌の法要を終わらせ亡くなった事は理解はしていて、前に進まないといけないとはわかってはいても、実際は何も進んでおらず、あの日のままだ。

兄の体調が悪くなり、コロナのワクチン次、打つのやめると聞いてから、私は悲しませないように『ワクチンなんて打つ意味ない』と言って、同じく私もそれ以降回数を増やすことはしなくなった。

新しい事を次々やって、兄がいたころの自分ではなくなるのが兄に対して申し訳ないという気持ちと、兄がいた頃のままでいたいという感情が大きく自分を占める。

正直まだ、兄とのLINEやメールを直視することも難しい。

絵描きの自分が、呆れ笑うほど絵も描けない。今年自分の作品として描いたものは5作品のみ。毎年何百人とひたすら描いていた自分が何もしないまま一年が過ぎた。

前に進むのか、それとも以前に戻る事になるのか、幼少期兄と過ごした牛深へ来月帰住する。


年明け、ありがたいことに、日本劇作家協会が兄の追悼セッションを行ってくれるとのこと。
河野ミチユキを読む

兄の残した戯曲の魅力について語り合うイベントらしい。
多くの人に兄の作品の言葉選びの美しさに、裏にある兄の生きた物語に気が付いて好きになってもらいたい。













  


2022年12月30日

未だ信じることができない訃報

私の実の兄である劇作家・演出家 河野ミチユキ(通幸)が令和4年12月26日午前6時32分、胃がんのため永眠いたしました。
ここに皆様からの生前のご厚誼に深謝し、謹んでご報告申し上げます。

昭和51年4月30日生まれ 享年47歳

令和元年12月に胃がんが発覚し、翌年1月に胃全摘出手術を行い、その後は再発防止の抗がん剤治療を続けておりましたが令和4年3月再発骨転移、入退院を繰り返しながら10月腹膜播種と厳しい状況にも諦めず、副作用に耐えながら辛い抗がん剤治療を最後まで続けてまいりました。
食事も食べれる量やものを自分で考え細かく調整しながら工夫しながら、私たちの1日でも長く生きて欲しいとの願いに応えるように頑張っていました。食べ物が喉を通らないようになって、体を起こすことが出来なくなって薬も、もう飲む必要が無いと思われても、兄の強い意志で最後の日まで力を振り絞って飲みこんでがんに抗いました。
そして26日自宅にて最愛の妻と母親に看取られながら安らかに息を引き取りました。


通夜は27日、告別式は28日に多くの御参列者様のご協力を頂きまして、つつがなく執り行うことができました。心より深くお礼申し上げます。


告別式まで終わったものの、実際目の前で起こっている事と、気持ちが正直まったく同期していなく、亡くなってしまったことは物理的に理解してはいても、そんなのは嫌だ!と子供みたいに理屈の通らない感情が溢れてきます。

自分の気持ちを整理する為にも、少し長く、乱文になるとは思いますがここに全て気持ちを書き記したいと思います。


兄が代表をしていた劇団ゼロソーには私もデザインや絵・イラストなど多少関わっておりまして、こちらのブログや『あーね』というブログで観劇したときの感想など書いておりました。

兄が書いた多くの物語はまさしく兄の人生そのもので全て兄が経験したことが元になって作られています。
『アクワリウム』の水俣病について考えていた兄の高校時代。牛深から熊本へ出てきていた僕と兄は牛深へ帰省する際時間を合わせて水俣へ行き、そこから船で帰っておりました。その船を待っているときに兄はそんな事を考え、そして考えていたまさにそのとき私は隣にいたという事になります。
ただ早く来ないかなーとか思って待っていた私の隣では、アクワリウムの源になる疑問を考えていた兄に驚かされます。

ゼロソーのお話の中で2つばかり私はマンガ化致しました。
その一つ『チューウィンガム』または『猥々野郎』(共に同内容作品)について書きます。

今では当たり前になりつつあるyoutubeなどの一般の方の生放送・生配信をいち早く題材に取り入れた作品。
元カレから太ったねと言われ別れた事による過食症である女の子(配信者)が主人公。
そこへ配信を盛り上げるためでもあり、同時に主人公を心配して集まる仲間、その人々もまた違う悩みや心の病気を持っていた。
配信が盛り上がると、どうしてもうるさくなってしまい、住んでいる下の階の住人にうるさいと苦情を受ける。
下の住人をなだめる役の方がいたり、主人公にお菓子を食べさせないように自分がお腹を壊してまで無理して食べる方や、心配して生の象徴として毎日卵を持ってきてくれる農家さんとか、毎日大丈夫なのかなと心配して見ている画面の前の視聴者さんとか、登場人物は多数。

あるとき、『こんな放送誰が見てるんだろう?(見る人なんていないだろう)』との質問に多くの視聴者が『見てるよ』と答える。
主人公はこのとき多くの見ているというコメントを見て『自分は生かされている』と言う。

兄の事を書きますと、当時実生活で上の階の暴漢(大麻逮捕歴有前科8犯)に突然襲われ(うるさく等はしておりませんこの部分はもちろん物語とは違います)左手に障害を持ちました。その後精神状態も崩壊寸前だった時に書いた作品です。

実際兄が過食症になったとかは聞いておりません。もしかしたらそうだったのかもしれません。その物語は女性ですが、自分が投影されています。上記した『自分は生かされている』というのは、その襲われたときにいろんな人が助けてくれて、自分は周りの人々に生かされているということをしっかりわかっていて、そのお世話になった人たちに感謝を伝えたかったんだと僕はそのセリフで感じました。クリックにて画像拡大できます。


そして終盤、元カレがちょっとぼっちゃりしている新しい彼女と一緒にいるところを見かけてこっそり見ていると、彼女がくしゃみをして鼻が垂れた。それを見た彼氏は笑ったそうだ。

主人公に太ったねって言った時と同じ笑顔で。

彼氏が言った『太ったね』はぼっちゃり好きな彼氏が傷つけようとした言葉じゃないことに気が付いた。そのシーン。


次に主人公に対して『甘えるな』と言う。ここ。

暴漢に襲われ、なんで自分がこんな目に合うのだと精神が不安定になりながら仕事もまともにできず兄は、なんとか克服しようと歯を食いしばりながら自分に向かって『甘えるな』と脚本を書いた。

それが分かって僕もこのシーン歯を食いしばって涙こらえながら力いっぱい描きました。怒った顔とか苦しむ顔とか何パターンか主人公が『甘えるな』言われたときの表情を書いて兄が選んだのはこのすっと驚いた後の表情でした。これとかまさしく兄っぽくないですか?

次のページ。


『配信本日最終回です』は言い換えると『俺はこの出来事を克服するんだ!弱るのはこれで最後にして区切り付けて前に進むんだ』です。これを感情をあまり出さない顔で言わせるんすよ。これが兄の演出です。


兄の作品について思い出すことはたくさんありすぎて終わらないのですが、ぜひとも書きたい九州戯曲賞大賞を獲った『チッタチッタの抜け殻を満たしてと僕ら』をもう一つだけ書きたいと思います。

コロナが出てくる以前に2014年の3月に『チッタチッタ』は初公演行われているのですが、すでにアマビエを登場させていたり先見の明も◎ですね。
『チッタチッタ』マンガ化したときに兄に寄稿してもらった文章。兄の字が手書きで残っているのも今となっては嬉しい。
やはり幼少期の思い出から物語が出来ており、その当時は私もいたはずなのに何もそんな事思ってなくて兄の凄さにまた驚く。


気恥ずかしくて兄弟同士面と向かて御礼とかもあまり言い合った記憶も無いので、これを見てなんか嬉しく思う。
『チッタチッタ』を観劇したとき私は感想の一部に『いつか牛深の浦島伝説のお話も作って!資料は私がいろいろ持ってるからその時は渡します』と書いた。

『竜宮都市ゴーヘイ』は私の希望も含まれ生まれていた。思い出すと兄弟で話す事は少ないながらもいろいろと愛情を与えてくれてたんだよな。

牛深が物語の舞台である『チッタチッタ』で大賞を獲ったというのもなんか美しいわ。

告別式の前説も過去の公演で兄が録音したものをゼロソーの仲間が流してくれた。間もなく幕が開くという時間が、告別式の時間お昼の1時半と同じで、自分でアナウンスするなんてね。すべてが計算だったのかと思わせる終わらせ方。

もう美しすぎるね。

兄にはいろいろと学ばせてもらいました。

大賞とったときの私のブログ記事↓
高度に発達した大賞は魔法と見分けがつかない


弟だから言うとかじゃなくて、まじ兄って本物の天才だったんすよ。
もっかい言いたいからいうよ。
兄はね、控えめに言って天才だったんです。

もっと一緒にやりたいことまだまだあったし、兄がいない世界を想像してなかったしできない。
書きたいことはたくさんありますが、この辺りにしておきます。
残りは私の過去のブログで兄を思い出していただけると嬉しく思います。

兄へチッタチッタのマンガのネーム描いているときに相談したときの驚きエピソード↓
続・『竜宮都市ゴーヘイ』

『いやぁ、歌ってのはあんまり歌詞はその、どうだっていいんですよね。』の意味↓
絵を描くということ-序章

この時に描いたモデルさんが後に兄の妻へなるなんて想像もしてませんでした。こういうのも美しい。

最後に亡くなる数日前兄は私の小6の頃の思い出を語ってくれました。幼少期共に育った牛深にはマクドナルドが無く、小6だった私が熊本市内へ部活の遠征へ行った帰りにマクドナルドのポテトを買ってきたそうだ。それがとても美味しくてと。
言われて30年前の記憶が蘇りました。そう言えば兄の机にはその後マクドナルドの赤いポテトの箱があったのを鮮明に思い出しました。
闘病生活の中で食べ物が喉を通らなくなってきた時にマクドナルドのポテトは食べれると何度か食べていました。兄はその時に幼少期のその事を思い出していたのでしょうか。
私はこれから先マクドナルドのポテトを食べる度に兄を思い出すに違いありません。
演出指示を出している兄、照明操作卓を触ってる兄、演劇台本を考えている兄、そしてポテトを食べる兄。いつも笑ってる笑顔しか思い出せません。
これを読んでくださっている方々それぞれに兄の姿があると思います。ツイッターなどでも兄の事を書いてくださっているものは可能な限り拝見したく思っています。兄も読んでると思います。兄に代わり厚く御礼を申し上げます。
これまで兄を支えてくださった皆様に厚く御礼を申し上げます。
  

2020年10月11日

天草関係歴史書物語3

第三章 天草の言葉
「ふるさとの訛(なま)りなつかし停車場の 人ごみの中に其(そ)を聞きに行く」石川啄木

他所にいて故郷の方言を聞くときの懐かしさと嬉しさは他に例えようもない。それが見ず知らずの他人であっても走り寄って話しかけずにはいられないような親しみを感じるという歌だ。天草の方言を書く前に有名歌人の歌で方言の良さを教えてくれるこの書き方好きだな。現在天草を離れている私にとって方言って文化の継続を難しく考えないで感じることができるものだととても感じている。聞きなれた方言の一語一語には幼き日の思い出が秘められてまたその過去の生活が隠されている。

「九州の方言は、豊日方言と薩隅方言と肥筑方言の3つに大別されるが、我が天草の言葉はその中の肥筑方言の一部である。したがって『よか(よい)、甘か(甘い)、ばってん(けれども)等、』肥筑方言の特色をいろいろ備えている。けれども島国であるから自然に他の地方と違った特色も生じて来たのである。」

肥後?筑豊?全然違うやろとかまだ言わないで最後まで読んでください。大まかに言えばそこに分類されるらしい。

「温和な気候と麗しい風光に恵まれた我が天草の自然は、人情をやわらげ人々の生活を長閑(のどか)にする。言葉の調子にのんびりした特徴が出てきたのも最もなことである。『けー(こい)、いけー(いけ)、わーりや(お前は)』等の延音の多いことや、語尾に『ない、なん、ね、もん、ばへ、じゃん』等悠長な言葉の多いのはこの例である。」

「日常の言葉に古語が残っているのも面白い。『とぜんなか(淋しい)、あったらしか(惜しい)、あゆる(落ちる)、こらした(こられた)、いかした(いかれた)等』中には熊本長崎地方ですでに滅びたものも残っている。これらは古代都で行われたものが池の波紋の様に周囲に伝わって今に面影を止めているのである。
『あっちみんみろ(あっち向いてみよ)、そがんこつばゆんみろ(言ってみよ)』等の撥ねる音や『おるがしたつじゃっとん(俺がしたのであるが)、くだっせ(ください)』等つまる音の多いこともまた大きな特徴の一つである。」

「しかし天草は東西に南北に長く、かつ広い。その上複雑な歴史も影響して言葉も決して一様ではない。『雨が降るから』と言う時に大矢野方面では『降るけん』が多く、牛深方面では『降っでー』が多い。又、敬語の『なさる』を前者では『しなはる』後者では『さす』と用いている。」

「その他いろいろ比較してみると、東部は熊本系統を帯び、南部は薩摩系統、富岡方面で『召し上がって下さい』を『召し上がっておせつけまっせ』といったり、支那語の『ろーはつせん(落花生)』ポルトガル語『バンゴ(腰がけ台)』が用いられたりすることを考えると北西部は長崎系統である。交通の発達につれて本渡付近が熊本弁に、上島の南海岸が八代芦北方言に似ていく。」

このブログを読んでらっしゃる方はこの上記の理由はおわかりでしょう。
富岡は長崎奉行が治めたので長崎寄り、唯一海外貿易を許されていた長崎への通り道だったので中国やポルトガルの言葉が伝わった。海路しかないい時代牛深は薩摩から中央(都)へのメイン通り道なので薩摩の明治維新の立役者らが牛深に来ていた。薩摩の討幕派を警戒する為幕府は天草を天領にして牛深に御番所を置いた。こういう歴史がある為南部は薩摩系統なのである。もう少し付け足すと薩摩方言の訛りが激しいのは幕府の隠密(スパイ)を見分けるためにわざと独自の訛りを使っていた。幕末から明治は権力と反権力のスパイ合戦でもありました。

この天草読本では最後に天草の人が熊本へ出て訛りで馬鹿にされないように注意点が書いてあった。
天草の人は『出る』と『出来る』の区別が逆だったらしい。例として『試験がよく出た(できた)』とか『お月様が出来た(出た)』と言って笑われていたらしい。そのほか『ひ』と『ふ』を入れ変えていたり『だ』と『ら』も入れ替えてたらしい。例は『ひろしき(風呂敷)、ひく(吹く)、だっきゅう(落球)』など。他所の人の非難を逃れ郷土を発展させるためにこういうのを止めた方がいいと締めくくってある。まぁ、今その名残はないと感じますが実際はどうなんでしょうね?

  

Posted by hirok○ at 05:38Comments(0)天草関係書物

2020年10月04日

天草関係歴史書物語2

天草読本昭和16年9月1日発行の第二章から。

第二章はこの本で唯一人物の紹介だった。補足を加えながら抜粋省略転載す。

竹添進一郎

「文学博士竹添進一郎先生は、天保13(1842)年天草の上村(現在の大矢野町)に生まれ、大正6年小田原に没せられるまで国家の為の貢献をなされた偉人である。
 14歳の時に熊本にでられ儒学者木下韡村(きのしたるそん)先生のお弟子になられた。生来聡明なうえに学問に励まれたので木下一門の四天王となり、学問では第一番であったとのこと。」

ちょっと待て木下韡村ってあの横井小楠先生のお師匠さんではないですか。
木下一門を調べてみた。井上毅、木村弦雄、古荘嘉門、元田永孚(ながざね)。
この そうそうたるメンバーの中で学問1番?これはやばいな。
井上毅先生は明治憲法作った人。詳しくはこちら→(明治を学ぶ19)。そして元田永孚先生と一緒に教育勅語作った人。詳しくはこちら→(明治を学ぶ23

「そんな人たちと一緒に学んだ竹添進一郎は明治8年東京にでた後、天津領事となり、明治16年には朝鮮公使として京城へ赴任。この頃は朝鮮の国が二派に別れ対立し非常に乱れていたので先生の苦心は一通りではなかった。あまつさえ清国が自国の権力を朝鮮に張らんとしてたので、遂に翌17年には京城に事変が勃発するに至った。この時先生は東洋平和の為に苦心に苦心を重ねたのみならず自ら日本軍を率いて清国の大群と戦を交えて大功を建てられた。明治26年には東京帝国大学名誉教授となり叙位の従三位勲三等を賜った」

17年には京城に事変というのは甲申事変(こうしんじへん)詳しくはこちら→(明治を学ぶ18)の事か。実はこれ日本にとって清と天津条約結べて結構大きな出来事で、それが後に日清戦争になるんやけど、このときの朝鮮公使って天草人だったんだ!驚き。ほんと幕末から明治って薩摩が武力に特化してて肥後では学問に特化してたんやな。そういう風土だってことがわかった。

そして第三章。天草の言葉に続く。





  

Posted by hirok○ at 06:40Comments(0)天草関係書物

2020年10月03日

天草関係歴史書物語1

最近先日上げた天草読本の他にも偶然にも機会があり数冊明治期大正期の天草関係書物を手に入れた。

明治期でいえばもちろん幕末を生きていた方々が書いたり語り継いでいたりしているわけで、今の現在まで残っていない話も多い。もちろん大正期の書物も明治期の事は経験してるわけで今よりも信ぴょう性が高いものが書かれていると思っている。読むのが楽しくて仕方ない。

こっちのブログではそちらの中身を部分公開しながら解説補足を残していこうと思う。

まずこの天草読本昭和16年9月1日発行のものから。

日本の時代背景としては昭和12年に支那事変が起こり大東亜戦争がはじまり、16年の12月にいわゆる真珠湾攻撃の太平洋戦争が始まる。その慌ただしい時代の天草の地理歴史を教える中学年用の教科書のようなものである。

冒頭に天草の成り立ちで始まる。抜粋転載する。
「遠き神代の天草は、天の両屋(ふたや)と呼びなされ建島松の命こそ、国造りとして在せしが、奈良朝時代肥の国の一郡となり、その後は、星霜(せいそう)流れて幾變遷(いくへんせん)、古風を傳(つた)えて今も尚(なお)、純情素朴な島でございます。」

天の両屋とはたぶん天草上島と下島のことかな。確かこれは古事記に書いてあったと思う。
建島松の命とは成務天皇の子(皇子)天草最初の国造りとなられた方。成務天皇とのことなので初代神武天皇からすると13代の天皇ですね。わかりやすい時代区分は古墳時代。
実はこれには補足が必要。いわゆる記紀(古事記日本書紀)においてこの成務天皇の事はほとんど書かれていない。成務天皇が書かれているのは西暦800年から900年の間に書かれた『先代旧事本紀』(せんだいくじほんぎ)に建島松の命をはじめ国造りを派遣した記述があってこれをもとに天草でも伝えていた。
この『先代旧事本紀』は江戸時代の国学者本居宣長らに偽書と認定されており、作り話の可能性がある。
ここからは想像の域。成務天皇の父12代景行天皇には八十人の皇子女がいてそれぞれ国司や郡司に任命された事は記紀に記載有。これはおそらく間違いがなく国造りには時間がかかるので景行天皇が派遣してその子・成務天皇も続けて事業を行ったのかもしれない。記紀の編纂の後年につじつまを合わせるため先代旧事本紀で国造りを記述したのではないか。建島松の命が実在したとも言えないし、していないとも言えない。江戸時代に否定されたにも関わらず昭和になって教科書に書いた理由もおそらく戦争真っただ中なので国民の心をまとめる為行き過ぎた国家神道だったのかとは少しは思いますが、この時代に天草が認識されていて日本に組み込まれた事は間違いないと思うので問題はない。今後の歴史研究を待つ。

後日追記:古事記を再度見返してみると、九州南部は12代景行天皇時に平定。14代仲哀(ちゅうあい)天皇時に九州北部の反対勢力を討伐に出発しその後、神功(じんぐう)皇后が引継ぎ平定され九州が統一されていた。ということは12代と14代の間で日本に組み込まれたで間違いない。現在この九州統一は正式な年号は確定されていないが3世紀後半から4世紀前半(西暦350年から450年までの間)だと言われている。

そして「奈良時代肥の国の一郡となり」奈良時代とはいわゆる710年なんと立派な平城京から794年なくよウグイス平安京までの時代で大宝律令により律令国家で区分を統一され時に肥の国(熊本)に含まれたという事だろう。

そしてそれから長い年月が過ぎ古を伝えて今でも純情素朴な島だと。令和になってもそうだと思います。

「人口20余万人、戸数3万5千余戸、61ケ村。
米年産14万石。甘藷(さつまいも)や水産(漁業)、繭(蚕・絹)、陶石やグリンピース、無煙炭、木炭が主要産物だった。

四面環海の本郡は良き湊湾にも恵まれて、牛深・崎津・富岡や鬼池・本渡・大門は中でも著名でございます。」

第一章はここまで。次回へ続く。
  

Posted by hirok○ at 06:19Comments(0)天草関係書物

2018年08月17日

牛深朝市情報0819

8月19日の朝市と8月26日の協賛朝市・物産市のご案内。


  

Posted by hirok○ at 12:01Comments(0)

2018年07月29日

今年の全国朝市サミット、牛深朝市情報


今年は盛岡です。岩手に牛深のうまかもん販売されます。




8/12日は益城に牛深朝市おじゃましまーす!  
タグ :朝市


Posted by hirok○ at 16:37Comments(0)朝市

2018年07月06日

江戸時代から現代へつなぐ・・・・・・

こんにちわ!
はじめましての人ははじめまして!

今でいう“いりこ”と言うとカタクチイワシなどの煮干しを想像されることでしょう。

江戸時代。日本の玄関であった長崎はもちろんの事、牛深もまた海外諸国との貿易に俵物と呼ばれる加工品を輸出していた。
(詳しくは御番所ブログへ)

その俵物とは中華料理に使用される代表的な3品の事を主に言う。
アワビにフカヒレ(共に乾燥させたもの)そして最初に書いた“いりこ”である。

ただし、今と違うことはこの時代の“いりこ”とは漢字で書くと“煎海鼠”と書き、今でいう煮干しの事ではない。
“なまこ”の事である。

江戸時代天草1の漁師の数で栄えた牛深は干しナマコを大漁に生産していたのである。

それから150年の時を経て、現在牛深まるごと朝市は高級珍味となっている干しナマコの生産に取り掛かりました。

これは戻して味付けしてある状態で瓶詰されております。そのまま食べられます。
アワビのようにコリコリしてて、栄養満点の高級食材です。珍味大好きな方ぜひ。

朝市会場でご相談ください。今月の朝市は7月15日を予定しております。



7/14(土)益城町テクノ仮設団地におきまして益城朝市さんと共に牛深朝市もお伺いいたします。

そしてこの江戸時代から続くお話は、先日の崎津世界遺産の道へと続くのです。世界遺産登録おめでとう。
全国で類を見ないようになぜ天草がキリシタン文化に染まっていたのかは言うまでもなく、天草が長崎貿易の通り道であったからである。この辺りのお話も御番所ブログを読むと分かりますのでお読みでない方はぜひ。



  


Posted by hirok○ at 01:26Comments(0)朝市

2018年06月01日

神社巡りの旅記録01

こんにちわ!
はじめましての人ははじめまして!

3月に行った神社巡りの旅の記録。

柚が就職する前の学生最後の休みに、先日結婚した後輩夫婦と一緒に高千穂、別府湯布院へ行ってきました。

今回の旅の目的はいわゆる日本神話の世界である『天孫降臨』です。

書物で読んだりすることはたくさんあったのに満を持して行く予定を立てれて嬉しかった。

まずは山都町にある幣立神宮へ



天照大神の伊勢神宮は日本人なら知らない人はいないでしょうけど、こちらはその天照様が御鎮まりになられたと言われているところ。
※以下含め所説あります。だたし記録の無い2000年以上前の出来事で何が間違ってて何が正解かは誰も判断できないので、現在あるものを信じるのみです。

御神木として1万5千年前から現存する大木があります。
なぜこちらに御鎮りになられたかというのは、九州の中心に位置し自然に恵まれ特に稲作文化の日本ということもあり、その水が絶えなかったからだと伝えられている。

代々天皇が即位された最初の年に行われる特に大事な祭祀、大嘗祭ではこちらで植えられ作られたお米が献上され使われる。
おそらく来年11/14・15にある大嘗祭でも献上されることでしょう。こちらも楽しみで仕方ないですね。

次に向かったのが宮崎県の高千穂宮です。

こちらは創建1800年ということで高千穂のお宮の総宮となっております。
あの源頼朝代参奉納の狛犬は国の重文にもなっております。そして何と言ってもこちらの山に天孫降臨したと言われておりその場所に建つ槵觸(くしふる)神社もこちらです。
御朱印。


神様が降りてきてくださった場所に来た実感。

そして次に行ったのが、

そうです。天岩戸神社!日本神話の超有名なお話しの一つの場所。

スサノオと天照さまの姉弟ゲンカの末、天照さまは洞窟に籠られる。太陽の神天照様が籠られたのでこのとき日本中が真っ暗闇になったと言われている。一説には当時日食が起こったとか、阿蘇山が噴火して火山灰で空が覆われたため暗闇になったのを例えられたのだろうなど言われている。

実際そのお籠りになられた天岩屋戸の洞窟は見ることできますが、特に神聖な場所であるため直接見る前にお祓いをしてもらい神職さまと一緒に対岸の拝殿へ向かい参拝します。こちらは撮影不可のため写真はありません。

天照さまに出てきてもらうため、そのほかの神様たちは話し合いを行いいろんな案を考えます。
まず大きな鏡を作りました。(←鏡がご神体になったのはこれから)
次にアメノウズメノミコトが胸をはだけて踊りだす。(古事記が日本最古のエロと言われるゆえん)
それを見ている神様たちが大盛りで騒ぎ、外が騒がしいと気になる天照さま。少し塞いでいた岩をずらし外の神々に何事かと尋ねる。
天照さまよりも高貴な神様がおいでになってみんなで盛り上がっているところですと騙し、鏡を差し出す。そこには煌びやかに光る女性が映っていた。

鏡なのでそこに映っている女性はもちろん天照さまですが、そうとは気付かずもっと近くで見ようと少し身を出したところを神々に引っ張られ、その隙に縄でその洞窟に結界を張り中へ隠れられないようにしました。(この縄が現在の注連縄しめなわ)

これにてまた明るい太陽の照らす日本になりました。めでたしめでたし。

いやぁ、良かったですねぇ。暗黒の世界なんて嫌。
御朱印。


ということでアメノウズメが踊ったことが由来の神楽。その神楽殿がこちら。

ご神体の鏡が眩しい事。

そして神様たちが話し合いをした場所。天安河原宮。


もちろん皇室の方々も多数参拝にお出ましされております。
平成22年には秋篠宮さまとご一緒に佳子殿下まで。嬉。
いたるところ神々しくて、穢れが落ちていくのを実感した旅でございました。
柚と一緒に行けたのがほんとに良かったな。

その後宮崎や別府湯布院を観光しましたが、上記神話の世界を回るだけなら熊本市内から日帰りできる距離です。
日本人のルーツとして一度おすすめいたします。






  


Posted by hirok○ at 22:06Comments(1)神道

2018年05月30日

学生の頃の自分の足跡を辿る

こんにちわ!
はじめましての人ははじめまして!

1週間完全に休日なんて学生の頃以来だろう。

婚約者と関西、東海とぐるっと回ってきた。

この旅はまた自分の日記としてまとめたい。今回はその中で立ち寄りたかった一か所のお話。

学生の頃友人2人と青春18きっぷといういわゆる鈍行列車乗り放題の切符で4泊5日の旅をしたことがある。

押し入れから当時の旅メモやビデオを引っ張り出した。



もう19年も昔の事だとわかった。

その旅の最終目的は本栖湖に5千円の裏に書かれている富士山を見に行くことだった。

これね。

道中、ホテルなどには泊まらず、駅や公園などで野宿をした。
3泊目、三重県の亀山駅で終電になりその近辺で始発を待つことになった。

近くのコンビニで食料を買い、そのコンビニの駐車場で話をしていると台湾人の留学生が声をかけてきた。

4人でまた近くの公園へ行き、その公園には土管があり、僕らはそこで夜通し話をしながら気づいたらその中で寝てた。

そんな思い出の場所。



かすかな記憶をたどり、当時のコンビニはなくなっていたがおそらく外観はそのままで残っていたので、帰ってきて当時のビデオと照合した。↓グーグル。


奥のガスト

↓ビデオ



間違いなかった。

そして公園の土管を見に行った。


19年前熊本から離れたこんな遠いところにたしかに僕はいたんだ。そう思うととても懐かしくなった。

この話を友人にしていろんな思い出話をまたしたというお話でした。





  

2018年04月24日

まつりの後

牛深ハイヤ祭りも晴天に恵まれ無事今年も終わりましたね。

こんにちわ!
はじめましての人ははじめまして!

今回お祭り会場でも配布された牛深の新しい観光案内マップをデザインさせていただきました。
もちろんそのデザインをできるようになったのは、このかたらんなのブログがあったからというのは間違いなく、とてもありがたく思っておりますのでこちらでお礼を書かせてください。

牛深八景と御番所の2つのブログで牛深の歴史を再確認させていただいて、ここまで私が牛深のデザインを残せるとは思ってもいませんでした。
かたらんな関係者の皆様ありがとうございました。

チラシだけではなく、各飲食店でご飲食の方に配布予定のハンカチがこちら。

牛深市街地を中心として遠くは長崎、佐賀、福岡まで見える鳥瞰図法で、細かく見ると蟻の目図法を取り入れております。
(記載してある場所やお店などは私が選んでるわけではありません)

今回特に今までの牛深マップと違う点は昨今のせごどんなど幕末ブームに則り、牛深の江戸時代にフィーチャー してるということ。

この遠見番所をイラスト化しているときは特に『僕はこのイラストを描くために生まれてきた』と感じてうれしかった。



主要観光地にこの様な看板も設置されている。

近日設置される御番所の見える瀬崎には特にこだわって描いたイラストを見ていただくことができる。
勝海舟の咸臨丸や鎖国時代の中国の唐船、江戸徳川幕府設置牛深御番所。国を代表する当時の牛深のイラストをわかりやすく簡略化はしておりますが忠実に再現しています。設置完了しましたら是非見てやってください。

その他長島やフェリー内海彩館などなど設置してありますので全部探してみてね。

もう一度言います、このブログが無かったらこのMAPは無かった。そしてこれは僕にしかできない仕事だった。かたらんなと御番所調べに費やした長い年月の父に心からありがとう。

ここをご覧になったふるさと牛深が大好きな若い人たちにも言いたい。一心で自分のやりたいことを本気でやるとここまでできるんだよ。
だから夢を持って生きてください。

牛深の歴史関係物や藍より青くの関係物も少しずつ集まっております。近日公開できるもの公開予定。お楽しみに。
あー!藍より青く(映画版)のまとめまだでしたね。こちらも近日画像いっぱいでまとめますね。
  


Posted by hirok○ at 15:10Comments(2)牛深御番所

2018年01月28日

『藍より青く』学

こんにちわ!
はじめましての人ははじめまして!

まさかこのネタでまたブログを書くことができるなんて思ってもいませんでした。

私はTVの番組表を『熊本』をキーワードに関連する番組を表示しているのですが、たまたま見た時になんとCSで映画『藍より青く』と表示されているではありませんか。



以前の考察で書いたようにドラマの方はNHKでも1話しか残っておらずおそらく今後も見ることはできない。(1話の序盤のみNHKアーカイブより見ることができる過去記事参照、考察「藍より青く」タグより遡るとリンクあります。)

なかば諦めていた探し物が見れる!とわかった時の喜びと言ったらそれはもう。

慌ててスカパーを契約しました。

1973年(昭和48年)の映画版なのでまきしゃん(主演女優)は真木よう子さんではなく松坂慶子さんのもの。
その他周一(主演男優)大和田伸也さんや佐野浅夫さんや三國連太郎さんらは変わらず。

近年私が手に入れたNHK販促用スチール写真↓(背景は牛深)


以前考察したように私は小説で全編を読んだ。
牛深のお話は全体の1/4だと書いた。

映画の牛深部分はどれくらいなのだろう?最悪1/4なんだろうなって心構えしてそんな風に思いながらわくわくしながら見た。

結果。

おそらく室内の撮影はスタジオだろうけどそれ以外の野外の映像はなんと全編牛深だった。
始まりは、後に大俳優になる若かりし頃の田中邦衛さんが叫ぶ「なんてや!この冬真っ盛り浜島まで泳ぐってか!?」

田中邦衛さんまで牛深に来てるんだ!感激。オープニングですでに泣きそうになりました。


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あと何回か見てから映画版藍より青くの考察をまとめたいと思います。
最初の感想としては、ほんとに見れて良かった。映画としての評価点は100点を付けました。
なにせ故郷牛深をこんなに想像以上に美しく表現されてるなんてまぁ今後ももう出ないだろうと思ったから。

ほんと最高でした。


もちろんこの題字背景も牛深の海でございました。今回は取り急ぎここまで。
みなさんご覧になられたでしょうか?今回は撮影された監督作品の連続放送の中で放映されたようです。もうこの企画は今後無いかもしれませんね。これは牛深で事あるごとに総合センターで放映されることを望みます。



  
タグ :藍より青く


Posted by hirok○ at 06:30Comments(0)考察「藍より青く」

2017年12月08日

流行りの仮想通貨というものに乗ってみた。

こんにちは!
はじめましての人ははじめまして!

大変遅くなりましたが全国朝市サミット2017in牛深ではたくさんのご来場いただき誠にありがとうございました。

個人的には個展の方もたくさんの方に見ていただき直接お話もできてうれしく思いました。
重ねてありがとうございました。

朝市の方はこれからも継続して頑張っていきますね!
早速ですが、12/10(日)熊本市の花畑広場にて天草ごっつぉ市が開催されます。


熊本にお住まいの方がご覧になられましたら、会場へぜひ足をお運びください。天草のおいしいもの食べましょ!毎回たくさんの人でにぎわいますよ。

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ということで表題ですが、

今流行りの仮想通貨なるものを買ってみました。ビットコインなんか2,3日前は120万だったのに今見たら200万超えてるじゃないっすか!!

この過熱ぶりは怖いけどそりゃ億万長者も出ちゃうわけですね。

買わないと0だけど少しでも買ってたら可能性がかなりあるってことか。

1日ベースでみると上げ下げはもちろんありますが、市場に参加する人の数がまだまだ増えると予想される今なら、長期的にみると上がることしかないと僕は思いますけどいかがでしょうか?

価値は0になることほぼないと思いますので、FXさえしなければ、最悪投資したお金少なくなる程度のリスクでやれるってことなのかな。
ビットコインを買ったほうがいいって紹介されてたのに信じれなくて、あのとき買ってればなって後悔してるので、今次の波が来てるモナコインとか他のコインで2匹目のどじょうすくいで行こうと思い買っちゃいました。

気になられた方はぜひ自己責任で。
買うまでに登録が時間かかるのでやりたい方はお早めに。
bitFlyer ビットコインを始めるなら安心・安全な取引所で

このサイトが2,3日で買えました。本人確認書類は1週間ぐらいかかりました。
それではみなさんグッドラック!天草に億万長者が出ることを祈る!  

2017年10月03日

近況報告。朝市関係など。




こんにちは!
はじめましての人ははじめまして!

5年以上読みたくて探していた牛深の史料を関西の方で見せていただく機会を得ました。

そこに書いてある昭和初期の頃の牛深の文章は今後精査して公開できたらいいなぁと思っています。

そこに添付されている写真の一つが上。撮影されたのは明治末期か明治維新、遅くても昭和初期の牛深だと思われます。
弁財天と黒島の間を八田網一組6艘の船団が多数見られる。


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朝市情報。








10月15日の通常朝市は牛深秋祭り協賛と致しまして鰯の塩焼きなどご用意して開催いたします。

  
タグ :朝市


Posted by hirok○ at 01:20Comments(0)朝市

2017年09月14日

9/16日の牛深朝市中止のお知らせ。

今週予定されておりました牛深まるごと朝市は台風接近のため中止いたします。
来月は全国朝市サミットが開催されますので楽しみにお待ちください。
  
タグ :朝市


Posted by hirok○ at 19:43Comments(0)朝市

2017年09月04日

僕と私の牛深朝市情報!前夜祭



この時に私の個展は前夜祭会場の総合センター1階に場所を移しておりますのでそちらで見ることができます。  


Posted by hirok○ at 03:21Comments(0)朝市

2017年08月14日

2017年07月31日

僕と私の牛深朝市情報!

こんにちは!
はじめましての人ははじめまして!

牛深まるごと朝市の広報担当ということでこれからこのブログで情報をアップしていきますー。
《朝市情報最新情報》




全国の朝市が集まって普段は買うことができないいろんな地域の特産品を購入できるイベントです。

行政のご支援も決まりました。

天草議会だよりより


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朝市サミット期間に合わせましての私の個展です。

ハイヤ祭りポスターのモデルに描かせていただいた方どなたか来ていただけたら嬉しいな。
  
タグ :牛深朝市


Posted by hirok○ at 04:03Comments(0)朝市

2017年07月07日

せっかくだから個展について語るぜ!

こんにちは!
はじめましての人ははじめまして!

随分久しぶりにブログを書いているように思います。プライベート含めお仕事でも時間とられてしまっていまして。

今日は告知ですね。
10月20(金)21(土)22(日)に牛深で全国朝市サミットが開催されます。

全国の朝市が牛深に集まるということで北は北海道からもお見えになります。

私自身の告知としましては、この全国朝市サミットに合わせまして、
10月1日~31日まで牛深で初個展いたします。


展示する絵は熊本地震イラストで全国の方に熊本地震を伝えます。


益城朝市の方も描かせていただいてます。

もちろん絵だけでなく牛深ハイヤでおもてなしを準備いたしております。

その他、熊本の女優さんをモデルに製作しております。こちらは現在全作品出来上がっておりませんので完成しているものをお持ちいたします。
一度私の本気絵を見ていただきたいと思います。

こちらがフェルメールの『青いターバンの女』を意識して製作したもの。

こちらが現時点私の力を出し尽くしたもの。
私は全国朝市サミット時は会場近辺におります。お声かけてくださいね!製作の裏話とかいろいろ聞いてあげてくださいなw



  


Posted by hirok○ at 02:54Comments(2)朝市

2016年09月03日

夢を初めて願って~♪人生一回目の絶頂期。

こんにちは!
はじめましての人ははじめまして!

この記事は絶対牛深八景で書きたいなと思いまして。

牛深ではもう回覧板で回っているそうでお気付きの方いらっしゃると思います。
牛深の友人たちもを連絡くれました。なんかくすぐったい感じ。こういう事を気付いて連絡してくれる友人は一生大事にしたいなぁなんて嬉しく思う。


牛深ハイヤ公式HP
フルカラーでご覧になられたい方↑こちらまたは↓こちらを御覧ください。

天草宝島観光協会HP

一旦は諦めたハイヤのポスターなのですが返り咲きいたしました。
んふふ。

んふふ。にやけがとまらないっす。

この絵を描くまでの過程はこのブログに詰まってます。
3年の月日をかけたこのブログに詰まってる。過去の記事と重複することもあると思いますが、ここでその想いをぶちまけるぜ。

簡潔に言うと、ハイヤのポスターを描くというのがイラストレーターを志したときの夢だったんすよ。

牛深ハイヤを表現するために牛深の歴史を調べ、学んでたのです。しかもハイヤの発祥江戸時代まで遡ってまで。
だからこのポスターを描くまでに3年かかりました。

こういうときにネットでは言うフレーズがあります。ついに俺も言える時が来た。言わせてください。

『これがさ、牛深から熊本へ出てきて努力した、一つの結果やもんでさ』

みなさんに見てもらいたいんですわ。


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夢を初めて願って~♪

今日までどれくらいたっただろう?♪

普通はこんなことやりませんが、まさしく私のマスターピースとなったこのデザインは解説を残しておこうと思います。はっきり意味を伝えたいためです。


「牛深ハイヤ」の文字は昨年全国総文祭熊本県代表松下さん(牛深出身)に書いていただいた書。

踊り手さんたちは一番古い元ハイヤから一番新しい牛高生郷芸部までで牛深ハイヤを現代浮世絵という手法で表現。
大漁祈願のえびす様。

背景には関西国際空港をデザインした世界的建築家レンゾ・ピアノ氏によるハイヤ大橋。
天草夕日八景にも含まれる小森海岸の夕日。江戸時代からこの海域を数多の漁船が通っていた。中国からの唐船もここから牛深へ入ってきている。牛深竜宮伝説にもなる龍仙島。この島は鹿児島桜島の噴火による溶岩地層(国指定天然記念物)。
その手前は炭鉱で栄えた時代もある象徴の海底烏帽子炭鉱。

この一枚に江戸時代から受け継がれるハイヤを詰め込んである。

人物画のほうはそれだけでも一枚絵に対応できるクオリティで全員ほぼ全身描いてあって、それを後にレイアウトしております。その中で牛高生の拡大を公開。
450
この部分というところの着物の彩色にまるまる2日約40時間ぐらいかかってる。トータルでどれだけかかっているのかはご想像で。
時間かければいい作品ができるというわけではなくそんなことを言いたいわけではありません。それだけの時間牛深ハイヤだけを想ってひたすらキャンバスに向かったっていう気持ちを伝えたい。みんなに伝われ~。

横浜に住む僕の初恋の人も見てくれてメールをくれた。掲載許可もらってないけどいいかw
「素敵です。故郷に錦飾ったね!
そして、すっごく行きたい。ハイヤ祭りポスター、やっぱりいいですよ。
素敵です。牛深の人でないと思いつかないよ。
めっちゃ牛深帰りたいです。」

彼女に言ってもらう言葉は今でも特別で……最大の賛辞ではないか。ほんと泣いてまうわ。

ということで私hirokは憧れに憧れた公認ハイヤ絵師になりました。かたらんなよりハイヤ絵師の誕生の瞬間でございます。牛深ハイヤの歴史に名を残せた。

もちろんここまで沢山の方にお世話になりました。関係して応援してくださった方々本当にありがとうございました。

お絵かきブログではまだまだイラストモデル募集しております。
熊本地震に関しては無料で描いていますよ。公認ハイヤ絵師に描いてほしいなぁなんて思ってる方いらっしゃいませんか?ほんと今だけですので。応募はこちら
ハイヤ絵師の牛深マスコットハイヤコちゃんLINEスタンプ→にてまだまだ発売中だぞ。おめでとう購入お願いします。

  
タグ :牛深ハイヤ


Posted by hirok○ at 04:54Comments(2)牛深八景


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