2015年08月05日

母なる国体を思わせる玉音放送

こんにちは!
はじめましての人ははじめまして!

早いものでもう8月になってしまった。今年もこの時期になりました。

日曜日の「そこまで言って委員会」をさきほど視聴しました。大東亜戦争特集だった。

ほんとあの番組は現時点でわかっている史実をきちんと放送してくれてて気持ちいい。

僕の同世代や下の若者はちゃんと見てるのだろうか。学校では教えないほんとの日本史がそこにある。しっかり自分の国のことを学んで欲しいと思う。

今年その終戦の玉音放送のそのままの音を公開するとニュースを目にした。なんでも今まで聞いていたあの放送は実際のものよりも再生スピードが違ったそうだ。ほんとの昭和天皇の肉声とは違うそうだ。それなら改めて聞く必要があるなと思った。

それにあわせて宮内庁が、御聖断された当時の場所の現在写真を公開した。8/1のくまにちさんに見開きで掲載してあって食い入るように見た。




当時のままにされていたそうで、現在は朽ち果て床板や壁板もぼろぼろだったが人が入った形跡はなく自然に崩れていったように見てとれる。
空気さえもそのまま残っているかのようで体が固まってしまった。


右下に終戦当時を体験した方の記事が載っていた。当時聞いた感想は「音声が悪く、言葉はほとんど聞き取れなかったが、戦争に負けたということは実感した」そうだ。

当時の国民はこれがほとんどだった。

もちろん当たり前の話、今までにも読んだことはあるのでだいたいの意味は知っている。玉音放送全文を私も暗記できるようになりたいので後半にサイトより転載す。
安保法制にラップかなんかで歌うたって形だけ反対してる若者はおそらく一度も読んだこともないんだと思う。しっかり何度も何度も読んで昭和天皇のご意思を知りなさい。

そしてこのブログでも何度も言っていますが昭和天皇はじめすべての日本国民に戦争責任は微塵もない。

そこまで言って委員会の最後でゲストのアナウンサーが泣いてましたでしょ?
その訳の動画見てきましたのでネタバレ致します。

脊山麻理子さんは収録後壇上から降りて控え室に帰る廊下で人目を憚らず涙をあふれさせていた。

落ち着きを取り戻しスタッフに理由を聞かれてこう返していた。

「出演者みんなの熱い気持ちに触れて込み上げるものがあった。今時の若者が何も考えていないと言われるけど、ちゃんとした情報を伝えられてないだけなんだと思った」と言っていた。

そして、ああいうスカートを履いたり、胸を強調する衣装を着たりすることについては
「女の人が女性らしくすることが良いことだと思っていて、叩かれる覚悟でやっている」とのこと。

あら、あなた大正解ですよ。(上から目線で言ってるわけじゃないです)
それが女性にとっての幸せであると感じてる人にはそれが大正解なのである。見た目や番組内での扱われ方でいつものアイドル枠と同じように思っていたら、感情をはっきり表し、考え方にすごい好感が持てた。

脊山麻理子さんか、覚えておこう。


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玉音放送全文現代語訳

私は、深く世界の大勢と日本国の現状とを振返り、非常の措置をもって時局を収拾しようと思い、ここに忠実かつ善良なあなたがた国民に申し伝える。

私は、日本国政府から米、英、中、ソの四国に対して、それらの共同宣言(ポツダム宣言)を受諾することを通告するよう下命した。

そもそも日本国民の平穏無事を図って世界繁栄の喜びを共有することは、代々天皇が伝えてきた理念であり、私が常々大切にしてきたことである。先に米英二国に対して宣戦した理由も、本来日本の自立と東アジア諸国の安定とを望み願う思いから出たものであり、他国の主権を排除して領土を侵すようなことは、もとから私の望むところではない。

ところが交戦はもう四年を経て、我が陸海将兵の勇敢な戦いも、我が多くの公職者の奮励努力も、我が一億国民の無私の尽力も、それぞれ最善を尽くしたにもかかわらず、戦局は必ずしも好転していないし、世界の大勢もまた我国に有利をもたらしていない。それどころか、敵は新たに残虐な爆弾(原爆)を使用して、しきりに無実の人々までをも殺傷しており、惨澹たる被害がどこまで及ぶのか全く予測できないまでに至った。

なのにまだ戦争を継続するならば、ついには我が民族の滅亡を招くだけでなく、ひいては人類の文明をも破滅しかねないであろう。このようなことでは、私は一体どうやって多くの愛すべき国民を守り、代々の天皇の御霊に謝罪したら良いというのか。これこそが、私が日本国政府に対し共同宣言を受諾するよう下命するに至った理由なのである。

私は、日本と共に終始東アジア諸国の解放に協力してくれた同盟諸国に対しては遺憾の意を表せざるを得ない。日本国民であって前線で戦死した者、公務にて殉職した者、戦災に倒れた者、さらにはその遺族の気持ちに想いを寄せると、我が身を引き裂かれる思いである。また戦傷を負ったり、災禍を被って家財職業を失った人々の再起については、私が深く心を痛めているところである。

考えれば、今後日本国の受けるべき苦難はきっと並大抵のことではなかろう。あなたがた国民の本心も私はよく理解している。しかしながら、私は時の巡り合せに逆らわず、堪えがたくまた忍びがたい思いを乗り越えて、未来永劫のために平和な世界を切り開こうと思うのである。

私は、ここに国としての形を維持し得れば、善良なあなたがた国民の真心を拠所として、常にあなたがた国民と共に過ごすことができる。もしだれかが感情の高ぶりからむやみやたらに事件を起したり、あるいは仲間を陥れたりして互いに時勢の成り行きを混乱させ、そのために進むべき正しい道を誤って世界の国々から信頼を失うようなことは、私が最も強く警戒するところである。

ぜひとも国を挙げて一家の子孫にまで語り伝え、誇るべき自国の不滅を確信し、責任は重くかつ復興への道のりは遠いことを覚悟し、総力を将来の建設に傾け、正しい道を常に忘れずその心を堅持し、誓って国のあるべき姿の真髄を発揚し、世界の流れに遅れを取らぬよう決意しなければならない。
 あなたがた国民は、これら私の意をよく理解して行動せよ。  


Posted by hirok○ at 01:45Comments(2)hirok個人的天皇論

2015年03月30日

いやぁたかじんのそこまで言って委員会

こんにちわ!
はじめましての人ははじめまして!

御番所記事毎日更新してます。見て下さいね!


本題ですが、明けて昨日のたかじんのそこまで言って委員会見ました?

私、録画しててさっき見ました。うわぁーこれ永久保存系だなって終始ドキドキしながら見ました。

なんでも熊本ではこの番組の視聴率は良く私の周りでもちらほら見てるよって人の話も聞く。
あるぇ?なのになんで熊本は左寄りなんだ?って不思議に思うこともあるけどそれは置いといて。

私も現物を拝読に東京まで行った昭和天皇実録の1,2巻発売記念でその特集でしたね。

冒頭北川弘美さんが昭和天皇を一言で表すと「せつない」と表現してた。

今回の内容は以前私が東京行った時の記事と重なるところばかりで、この番組も目のつけところが良いじゃないかwなんて調子乗ってみたり(あくまでも冗談ですよw)終わりまであっという間。作業しながら見たかったのに、手を止めざるを得なかった。

立憲君主制を敷いていたためとか現人神の話だとか戦前も戦後も天皇の存在は変わっていないという主張も、御前会議での和歌の事や、どの時点で敗戦の決意をしたとかマッカーサー回想記まで私がまとめたとこ全部放送されてた。あれ?読売テレビさん私のブログ見て番組作りました?(ほんとあくまでも冗談で言ってますよww)仮に今回のたかじんテストなるものがあったら事前に私のブログを読んだら満点とれるレヴェルの重なり様だったですね。

なにはともあれ、すべての日本人がこの真実を知るべき。

誤解がないように一つだけ付け加えると、昭和天皇に戦争責任がないなら誰にあるの?って思う方がいると思う。一見、軍、陸軍だとか海軍だとかまた東條英機だとかいわゆる旧A級戦犯で裁かれた人だとか思われがちですが、それは違うってこと。日本人に戦争責任がある人は一人もいないって事。日本人に憎む相手はいないのです。戦争回避できなくて戦争しなかったら確実に日本という国は今無かったんだもん。そんな方々を悪者には出来ません。

あるとするなら戦争で負けたこと、敗戦の責任で日本国民に対して責任を追ってもらう人はいるってことですね。

最後に実録の見どころに所先生が関ヶ原の戦いの歴史を学んでる際には裏切り者を嫌うというところもおっしゃってた。いやぁそこも私書いてましたね!今回私の着目とドハマりすぎて気持ち良すぎでございました。

読まれてなかった人はもう一度、読まれた方ももう一度、読んでみてくださいな。
こちら
わざわざなんて言ったら失礼ですけど東京まで行って来てこの目で見てきたんだから。何度も読まれてもいいじゃない!

みなさん今回の番組見られました?そういえば次回から「たかじん」って冠名無くなるんでしたよね。寂しい限りですね。

いやぁハイヤコちゃんはちゃんとわかってよwww

  


Posted by hirok○ at 04:03Comments(2)hirok個人的天皇論

2014年10月16日

昭和天皇に日本の心を見た-その2

こんにちわ!
はじめましての人ははじめまして!

前回の続昭和天皇実録についてこちら

大東亜戦争も終盤。いよいよ日本の戦況は最悪なものになろうとしていた。


1945年8月6日広島へ、同9日長崎へ原爆が投下された。


この原爆という新型爆弾の威力の恐ろしさに戦意を喪失し日本は戦争継続は不可能だと判断したと歴史教科書では習った。
前回の記事で歴史教科書を変えるまでの新事実はないと言われていると書きましたが、私はここは違うのではないかと思った。

ここからとても重要。
大東亜戦争中、昭和天皇は再三に渡りソ連が本当に参戦してこないのかとの動きを気にしておられる。
長崎へ原爆が投下される9日の前日、日ソ中立条約をまだ条約有効期限内であるにも関わらず一方的に破り、ソ連は日本へ宣戦布告を宣言。(この辺りは正確な時系列で実録では纏めてあった)
この宣戦布告の後、満州へソ連軍が進行してきたことを受けた時点で陛下は内大臣を呼び速やかに方向性の決定を促す(敗戦の決意)。
首相よりポツダム宣言に対する態度を決定したいと聴取してきた旨の報告を受ける。

その後長崎に新型爆弾が投下されたことをお聞きになる。←ここ敗戦決意の後

敗戦の決意は長崎に原爆が落とされた事が最大理由じゃない。
ここの認識は変える必要がある。

そしてポツダム宣言の受諾へ移るわけですが、ここでもその受諾条件について陸軍側と内閣側と2案が出される。どちら共に一番大事にしたのが『天皇の国際法上の地位存続』。これは天皇の存在がある限り日本国は続くと認められるためどうしても譲ることができない条件だった。

いわゆるポツダム宣言は無条件降伏だと歴史教科書では教えています。
無条件じゃないじゃないと思われると思う。
この無条件というのは国を解体することさえ認めるという意味ではなく、あくまでも軍備的なことに対して無条件降伏との意味である。
受諾条件陸軍案には戦争指導者などの首を差し出すなどの条件が入っていた。
陛下は自分の部下の首を差し出すような真似はしないとその条件さえも認めさせない。
手放しでなんでも条件を受け入れるという意味ではなく、手放しで軍備の解除をするといったほうがわかりやすいかも。

ポツダム宣言を受諾することを決定する御前会議で陸軍はまだ諦めてはいなかった。海軍も陸軍が諦めないなら諦めると言えない状況だった。それを陛下はわかっていたのでここで唯一陛下の力強いご意思でご決断なされる。

これがいわゆるご聖断と言われるものだ。歴史上陛下の意志はここでのみ反映されることになる。

これでも昭和天皇に戦争責任を追わせたいと思われますか?
むしろ戦争を終わらせ平和に対する貢献をされてると思われませんか?ノーベル平和賞ですら超越したものをもらって頂くべきだったでしょう。

8月14日全国民に対してポツダム宣言の受諾を報告して陸軍を止めなければならないと考え、陛下は玉音放送のテープを録音する。放送されては困る一部陸軍幹部らが14日の深夜から15日未明にかけて、6回ものクーデター(宮城事件・きゅうじょうじけん)を起こす。皇居を占領し録音されたテープを奪おうとしたのだ。

このクーデターは失敗に終わりそのテープは15日正午放送され日本中に敗戦が伝えられた。
この辺りのことは終戦のエンペラーという映画になっているのでご覧になられるとよくわかると思います。

↑DVDはこちらですね。素晴らしい映画ですのでぜひ御覧ください。

その後この有名な写真。

通常陛下の右側へは何人たりとも立つことは許されない。陛下は自らその場所へお立ちになった。マッカーサーは日本に上陸する厚木基地に降りる時から日本への圧力を掛けるための印象操作を計画的に行っている。おそらくわざと陛下をそちらに立たせて写真を取らせたのだろう。陛下がマッカーサーのところへお出ましになられることをわかっているのにも関わらずマッカーサーらは出迎えも行わなかった。
いくら戦勝国だとしても戦った相手に敬意を払えないのはやはり日本の武士道とは違うものがある。

陛下がマッカーサーに最初に言った言葉がこうだ。
『この戦争については、自分としては極力これを避けたい考えでありましたが戦争となるの結果を見ましたことは自分の最も遺憾とするところであります』その言葉にマッカーサーも心中お察しするとの理解の旨を答えた。
さらにマッカーサー回想記ではその後『すべての決定と行動に対する全責任を負う者として、私自身をあなたの代表する諸国の裁決に委ねるためお訪ねした』とおっしゃったとある。
おそらくその会見には死をも覚悟して向かったに違いない。

さらには何度目かの会見時には風呂敷いっぱいの有価証券を持ち出しこれをすべて換金して日本国の復興へ使って欲しいと訴えたそうだ。これを見たマッカーサーは、どこの国の国王も会見してみればみんなふんぞり返って偉そうにしているのにも関わらず、こんな国王は初めて見たと大層驚いたそうだ。

こんなに日本国民のことを考え、自分を犠牲にされた昭和天皇に対して未だに戦争責任を押し付け憎いと思われてる方が居ることに胸が痛い。

これが新聞の見出しにもなった『君主の苦悩』だ!終戦の部分実録を読みながら涙をこらえるのに必死だった。

でも大丈夫。
この現在の東京の夜景の写真を見て!



真ん中の暗い部分が皇居であります。
戦後復興した日本もまた陛下を中心にして生きている証拠。
その道はすべて皇居へ繋がっているのです。

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東御苑を出て武道館を通り、靖国へ向かった。

よくテレビなどで鳥居も見てはいましたが日本一の鳥居とはこんなにも大きいのかとそれにも圧倒された。

そして拝殿まで行くとそこに宿る数多のご神体は見えないながらその大きさにまた圧倒され動けなかった。


日本の国を守った人たちの最強のお守りを受け、遊就館を周った。
この遊就館もびっくりしました。いわゆる戦争記念館な訳ですが収蔵品も1級品ばかりしかも大量で観覧ルートの時間の目安が120分とか書いてあるんですよ(+_+)
全部見て回るのも大変なのですが、一応全部周ってきました。

靖国へ行ったことが無かったのでとてもスッキリして帰ってきました。




















  


Posted by hirok○ at 02:07Comments(2)hirok個人的天皇論

2014年10月15日

昭和天皇に日本の心を見た-その1

その日は台風18号が接近していてあいにくの空模様、昨夜からの雨がより一層強くなっていた。

東京観光目的であれば最悪の状況かも知れないが、それが逆に私にとってはいい結果を生むことになった。

こんにちわ!
はじめましての人ははじめまして!

六本木で日本一の夜の繁華街を楽しんでホテルへ帰ったのは朝3時だった。

その4時間後にはホテルで朝食を済ませ、チェックアウトをしたのが8時前。

赤坂サカスを見上げながら東京メトロに乗り一人皇居東御苑へと向かった。


この先に両陛下がいらっしゃる、そう思うだけで胸が熱くなった。

今回東御苑へ向かったのは先日から書いていた『昭和天皇実録』の閲覧のためだ。
北桔橋門をくぐり宮内庁書陵部を目指す。



宮内庁職員さんが一階入り口で受付をされている。第一回閲覧に間に合った。
上の写真でわかるように1回の閲覧は50分と決められていてしかもその一回で閲覧できるのは最大18人までと決められている。

ここでこの『昭和天皇実録』とはどういうものか簡潔に補足しておきます。一言で言うと昭和天皇のご生誕から崩御の後大喪儀が行われるまでのご公務からご一身に関するすべての事項を確実な資料を元に編纂され叙述された真実の歴史書物だ。約25年の歳月をかけ全62巻1万2千ページに及ぶ大冊である。

(宮内庁内を撮影は出来ませんのでこの画像のみ拾い画です)

これだけのものを50分で閲覧するのは不可能なのはお分かりでしょう。
一回では不十分で再閲覧したい場合は、入り口に戻り並び直し定員内であれば再度閲覧できるというシムテムらしい。

らしいと書いたのには理由があり、始めにそういう注意事項をご説明頂いたのだが、当日は台風の雨の影響で閲覧希望者の訪問が少なかったのだ。傘を差し雨に濡れながら熊本から来たという僕に宮内庁の職員さんの対応は優しく、1回目の閲覧のまま、そのまま延長されていいですよとのお言葉に甘え私一人3回も延長させて頂きました。

それでも一応全ページめくりましたが特に読みたかった所以外は斜め読みです。
今回いわゆる歴史教科書を変えるまでの特別新しいことは記載してないとの報道ではありましたが、とても興味深い内容がたくさんあった。全部は書けないので特に書きたいことだけで申し訳ありませんが失礼して書かせていただきます。

昭和天皇が幼少の頃どんな遊びをされていたとか、夏目漱石を愛読していたとか、関ヶ原の戦いの歴史を学んでる際には裏切り者を嫌うという旨を仰せになるなど。さらに皇太子時代にはヨーロッパを訪問、第一次世界大戦の激戦地を訪れ直接的には表現されないが反戦の気持ちを大きくされているのが十分に伝わる。

そしてかなり省略しましたがみなさんご興味あられるでしょう大東亜戦争に入ります。
もちろんこの辺りの記載事項では第二次世界大戦なんて表現はされておりません。少々ご説明致します。
当時の戦時中日本国内ではこの戦争の事を大東亜戦争と呼んでいました。私達の世代もおそらくもっと若い世代も現代も第二次世界大戦と歴史教科書は教えています。これは戦後日本に自虐史観を植え付けるために米(GHQ)が印象操作の一環で行ったWGIP(ウォー・ギルト・インフォメーション・プログラム)の一つなのである。
なので正しい日本の歴史をご存じの方は第二次世界大戦などとは呼ばず大東亜戦争と呼びます。みなさんもお気を付けいただきたい。

書きたいことがたくさんありすぎてまとまりがなくなってしまいそうですが、今回伝えたいことは長くなっても全部書きたいと思います。

今でも戦争責任を昭和天皇にあると思われている方たちにお伝えしたい。
戦後天皇陛下は人間宣言というものを出されます。それはそれ以前の天皇という立場は神だと崇められていたからだとお思いでしょう。ですがこの戦前はじめ近代史の天皇はどうでしょう?実際には何一つ自由のない生活を強いられ政治的役職も形だけの物に過ぎず、国の方針を決める御前会議ですら発言も出来ない事が多かった。これは専制君主ではなく日本が立憲君主を敷いていた為だ。ゆえに昭和天皇に戦争責任はないのである。
戦前天皇のことを現人神だと呼んだ。ここで気付いて欲しいのはこの『現人神』という言葉の相手は『人間』に対して使う言葉であり、ほんとの神様だとしたらその神様に対して現人神と使うのはおかしいでしょう?だから戦後人間宣言を出されますが戦前も人間だということの証明になります。戦勝国を納得させるため当時の日本政府が巧みに守りぬいた国家元首のあり方ではないでしょうか。戦前も戦後も天皇陛下の存在は何も変わってはいない。この想いにも胸が熱くなる。

そして実録の内容に移る。
満州事変についてもまず外交での解決を望んでおられ、陛下の意志に反し戦闘が始まって占領した部分についてもそれ以上拡大するなと意志をお伝えになる。その後も何度も陛下が持つ海軍統帥権を行使しようとしてでも戦争を食い止めようとしますが政変の原因にもなる恐れがあり国策決定は内閣の仕事だと逆に封じこめられます。

そして大東亜戦争のまさに開戦の御前会議である。
期限付きの外交交渉がうまく行かなければ(米国の不平等ハル・ノート提案を受け入れるかどうか)開戦を決意する御前会議。枢密院議長が『国民は日米関係が最悪の状況に至らないよう願っている』と発言。その上で『今回の要領案は一見すると戦争が主で外交が従のように見えるが、どこまでも外交的に打開に努め、やむを得ないときに戦争をするものと解釈する』との見方を示した。海相も同調。陛下は自分の前では外交重視だと思わせておいて戦争を始める気なのではないかとお察しになられたのだと思う。一言も発しない両統帥部長に向けて陛下のお気持ちの御製をお詠みになる。御前会議での天皇陛下の発言は慣例を破った特別なものだった。

『四方の海 みな同朋(はらから)と 思う世に など波風の 立ちさわぐらん』
意味は
「私たちの望みは四方の海が平和につながることです それなのに なぜ波風が激しく立ち騒ぐのでしょう」

昭和天皇が戦争したいと言っている様に伝わりますか?戦争を始めるようにおっしゃっていますか?

それでも大東亜戦争は始まります。
意思に反し始まってしまった。それ以降は日本国民の安寧を願われます。
山本五十六連合艦隊総司令官の出陣の挨拶には無事凱旋を祈ると特に伝達された。しかし山本司令官は最前線で戦死。訃報をお聞きになると陛下はお一人ご文庫にて籠もられ終日お慎みなられた。


第二回へ続く・・・こちら


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私が実際見てきた昭和天皇実録を皆さんにもお伝えしたくてまとめていますが、また長いのでスルーされちゃうかなw

次でまとめきろうとは思っていますので、ぜひまた読んでいただきたいです。

そして牛深八景についての続報です。
最近でもいまだお問い合せは頂いており、ただいま受注生産につきお時間は少し頂きながらお渡ししている状態です。すぐ欲しいと言われる方は海彩館の観光案内所までお願いします。
あと、牛深町内であれば配達も可能地域のところもありますのでお問い合わせください。

お申込みをネットからされている方でこちらのメールがおそらくドメイン受信指定などでご連絡出来ない方が数名おられます。再度解除してご連絡いただくか牛深担当(チラシなどに記載)にご連絡していただくか海彩館へのお求めをお願い致します。

図書館への配備も完了した旨の礼状も頂きました。お世話になりました。
牛深図書館2冊、中央図書館1冊、河浦図書館1冊だそうです。

お近くの方はぜひ。






  


Posted by hirok○ at 04:34Comments(0)hirok個人的天皇論

2014年09月12日

『そうだ東京へ行こう!』と思った昭和天皇実録



昭和天皇実録が公開された。わたしにとって今年一番の最大関心事だ。
わずか24年の編纂で公開されたことに驚き、黒塗りや伏せているところが無いことにも不安を覚える。
もっと大事なことは記載されていないということだろう。残念な気持ちも少々。

今だに地元牛深でも昭和天皇と戦争責任を結びつけよく思ってない方たちのお話も聞く。
熊日の記事『私と戦争』のお話を読んでみてもその実際の戦争経験者の方でも戦争終結の玉音放送ですら、天皇陛下の放送だとはわかっていても何を仰っているか細かい内容まではわからなかったとのお話だった。一般国民の理解度は大部分がこのレベルだったのであるのにも関わらず。

戦後70年を迎えようとしているこんにち、当時の本当の歴史は少しずつ開示されてきた。
実録の内容が熊日では毎日特集で公開されている。これは日本人ならみなさん知っていて当たり前の歴史になるべきだ。

上に載せた一面の記事の見出しは『君主の苦悩』と書いてある。
連日の記事を読んでみても開戦前、昭和天皇は戦争回避に尽力され、開戦後も一貫していち早い終結を望んでいらっしゃる。

戦争がしたいなんて微塵も思ってらっしゃらないのがわかる。

私の同世代やもっと下の若者は昭和天皇の事をイタリアのムッソリーニやドイツのヒットラーと同じ様に思っている人もいると聞く。海外でもそのような認識が一部ではあるそうだ。残念でならない。

来月その実録を東京まで閲覧に行ってくる。

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こんにちわ!
はじめましての人ははじめまして!

牛深八景第一弾のお申込みありがとうございました。最後の駆け込みも頂きまして無事予定を越えました。
誠にありがとうございます。一安心いたしました。
ハイヤコちゃん

これからは随時受け付けの形をとり、その都度発送させて頂きますので、読んでみたいと思っていらっしゃる方がいましたらいつでもお申込みください。

このたびは誠にありがとうございました。引き続きご指導御鞭撻の程よろしくお願いいたします。



  


Posted by hirok○ at 17:10Comments(0)hirok個人的天皇論

2013年10月29日

絵を描くということ、そして個人的天皇論

昨日は熊本駅へ両陛下の奉迎にいきました。

新幹線乗り場まで行ってたんですけど、張り切りすぎて規制かかる前に乗り場に入ってたものだから警官ばかりでおかしいなー誰も奉迎にこないなーって思ってたらいつの間にか新幹線のレーンは民間人立入禁止になってました。

規制区域になってるのに一般人の私いる状態、笑。

途中でもちろん声をかけられて不審な活動家と間違われて職質、笑。

しばらく話してると不審者じゃないってわかってくれたみたいで、特別に車両を陛下と同じレーンで拝見するか、下でお迎えするかどちらがいい?ってなって近くで拝見したかったので下に行きますって言っても一人で行動しないでって言われて迎えの警察官が来るまで待機。

2人の警官に連れられ規制の中警官と歩く。下には規制の外で人がいっぱい。視線が痛い。
せっかくなので一番近くで見れるようにしてほしいと要望したら特別場所を用意してくれた。熊本県警ありがとうございます(TдT)そしておつかれさまでした。

私が写した写真や動画は私だけの宝物です。お見せしません。熊本駅では間違いなく私が一番最高の絵を撮れてます。

という話を友達の中で話してたら、友達の母親が見たいのに遠くて見れなかったりして落ち込んでるとのことで見せて欲しいって言われました。

もちろん陛下の事を思う気持ちがある方に見せない訳ないじゃないということでURL知ってる方だけの限定で見せたら大変喜んでもらえたそうだ。

せっかくyoutubeに載せましたが全体公開にはしておりません。
熊本駅の両陛下最高の映像をこのブログを読んでくださってる方たちだけに公開します。ここだけしか見ることはできません。

それではどうぞ↓

おそらく私が今後こんな近くで拝見できる機会はないだろうと思う一生の宝物です。

そして今日は熊本城と城彩苑に奉迎に回ってきて両陛下と共に同じ時間を共有できた貴重な3日間でございました。

*.♪★*・゜・*♪*.♪★*・゜*.♪★*・゜・*♪*.♪。★*・゜*.♪

こんにちは!
はじめましての人ははじめまして!
お車で移動される両陛下を生で見たという友人は泣が出そうになったと言っていた。

今まで天皇陛下の事でそんな気持ちになったのは初めてだそうだ。

僕らの世代ではまだこの大事なことの意味がわからず、もうすぐわかろうとする時期でもあるのだろうか涙が出そうになるようだ。

この事についてはっきりわかりやすく伝えてくれる方が私の近くにもいなかったような気がする。
もしかして伝えようとしてくれた方は居たかもしれませんが私には伝わってなかった。

これの答えは私なりに、はっきりあります。最後に書きますので引き続き読んでいただけたらと思います。

これから下は私が辿り着いた天皇陛下論です。
最高に大きなテーマですけどまた個人的な意見だと思って読む方は読んでください。

まず毎日の生活の中で私は普段ほんとに毎日毎日絵を描いているのですが、その絵を描いてきた長い時間は自分との戦いでもある。

絵を描くにあたって自分というものがどういう存在なのかよく考えてた。自分がわからないのに絵を描いたところでその絵はわからない絵なのではないかといつも絵に説得力がない気がしてた。

そこで自分を形作っているものはなんだろう?と思った。

それは一番最初に思うのはやっぱり家族であったり、愛する人であったり、友人であったり。

そこから視野が広がると、今住んでいる場所だったり、産まれた場所だったりしてそこで気が付いた。
そうです。それがこのブログである牛深八景を描き始めた第一のきっかけだったのです。

牛深と関係ない違う絵を描いていてもいつも牛深が心にあって牛深の事を想いながら絵を描く。
実際の絵だけ見るとまったく牛深なんて分かるわけがない。けど想うと想わないでは決定的に違うのです。

みなさんは何かの2つの絵を見た時にどちらも同じような絵なのに片方だけ賞をとってもう片方は落選ってことあるでしょ?

実はその違いはそこなのではないかと気が付いた。そういうことに気が付いた人はいろんな絵を描くときにもいろんな気配りができるということだ。

もっとわかりやすく簡単に例を出すと、人物画を描くときによく人物デッサン(クロッキー)をたくさんしなさいと教えられる。これの意味は人体の骨格や筋肉の付き方動きなどを知っていないと人物画は描けないからだ。だからデッサンは大事なのだ。

風景画や静物画はどうだろう。
実はこれも同じなのである。風景を描くに当たってはその山がどういう山でどういう名前でその由来は?とか何があって何の動物がいてなどなどたったひとつの山を描くにもたくさんの情報を知っていれば知っているほどその絵には自然と深みが増します。見たままを描けばいいなんて思ってるのは間違いなのです。

もうおわかりでしょ?そういう情報を知らないで描いた絵とそうでない絵は見た目同じようでも全然違う絵なのです。

それが分かる人にはわかるもので、そう気が付いた時に全部とは言いません、私もそういう風に物事を見ることが多少できるようになった。

そんな風に思ってたら、牛深よりもっと広い視野になってそれが熊本になり日本になった。

ここで国家の存在に辿り着いた。
日本の歴史に興味が湧き、日本の起源に興味を持った。

先の大戦の事を再度勉強したりした。そして古事記や日本書紀を読んだ。




目から鱗が落ちた。




日本の歴史とは天皇家の歴史だった。
こんなこともわかっていなかった自分がとても恥ずかしかった。

と同時に嬉しかった。

そんなことは知らなかったのに、自分の周りではその天皇家にまつわることがたくさんあって自然と普段の生活に馴染み自分を形作っていたからだった。


知らなかったことを公表するのは恥ずかしいですけど気付いていない同世代より下の方にでも伝わればと思い少し書きます。

子供の頃昔話で桃太郎だとか浦島太郎だとか鶴の恩返しだとかみなさん読んでもらったことない人はいないでしょう。

全部古事記が元だった。

当たり前すぎて誰も言ってくれなくなってたんだな。(一人でも古事記をちゃんと読んでみようと思う方がいてくれれば嬉しいです)

初詣に行ったことない人もいないでしょう。いろんなお祭りや行事も一回も参加したことない人はいないでしょう。国民の祝日で学校やお仕事が休みになったことがない人もいないでしょう。君が代歌ったことない人もいないでしょう。御飯食べるとき『頂きます』もやってる。などなど枚挙に暇がないですね。

全部ぜーんぶ天皇家に関わってた。

天皇陛下がいらっしゃらなければそれは日本ではないし、そして今の私もいなかった。

ここで最初の疑問に戻るわけです。
なぜ天皇陛下を拝見すると涙が出てくるのか。

上記した理由がはっきりわかってなくても知らない間に日本人で日本に住んでいれば天皇陛下の存在がすべての日本人の心にあるからなのだ。

ここまで読んでそんなわけないじゃんって思う方は、戦後米軍に占領されて憲法を新しく作り変えさせられた中、頑なに譲らなかった憲法第一条をもう一度見直してきてください。日本はこれを一番大事にするから一番最初に持ってきてるという先人の想いを知ってください。

このことを2600年もの長い長い間、日本は時には命がけで大事にしてきたのだ。

そしてこのお話は私の次の牛深第六景へと続くのです。乞うご期待。













  
タグ :天皇陛下


2013年10月27日

提灯奉迎という感謝の気持ち

天皇皇后両陛下がご来熊された。


熊本に来てくださる事への感謝の気持ちを表す行事、提灯奉迎に行ってきた。



新聞でも取り上げられていたし、写真のように告知もされていたのでご存知の方も多いでしょう。
あ、ちなみに提灯奉迎という行事自体熊本でも珍しいことだそうなので(熊本では14年ぶり)私もよく知りませんでした。今回私の記録の為にここに残します。そんなの知ってるよーっていうご存知の方はさらっと流してくださいね。
それで提灯奉迎の内容は後ほど詳しく書くとして、この新聞広告の言葉についての説明を先に書いておきます。

天皇皇后両陛下熊本県行幸啓の『行幸啓(ぎょうこうけい)』という言葉。
天皇陛下がお出ましされること、外出されることを『行幸(ぎょうこう)』という。
そして皇后陛下がお出ましされること、外出されることを『行啓(ぎょうけい)』というそうだ。

今回は両陛下が熊本へお出ましされるとのことで『行幸啓』という言葉が使われている。

日本語には天皇家にしか使用することができない言葉がたくさんある。近年いろんな新聞でもそういう言葉が使われなくなった。

新聞記事で天皇皇后様ご来熊なんて書いてあったらさすがにみなさん変に思うでしょ?

この告知素晴らしい。
美しい日本の美しい日本語をなくさない為に一つ一つきちっと覚えておきたいと思っております。

あ、ご挨拶またまた遅れました。
こんにちは!
はじめましての人ははじめまして!

今回も八景は延期です・・・すみません。
前回の自治基本条例については機会を見てまた書くかもしれません。

ということで、提灯奉迎に戻ります。
提灯を配る時間が6時半だということで、5時過ぎに熊本城の開かずの門の方へ行ってみると・・・


写真の場所は熊本城稲荷神社前ですがまだ1時間半あるのに開かずの門まで420mの行列でした。

提灯は5000個ということだったのですが大丈夫かなぁなんて思いながら時間が過ぎ5時半ごろにはもう後方は市役所前を過ぎ見えなくなった。

この時点で行列を取り仕切っている方はいません。
いないのに自然と並ぶ人たちにわたしは気持ちがいいなって思ってました。割り込みも全然できる状態なのにみなさん後ろに並んでいかれて、これこそが日本だって実感いたしました。

6時を過ぎたころ開かずの門が開き場内で提灯が配られた。

私は無事頂くことができました。
私のあとしばらくして配布分が無くなったとの放送がありましたので軽く5000人はこえていたのだと思います。

提灯が無くなる最後の方はさすがに押し合いになってもらってた。さすがにそれはしょうがないなって思った。怪我人などでなくてよかった。

そして日が暮れて照明に照らされる幻想的な熊本城を間近に見、
ろうそくに火を灯してという合図の後、提灯奉迎の始まりである。


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この瞬間を私は待ちに待った。

まず国歌斉唱。

これも和歌の形式をふまえて二回斉唱。
わたしの後ろの年配の女性の国歌がうまくて気持ちよかった。
両陛下と一緒に歌うことができることの喜びを噛み締めながら歌った。
うれしくて涙が出そうだった。


両陛下はどこにいらっしゃるかというと、熊本城から見える日航ホテルの最上階の一番左の部屋にいらっしゃって、こちらの声を無線でつないでるということだった。

その部屋に入られる前に一度電気を点け入られたら消すということで両陛下が入られたということを表すそうだ。

そして提灯奉迎。
天皇皇后両陛下御来熊ありがとうございますの呼びかけの後、ありがとうございますと言いながら提灯を横に振る。

天皇陛下万歳の呼びかけの後は万歳と言いながら縦に提灯を振る。


基本はそういうことだった。ありがとう御座いますは左右に振って、万歳は縦に振る。

それを10分ぐらいだったかな?何度も振る。

日航ホテルまでは距離があるため、はっきりとは見ることはできない。だけど両陛下もお持ちになってる提灯が揺れてるのは見えた。

私達と一緒に提灯を振って心を通わせる儀式だった。

これでやっと私も日本人になれたと実感できた。って書くとそれまで日本人じゃないみたいだなw
書きなおそうかな。
これでやっと私も日本人で良かったと実感できた・・・とは違うんだよな。

やっと身も心も日本人になれた!が正解かな。うん。

とても素晴らしい日になった。


夜の熊本城へ入る機会もなかなかないので熊本城の写真も撮ってきました。



両陛下は全国豊かな海づくり大会の為行幸啓されている。

天草牛深でも明日関連行事が多数行われるようだ。

その中の14:00から後浜漁港では稚魚放流行事が行われる。

これには話によると両陛下が水俣で放流される映像を生中継で牛深でも映して、そして両陛下から県立劇場の開会式で分けて頂いた稚魚を同時に放流するらしい。

この設備が牛深に来ることも今後当分ないでしょう。このこと自体も嬉しいのですが、稚魚放流なんて自然保護の為よくやってるよとか言われそうですけど、今回は一度両陛下の手を通っているということ自体が凄くてとても嬉しいのです。

とても魚たちが増えそうな気がします。いや絶対増える。古来より日本は人智を超えたこういうことを大事にしてきた。そしてこれからも大事にしていかないといけない。

あすのかたらんなではみなさんその話題が多いでしょう。そちらも楽しみにしてます。
みなさん書いてくださいね。

ほんと今日はとても素晴らしい日でした。
おやすみなさい。失礼致します。