2015年07月20日

ハイヤコちゃん海族祭へ行く!

こんにちは!
はじめましての人ははじめましてだゾ!

ハイヤコは海の日の牛深のお祭り海族祭へ行った来たゾ!

海彩館が道の駅に決定してその記念セレモニーなんかも行われてました。中村市長さんはじめ県・市議員さんたちもみなさんお見えになられてました。


ちなみに道の駅関係で無料WIFIスポットもやっと出来てましたよ。

ステージでは朝10時からずーと催しもの開催されてまして一日中過ごせました。

個人的に楽しみにしてたのが、海上保安庁「あそぎり」乗船だゾ。


操縦席の計器類の説明やカレーはいつ食べる話wとか面白い話たくさん教えて頂きました。戸島一周の旅でした。ほんと楽しかったゾ。
そして船内には香川の金刀比羅宮本社ともちろん牛深八幡宮の御札が掲げてありました。


実際乗ってみて牛深にこの巡視艇が配属されている事を考えていたら・・・これが江戸時代でいうところの御用船なんだなって気がついた。
江戸時代牛深で違反船の取り締まりを行ったり難破船の救出をしていた御番所(国)の御用船。それが現代まで続いているんだな。


*.♪★*・゜.♪★*・*♪*.♪★*・゜*.♪★*・゜・*♪*.♪★*.♪★*・゜*.♪★*・゜・*♪*.

もう一つ、グラスボートにも乗ってきました。子供の時以来だったので記憶に残ってなくてこの機会に行ってきました。

キムタクは水族館で「おいしそう」は言ってはだめだと前日のHERO特番で言っていたが、このクロはおいしそうだった。

ステージではずーと見るものがあって最後には抽選会でも当たっちゃいましてお土産頂きました。

海鮮宝島だっていい名前。

なんとか宝島って商品名何かに使いたいな。

そういえば某演歌歌手が最初の挨拶で「アンニョンハセヨ」と韓国語で挨拶をしたゾ。
そのとき会場はみんな「?」で包まれ反応は0だった。

フラダンスのハワイアン歌手が「アロハ~」と挨拶した。←わかる。

演歌歌手が「アンニョンハセヨ」と韓国語で挨拶をした。←わからない。

演歌とは日本の心を歌うはずのものではないのかな?ハイヤコは全く意味がわかんなかったゾ。お歌はとてもお上手でしたけどね。

一日外にいたので日焼けで真っ赤になっちゃったゾ!


  


2015年06月06日

ハイヤコちゃんが行く!-五和町御領編-

今回は『ハイヤコちゃんが行く!』企画の第一回目です。

御番所書籍化用の写真を撮りに旧五和町庁舎までお出かけしてきました!



なぁーんと写真でお分かりの通り、ハイヤコちゃんぬいぐるみが出来ました!(笑)
こういうのほしいなぁって思ってたら作って頂けました!こんな形で観光地へ行った時はハイヤコちゃんがご紹介いたします。

旧五和町庁舎前には長岡興就(ながおかおきなり)の駕籠訴の銅像が有ります。
とても簡潔に説明すると興就は第11代御領組大庄屋で当時飢饉などで苦しい生活を送っていた人々のために江戸へ登り老中へ、その場で切られてもおかしくない駕籠訴を命がけで行い、そのおかげで天草で救済法ができることとなりました。

実はこの長岡姓はあの肥後細川家の旧性であり、興就は細川忠興公の二男興秋の12代子孫である。
この辺りは今度の書籍化でもう少し調べておりますのでそちらで詳しく記載しております。

天草では御領の大庄屋が細川家ゆかりの人物だということは一般的に知れ渡っていることだ。もっと有名な人物と絡めると、肥後藩主忠興公の妻はみなさんご存知ガラシャ婦人で、このガラシャ婦人はあの信長を打ちとった本能寺の変の明智光秀の娘である。ここまで遡れる。


歴史好きじゃなくてもすげーってなりますよね。


ただ、なんでそんなこと僕が調べに行ったんだ!?ってことですよね。

もちろん牛深に関係してくるんです。おそらく今までの天草では一度も言われていない新しい史実を公開しますよ。

私のブログを読んでくださってる方ならピンと来てる方がいらっしゃるかも知れない。御番所記事でも八景内記事でも牛深の庄屋の名前は公開しています。お気づきでしょうか。

牛深の庄屋も代々長岡姓なのです。牛深の庄屋もまた、御領の大庄屋と親戚関係で養子縁組などで解明がわかりづらかったのですが確定出来るだけでのものがあるようです。おっと、これ以上は御番所の本を買って読んでくださいm(__)m


五和町庁舎まで行きましたのでここにある天草アーカイブスへも立ち寄りました。職員の方々の対応が丁寧で気持ちよく欲しい資料も頂けました。他にも調べたい資料があったら事前に問い合わせると文化財のものまで見せて頂けるとの事だった。歴史好きには夢のよう(TдT)
ちなみにこのアーカイブスでも牛深八景は読むことが出来ます。

その後、天草三大銀主石本家屋敷を見に行きました。



当時の藏や石垣や大きな松の木まで残されています。この石本家は江戸幕府勘定所御用達でもありそれはそれは豪商と呼ぶにふさわしい大銀主(高利貸し)であった。なんでも財閥である三井、住友などと方を並べる財力だったそうだ。


もちろん、この大金持ち石本家と天草一の港牛深が関係していないはずはなかった。
これから先もひと通り歴史検証が終わりましたので発売書籍で詳しくご説明します。このお話も天草で今まで言われなかったお話ですのでとても興味深いです。ぜひ聞いたことがない天草の史実を読んでもらいたいです。


*.♪★*・゜.♪★*・*♪*.♪★*・゜*.♪★*・゜・*♪*.♪★*.♪★*・゜*.♪★*・゜・*♪*.



こんにちは!
はじめましての人ははじめまして!

御番所編の製作状況のご報告です。ほぼ完成に近いです。今回御領の後牛深へももう一度戻り、最後の歴史検証が終わりました。

数値で言うと95%ぐらいでしょうか。あと微調整ぐらいでもうすぐ完成ですね。

正直言いまして、今回のは本当に大変でした。実は思い通りにはいかないことが多く、何度も降りようと思うことがありました。結果予想と反し歴史が深くなりすぎたりして私の技量を大きく超えたものになってしまったなぁって思います。いろんな調整に時間がかかり、とても難しい問題を抱えたりしました。ん~まだしています。

ここまでやってみて私個人の感想を腹を割って話すと、今回書籍化する本はその時代の牛深の歴史としては50%ぐらいじゃないかなと感じます。残りのうち20%は私が伺ったお話や実際見て読んだ古文書でも内容公開は不許可のもの。残りの30%は私には教えてもらえないもの。

というのが実感だ。


もちろん公開されないのがいけないとかは思わない。古文書などはその所有者が公開するかしないかそれぞれ判断するのが当たり前で大前提である。願わくば公開まで大切に保存の取り扱いを慎重に行っていただきたいと思う。こういう理由で残念なことに牛深の歴史解明はほんとにまだ未成熟だ。そして文献はあるのに全容解明には未だほど遠い。でも今回その限界まで公開できたことを嬉しく思い、意味があったと自分では言い聞かせてます。

ここまで書きましたが、それでも今回の本はほとんどの牛深の方が知らないであろう歴史がたくさんあります。昔すぎて関係ないとかではなく、江戸時代のこの歴史があったから、明治大正の鰹景気、昭和の鰯景気に繋がります。もちろんハイヤ節だってそう。この江戸時代の事までみんなで一緒に大事にしていけたらいいなぁと私は心から思います。

個人的にはそんな苦悩の結晶でもある『絵で見る、江戸時代の牛深』事前予約は特典と予約割引有り。近日価格や発売日を発表します。事前予約はhirk0130@yahoo.co.jpまで

確実にこの本でしか読めませんのでぜひ皆さんで牛深の凄い誇れる歴史を読んでください。よろしくお願いします。