2017年12月08日

流行りの仮想通貨というものに乗ってみた。

こんにちは!
はじめましての人ははじめまして!

大変遅くなりましたが全国朝市サミット2017in牛深ではたくさんのご来場いただき誠にありがとうございました。

個人的には個展の方もたくさんの方に見ていただき直接お話もできてうれしく思いました。
重ねてありがとうございました。

朝市の方はこれからも継続して頑張っていきますね!
早速ですが、12/10(日)熊本市の花畑広場にて天草ごっつぉ市が開催されます。


熊本にお住まいの方がご覧になられましたら、会場へぜひ足をお運びください。天草のおいしいもの食べましょ!毎回たくさんの人でにぎわいますよ。

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ということで表題ですが、

今流行りの仮想通貨なるものを買ってみました。ビットコインなんか2,3日前は120万だったのに今見たら200万超えてるじゃないっすか!!

この過熱ぶりは怖いけどそりゃ億万長者も出ちゃうわけですね。

買わないと0だけど少しでも買ってたら可能性がかなりあるってことか。

1日ベースでみると上げ下げはもちろんありますが、市場に参加する人の数がまだまだ増えると予想される今なら、長期的にみると上がることしかないと僕は思いますけどいかがでしょうか?

価値は0になることほぼないと思いますので、FXさえしなければ、最悪投資したお金少なくなる程度のリスクでやれるってことなのかな。
ビットコインを買ったほうがいいって紹介されてたのに信じれなくて、あのとき買ってればなって後悔してるので、今次の波が来てるモナコインとか他のコインで2匹目のどじょうすくいで行こうと思い買っちゃいました。

気になられた方はぜひ自己責任で。
買うまでに登録が時間かかるのでやりたい方はお早めに。
bitFlyer ビットコインを始めるなら安心・安全な取引所で

このサイトが2,3日で買えました。本人確認書類は1週間ぐらいかかりました。
それではみなさんグッドラック!天草に億万長者が出ることを祈る!  

2017年10月03日

近況報告。朝市関係など。




こんにちは!
はじめましての人ははじめまして!

5年以上読みたくて探していた牛深の史料を関西の方で見せていただく機会を得ました。

そこに書いてある昭和初期の頃の牛深の文章は今後精査して公開できたらいいなぁと思っています。

そこに添付されている写真の一つが上。撮影されたのは明治末期か明治維新、遅くても昭和初期の牛深だと思われます。
弁財天と黒島の間を八田網一組6艘の船団が多数見られる。


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朝市情報。








10月15日の通常朝市は牛深秋祭り協賛と致しまして鰯の塩焼きなどご用意して開催いたします。

  
タグ :朝市


Posted by hirok○ at 01:20Comments(0)朝市

2017年09月14日

9/16日の牛深朝市中止のお知らせ。

今週予定されておりました牛深まるごと朝市は台風接近のため中止いたします。
来月は全国朝市サミットが開催されますので楽しみにお待ちください。
  
タグ :朝市


Posted by hirok○ at 19:43Comments(0)朝市

2017年09月04日

僕と私の牛深朝市情報!前夜祭



この時に私の個展は前夜祭会場の総合センター1階に場所を移しておりますのでそちらで見ることができます。  


Posted by hirok○ at 03:21Comments(0)朝市

2017年08月14日

2017年07月31日

僕と私の牛深朝市情報!

こんにちは!
はじめましての人ははじめまして!

牛深まるごと朝市の広報担当ということでこれからこのブログで情報をアップしていきますー。
《朝市情報最新情報》




全国の朝市が集まって普段は買うことができないいろんな地域の特産品を購入できるイベントです。

行政のご支援も決まりました。

天草議会だよりより


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朝市サミット期間に合わせましての私の個展です。

ハイヤ祭りポスターのモデルに描かせていただいた方どなたか来ていただけたら嬉しいな。
  
タグ :牛深朝市


Posted by hirok○ at 04:03Comments(0)朝市

2017年07月07日

せっかくだから個展について語るぜ!

こんにちは!
はじめましての人ははじめまして!

随分久しぶりにブログを書いているように思います。プライベート含めお仕事でも時間とられてしまっていまして。

今日は告知ですね。
10月20(金)21(土)22(日)に牛深で全国朝市サミットが開催されます。

全国の朝市が牛深に集まるということで北は北海道からもお見えになります。

私自身の告知としましては、この全国朝市サミットに合わせまして、
10月1日~31日まで牛深で初個展いたします。


展示する絵は熊本地震イラストで全国の方に熊本地震を伝えます。


益城朝市の方も描かせていただいてます。

もちろん絵だけでなく牛深ハイヤでおもてなしを準備いたしております。

その他、熊本の女優さんをモデルに製作しております。こちらは現在全作品出来上がっておりませんので完成しているものをお持ちいたします。
一度私の本気絵を見ていただきたいと思います。

こちらがフェルメールの『青いターバンの女』を意識して製作したもの。

こちらが現時点私の力を出し尽くしたもの。
私は全国朝市サミット時は会場近辺におります。お声かけてくださいね!製作の裏話とかいろいろ聞いてあげてくださいなw



  


Posted by hirok○ at 02:54Comments(2)朝市

2016年09月03日

夢を初めて願って~♪人生一回目の絶頂期。

こんにちは!
はじめましての人ははじめまして!

この記事は絶対牛深八景で書きたいなと思いまして。

牛深ではもう回覧板で回っているそうでお気付きの方いらっしゃると思います。
牛深の友人たちもを連絡くれました。なんかくすぐったい感じ。こういう事を気付いて連絡してくれる友人は一生大事にしたいなぁなんて嬉しく思う。


牛深ハイヤ公式HP
フルカラーでご覧になられたい方↑こちらまたは↓こちらを御覧ください。

天草宝島観光協会HP

一旦は諦めたハイヤのポスターなのですが返り咲きいたしました。
んふふ。

んふふ。にやけがとまらないっす。

この絵を描くまでの過程はこのブログに詰まってます。
3年の月日をかけたこのブログに詰まってる。過去の記事と重複することもあると思いますが、ここでその想いをぶちまけるぜ。

簡潔に言うと、ハイヤのポスターを描くというのがイラストレーターを志したときの夢だったんすよ。

牛深ハイヤを表現するために牛深の歴史を調べ、学んでたのです。しかもハイヤの発祥江戸時代まで遡ってまで。
だからこのポスターを描くまでに3年かかりました。

こういうときにネットでは言うフレーズがあります。ついに俺も言える時が来た。言わせてください。

『これがさ、牛深から熊本へ出てきて努力した、一つの結果やもんでさ』

みなさんに見てもらいたいんですわ。


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夢を初めて願って~♪

今日までどれくらいたっただろう?♪

普通はこんなことやりませんが、まさしく私のマスターピースとなったこのデザインは解説を残しておこうと思います。はっきり意味を伝えたいためです。


「牛深ハイヤ」の文字は昨年全国総文祭熊本県代表松下さん(牛深出身)に書いていただいた書。

踊り手さんたちは一番古い元ハイヤから一番新しい牛高生郷芸部までで牛深ハイヤを現代浮世絵という手法で表現。
大漁祈願のえびす様。

背景には関西国際空港をデザインした世界的建築家レンゾ・ピアノ氏によるハイヤ大橋。
天草夕日八景にも含まれる小森海岸の夕日。江戸時代からこの海域を数多の漁船が通っていた。中国からの唐船もここから牛深へ入ってきている。牛深竜宮伝説にもなる龍仙島。この島は鹿児島桜島の噴火による溶岩地層(国指定天然記念物)。
その手前は炭鉱で栄えた時代もある象徴の海底烏帽子炭鉱。

この一枚に江戸時代から受け継がれるハイヤを詰め込んである。

人物画のほうはそれだけでも一枚絵に対応できるクオリティで全員ほぼ全身描いてあって、それを後にレイアウトしております。その中で牛高生の拡大を公開。
450
この部分というところの着物の彩色にまるまる2日約40時間ぐらいかかってる。トータルでどれだけかかっているのかはご想像で。
時間かければいい作品ができるというわけではなくそんなことを言いたいわけではありません。それだけの時間牛深ハイヤだけを想ってひたすらキャンバスに向かったっていう気持ちを伝えたい。みんなに伝われ~。

横浜に住む僕の初恋の人も見てくれてメールをくれた。掲載許可もらってないけどいいかw
「素敵です。故郷に錦飾ったね!
そして、すっごく行きたい。ハイヤ祭りポスター、やっぱりいいですよ。
素敵です。牛深の人でないと思いつかないよ。
めっちゃ牛深帰りたいです。」

彼女に言ってもらう言葉は今でも特別で……最大の賛辞ではないか。ほんと泣いてまうわ。

ということで私hirokは憧れに憧れた公認ハイヤ絵師になりました。かたらんなよりハイヤ絵師の誕生の瞬間でございます。牛深ハイヤの歴史に名を残せた。

もちろんここまで沢山の方にお世話になりました。関係して応援してくださった方々本当にありがとうございました。

お絵かきブログではまだまだイラストモデル募集しております。
熊本地震に関しては無料で描いていますよ。公認ハイヤ絵師に描いてほしいなぁなんて思ってる方いらっしゃいませんか?ほんと今だけですので。応募はこちら
ハイヤ絵師の牛深マスコットハイヤコちゃんLINEスタンプ→にてまだまだ発売中だぞ。おめでとう購入お願いします。

  
タグ :牛深ハイヤ


Posted by hirok○ at 04:54Comments(2)牛深八景

2016年07月18日

ハイヤの祭典~海族祭へ行ってきた

こんにちは!
はじめましての人ははじめまして!

3日間牛深いましたがハイヤ楽しかったですねー。

牛高郷芸部全国大会今月らしいですね!がんばれー!








全国大会前ということで全編は流せませんがだいぶ仕上がってますね。

しっかり芸術になってるなぁ。ずいぶん練習してるのは伝わってる。

熊本地震企画の方でも郷芸部から出てくれる方がいらっしゃいますのでそちらもお楽しみに。

一旦中止となったハイヤ祭りはこれよりパワアップして再演されます。次の牛深ハイヤ企画はこちら↓
フェリー座ハイヤ

海の上のフェリーで花火を見ながら、座ハイヤ(誰でも参加して踊れる)を楽しめます。しかも今回市外の方無料っすよ!

普段漁火探検でもフェリー乗ろうとしたら3000円かかるっしょ!市内の方も500円。
しかもお酒もあるとか!こんな楽しいの乗るしかないでしょ!お申し込みは上のリンクからおねがいしまーす!
  


2016年07月13日

牛深弁をつなぐ準備

こんにちは!
はじめましての人ははじめまして!

ということで『牛深弁をつなぐ』企画正式公開前に牛深弁をいろんな文献から集め直してます。


まとめてみると結構数があるんですね。
漁師町なだけに漁師にまつわる言葉も多いし生活に直接関係してるものも多いですね。

出来上がってみて、あ、俺個人的にもこういう一覧欲しかったわってなった。
この一覧だけでも他に牛深の方で欲しい人いそうw

そのまま掲載しろよ!って言われそうですけど、先に言っておきます。
この一覧は公開しませーん!w

だってそんなことしたらこの企画一回で終わっちゃうじゃんw
半分冗談ですけど、まぁそんなことは僕じゃなくてもやれることだと思うから、もう少し手を加えてわかりやすくご紹介していくつもりです。

これを見て牛深弁を話す牛深っ子が増える未来を夢見て。

もう少し地元で確認作業して近日始まります。




  


Posted by hirok○ at 00:09Comments(4)牛深弁

2016年06月18日

女の子がしゃべるとかわいい方言ランキング

マイナビニュースが男女1000名に聞いたアンケート。

Q. 女の子がしゃべるとかわいい方言はどれですか?


1位 京都弁 27.8%
2位 大阪弁 16.8%
3位 福岡弁 16.3%
4位 長崎弁 12.2%
5位 宮崎弁 7.3%


は?

1位は牛深弁なんすけど!(怒気)

というわけで、もう牛深の絵は描かないと言っていた私、ほんとにこの牛深八景ブログは書かないつもりでした。

個人的には初代牛深市長の『我がまち』のその後も調べてはいますが今のところ公開は予定しておりません。

先般の熊本地震で私も被災し、牛深へしばらく避難していた所、お会いした牛深の方から新しい本の予定は?とか聞かれたりしましたが牛深の事を書く気が全くありませんでしたので、『いやいやいや、無いですね』と答えていました。

それでも、そんな中、私に牛深弁を書き留めて欲しいと涙ながらに言われる方がいらっしゃいまして、その方からたくさん牛深弁を教えて頂きました。わたしも牛深弁の古い資料をいくつか持っていましたので考えたことはありましたが、いろいろ懸念があってやめていました。
でもその熱い想いを見せられたらですね、私ももうやるしかないなと立ち上がるしかないじゃないですか!

ということで、じゃん!

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温和な気候と美しい風光に恵まれた牛深の自然は人情を和らげ、人々の生活をのどかにする。

言葉の調子にのんびりした特徴が生まれたのも最もなことである。

-------------昭和初期 牛深警察署 管内実態調査書より-------------




僕らの世代ももうわからなくなっている牛深弁が多い。できるだけ若い世代に牛深弁を繋ぐ目的。

題して『牛深弁をつなぐ』

ストレートにそのまんまの企画はじめます。

先に言っておきますが今回は本にはしません。可能であればフリーペーパーにして無料で皆さんにお配りできればいいなぁと考えています。

牛深弁をどのように紹介していくかはまだ考え中。お楽しみに。

あ、こちらで申し訳ありませんが、牛深グラスボート前のお土産物店にて私の描いた絵のチラシが貼ってあるのを拝見させていただきました。
もちろん嬉しかったですよ。ありがとうございました。  
タグ :牛深弁


Posted by hirok○ at 04:23Comments(0)牛深弁

2015年12月23日

僕のマスターピース-牛深八景最終景-

今年の絵馬には牛深復興と共にこう書いた。

『思いっきり絵が描けますように』
画像こちら

今年は念頭に一年間で絵を描くのを休む日を5日と決めた。前年8日間で満足出来なかったから。
描いても描いても飽きることはなく、描いている側から5つぐらい先に描く絵の描きたい衝動を我慢しながら制作に取り組んだ。

物理的に絵の道具が手元にないときなど含めほんとに5日しか休まなかった。
いそんな誘いを断り、いろんなものを犠牲にして近親者には迷惑をかけたであろう残り360日は毎日毎日絵を描いていたことになる。

こんだけ描いたら制作意欲は尽きるでしょう、と思いきや増す一方で。
一年間思いっきり絵を描くことが出来たと思う。絵馬の願いは叶った。

その今年描いた絵たちはTwitterなどでまとめ絵を公開してます。ご興味ある方はそちらでご確認をしていただけると嬉しいです。
IDは下部に記載。

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『牛深ハイヤ』というものは牛深人にとってとても大事なものである。

もちろん私にとってもそう。

約3年の間、『牛深八景』と『絵で見る江戸時代の牛深』を制作してきて牛深の歴史を学んだ。

そして牛深出身イラストレーターとして最大の夢である『牛深ハイヤ祭りのポスター』を描くこと。
この3年間はこのために時間を費やしてきたといっても過言ではない。

初めてそのデザインコンペに参加出来た、とても嬉しかった。


結果から先に言いますと落選してしまいました(;´∀`)

牛深の人たちには受け入れられなかったということが明白になった。
素人が選ぶものだからデザイン的に劣っていたとは少しも思っていない、その点のショックは無い。でも素人にもわかるように圧倒的なデザインをしないといけないのも事実。
今回のポスター案制作にはいろんな方のお世話になったし応援もしてもらった。また同時にたくさん迷惑もかけた。落選したというショックよりこんな結果になってその方々に申し訳がないという気持ちの方が大きい。

ハイヤ祭りは毎年あるんだしまた頑張ればいいじゃないと思われるでしょうが、正直こんなに迷惑かけて来年もとはさすがに言えませんし、今回以上の制作力、また協力をいただくのは実際無理だ。

それがわかっていたから一回限りの挑戦だった。
人物は一人当り3日かかり新規で6人描いたのでそれだけで18日かかった。先月一ヶ月籠もって時間をかけた。

これだけ時間かけたから凄い作品になったよとか言いたいわけじゃない。
僕にとってとても大事だったから気持ち込めて描きたかった。

前半で今年描いた絵をまとめた事を書いたが、今年描いたその絵たちも含めこれまで描いてきた何十、何百の絵全てが今回のポスターにつながっている。

ここでは牛深だけに特化しているので牛深を描いた僕の3年間の絵だけをまとめてみた。(クリックにて拡大)



採用はされなかったが、今度のポスター案は間違いなく自信を持って僕の最高傑作を更新したと言える作品になった。
2つの案を提出していた。(クリックにて拡大)

(公開一時停止中)

一番古い元ハイヤから牛高生までの各年代で牛深ハイヤを表現した。
文字もまた総文祭県代表の牛高生徒さんに依頼した。完全に純牛深人だけで制作したということ。

このポスターを描き上げた時、出来上がったポスターを見て感じた。

僕はこのポスターを描くために今まで生きてきたんだ。しっかり僕の人生が載った作品だった。
何も恥じることはない。

いくら気持ちを込めても勝負事には1位でないといけない。勝つか負けるか。
ということで、敗者である僕の残された仕事はお世話になった方々に感謝の気持ちを伝えることだと思う。

僕には牛深があって良かった。牛深の事を学んだこの3年間は自分の中で輝いていて出会い一つ一つがとても楽しかった。
特に観光協会牛深支部長浜崎先生には数年に渡りとてもお世話になった。感謝してもしきれないし僕の力不足がほんとに恥ずかしい。

浜崎先生は議会見ていても伝わっていますが、天草市議の中でも牛深の事をとても考えてらっしゃる素晴らしい先生で僕みたいな若輩者を最後まで後押ししてくださった。
ここをずっと読んでくださっていた牛深の方々、本を購入して応援してくださった方々、ポスター制作に協力してくださった方々、浜崎先生、本当にありがとうございました。感謝の気持ちは言葉では表現できません。


今回の落選はポジティブに受け取るとそろそろ牛深から離れて外に出てもいいんだよということなのかもしれない。
応援してくださる方達からは次の本を待ってる期待を感じて迷ってはいたがここできっぱり終わりにしようと思う。牛深での目標が無くなったからだ。

もう牛深に対して僕は絵を描くことができない。
描けないからこれで牛深八景最終景ということになる。

誤解がないように書いておきます。絵を描くのをやめるわけじゃありません。一生絵は描きます、ご心配なさらず。僕の中では2大人生目標があってその両輪が生きる希望だった。片方が消えただけでこれでもう一方に専念できるということです。
今後自分自身のためだけに牛深を描くことはあるとは思います。

この牛深八景ブログは今回の更新で最後。いつごろになるかはわかりませんが新規で牛深に関係なく、このブログで休題として書いていた牛深に関係ない内容のブログを始めようかなと考えてます。牛深の看板を外すということでしょうか。
新規ブログ作成報告その他もろもろの報告はTwitterやHPで掲載していきます。

Twitter→ hirok または @hirok_studio で検索。相互フォロー歓迎。
HP→ http://hirok-studio.jimdo.com/ 

それでは牛深八景これにて終了いたします。
あー公式ハイヤ絵師になりたかったぁ(TдT)長い間、ありがとうございました、そしてすみませんでした。  
タグ :牛深八景


Posted by hirok○ at 03:10Comments(1)牛深八景

2015年12月10日

父と暮らせばにひとこと言いたい

こんにちは!
はじめましての人ははじめまして!

今週まで熊本の健軍で劇団ゼロソー公演やっています。

井上ひさし作 『父と暮せば』

井上ひさしの名作をこの機会に是非。

来年は本渡市民センターでの公演も決定しています。
舞台は何度見ても面白い。数メートル目の前で演じる役者さん達の息遣いを感じてみてください。

私も金曜か土曜の公演を見に行く予定にしてます。
ということでその舞台のワンシーンを速描しました。
後編につづく

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あらすじと同時に御覧ください。


「うちはしあわせになってはいけんのじゃ」

愛する者たちを原爆で失った美津江は、一人だけ生き残った負い目から、恋のときめきからも身を引こうとする。そんな娘を思いやるあまり「恋の応援団長」をかってでて励ます父・竹造は、実はもはやこの世の人ではない――。

「わしの分まで生きてちょんだいよォー」

父の願いが、ついに底なしの絶望から娘をよみがえらせる、魂の再生の物語。





このシーンを見に来て!
残る公演日は


チケットはこちらをクリック↓
http://stage.corich.jp/stage_detail.php?stage_main_id=55247


小道具までこだわって作って有ります。

泣けます。

演出も音楽も泣けます。ハードル上げてるわけじゃないです。
ほんとにいい作品になっておりますので多くの方に観ていただきたいと思うのです。  


2015年12月03日

近況報告に到る病

こんにちは!
はじめましての人ははじめまして!

先月から一ヶ月ひたすら描き続けていた絵がありまして、なんとか先ほど完成に目処が立ちました。

ふぅ。一息ついたところです。

そんな時間がない中、またもや弾丸日帰りで2回ほど牛深へ帰ったりしてました。

牛深では先週はえびす祭りと今週はあかね市ですね。賑わうことでしょう。あかね市へも行きたかったのですがこの時期イベントが重なりすぎです。断念。

「絵で見る江戸時代の牛深」の本はおかげさまで随分購入していただきました。ありがとうございました。
大変満足いたしております。

寄贈先へもすべて手配が完了いたしました。各図書館なんかでも読めます。ご興味わかれた方は借りて読んでみてください。

本渡の歴史民俗資料館ではなんとお礼の品まで頂きまして大変ありがとうございました。


もう、ふろしきとかめちゃめちゃ欲しかったんですよ。なんで俺の好みがわかったんですか!
これはけっこうな値段するな。バックとかやめて風呂敷いつも持ち歩こうかなとか思ってます。

その後牛深ネタもいろんな方がご連絡くださいまして、新たに集まりつつあります。その他史料やお話聞きにきてもいいよって方はご連絡ください。牛深の歴史を語り継いでいくお手伝いをさせてください(^^)

会う方会う方当たり前のように第3弾第4弾と私が本を出すように思ってらっしゃって、これで終わりだったはずなのにどうしようかなーとか揺らいでもいます。できるかぎりはやるしかないなと思い直してる次第です。ただ時間がほんとなくって。。。



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劇団ゼロソーのお話。

先月はTVニュースや県のHPとか熊日さんでも何度も特集記事が載ってましたね。スゴイスゴイ。ブレイクしてる!?しつつある?!

一ヶ月間で複数の劇団を呼んで演劇祭を行っていました。そのうち2作見に行きました。

ゼロソーの嫉妬(ラ・ジャルジー)は違う場所で一度見たことがあったのですが、今回のはとても綺麗でした。

あの白い照明に女優さんが照らされるシーン、ここ絵に描きたい!ってほんと思いました。写真なんか撮れないから演劇というのは毎回違うその場の一回限りの芸術なんだなぁと儚くその魅力は計り知れない。

休む間もなく、今週末からは「父と暮せば」公演が始まる。

今映画であってる「母と暮らせば」の元になっている井上ひさし作の演劇。
これはまた面白いぞ!

井上ひさし事務所からの公演許可が正式に下りて戦後70周年にこの題材。来年は小中学校公演も予定されてるとか。

実は!!!


公演のチラシなど広告関係のデザイン私に依頼がありましてやらせていただきました(写真右)。和風の題材には私の絵柄はよく似合う。

そしてさらにゼロソー次回公演は「竜宮都市ゴーヘイ」(写真左)。
牛深の浦島伝説からなにか物語を作って欲しいと伝えていたためでしょう。

牛深の船乗りなら「ゴーヘイ」も馴染みの深い言葉ですよね。どのようなお話かというと宣材から転載致します。


『外貨は欲しい

でも国内にカジノを作るのはなんだか気が引ける。

治安も悪くなりそうだし。

そんなクサい物にフタな発想から誕生したのが、

海上移動施型カジノ施設「ゴーヘイ」だった。

「ゴーヘイ」は日本各地の専用港を数年に1回ペースで点々とし、

繋留都市に多大な富を落としていく。


この浮島は、だれのもの?

ゴーヘイ住民と本土民との、

友好と疑惑が水面下ーーー

いや、海面下?で渦巻くものがたり』



九州戯曲賞大賞作家の最新作!乞うご期待!

わたしも楽しみで仕方ありません。うー早く見たいー!!!
  
タグ :牛深


2015年11月01日

牛深高校開校記念式典からはじめよう

こんにちは!
はじめましての人ははじめまして!

新牛深高校の開校記念式典に呼んで頂きましたので行って来ました。
来賓には蒲島県知事を始め西岡県議、もちろん中村市長、天草市議の先生方、県下高校の校長先生、そして牛高を支えて来られた方々が多数いらしゃってました。

なんといっても君が代を歌うのが気持ちいいですね。特に牛深の生徒さんはきちんと歌ってましたので気持ちがよかったです。

そんな中、校章を考案したことに対する感謝状を頂きました。
正直言いまして壇上へ上がるのはとても緊張するだろうなと思っていました。

席を立って歩き始めてからは、その瞬間を覚えていたくて噛み締めていたら不思議と緊張はしてませんでした。

壇上で感謝状を校長先生が読んでくださるのを聞いていて、僕のために考えてくださった文章なんだぁと嬉しく思いながら受け取りました。

ガラスで出来た校章の記念品も頂きまして、ありがとうございました。生涯大事にしたいと思います。

私は牛深高校は母校では無いのですが、自分の故郷を将来にわたって中心的に支えていくであろう牛高の生徒さんのことを頑張って欲しいととても大切に思っております。

今回牛深高校に初めて関係してみて感じたことは、そこに携わってらっしゃる方々もとても生徒さんたちの事を考えていて大事にして頂いているということでした。

特に私は事務長先生や教頭先生、英語科の山口先生に大変お世話になりました。私自身に対する配慮もたくさん感じる場面がありました、とても気持ちがよく、とても嬉しく思いました。深く感謝を申し上げます。本当にありがとうございました。



新しい高校の始まり。たくさんの拍手をうけるということはとても気持ちのいいものでした。

そしてここを見てくださったいる方や初めてお会いした方々からもお声をかけて頂きありがとうございました。もっとお話したかったのですが、少しずつで大変失礼いたしました。また機会が有るときにゆっくりお話させてください。よろしくお願い致します。


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私の本『絵で見る~』は今回の牛深高校の記念式典の来賓者に記念品として配られました。

来賓者に県下の高校校長先生も入っていたと書きました。その中に私が牛深中学校で社会を教わった先生がいらっしゃいました。

中学時代とても大好きだった先生で、直接担任を受け持って頂いたことはない先生でしたが、とても面倒見のいい先生で私が熊本の高校へ行ってからも何度か手紙のやり取りをさせて頂いておりました。

高校大学と毎日の生活に負われるようになり、次第に連絡を取ることもなくなっていました。

連絡を取ることは無くなって15年以上たっておりましたが、もちろん恩師を忘れるわけはありません。

先生のお名前を探しては、今はどこにいらっしゃって、現在は南関高校の校長先生になってらっしゃるんだぁなぁと調べたりしては思っておりました。

重岡先生!あのときの中学生が校章をデザインできるようにはなんとかなりました。そして先生がいなければ歴史や政治に興味を持つようになっていませんでした。今回の『絵で見る~』も生まれていないと思います。

お会いしたかったのですが、閉式後控室などが違ったため、探した時には見つける事が出来なくて叶いませんでした。

牛高で表彰される姿と私の歴史本を見せることができてほんの少しでも恩返しができましたでしょうか。こういう意味でも今回の式典は私にとってとても特別なものでございました。

そして、御番所ブログの内容になるのですが、今回の牛深帰省で初代市長が書いた『我が町』探してきましたよ!
これで勝つる!全文読める!!


(伏せている部分申し訳ありません)

少しだけ『我が町』部分、流し見してみましたが、読んだこと無い凄いことことたくさん書いてありました。

実はこの写真に撮っているものは公式に纏まっていない牛深に関する記録や文章や古文書など消えて読めなくなりそうなものを含め、史実を書き写されたものです。これだけ纏められたものは牛深に他にありません。何が纏められているのかはまだ私が中身を確認はしていませんので公開はできません。

写真見てわかるようにページ数は多く数えられないぐらい大量にありました。『我が町』を読んでみたいですと郷土史家に尋ねたところ、なんとこれを持って行けと譲り受けました。

全く勉強が足りない私ではありますが、今回の本の出版で少しは認めて頂けたということなのでしょうか。

大変うれしく思っているのですが、こんな大事なもの頂いて、私にはだいぶ荷が重く申し訳ない気持ちでいっぱいです。それでも私にできる限りの事はやろうと思っています。どうやって公開して行ったらいいのか含めこれから先ゆっくり読んでみて考えていきたいと思います。

引き続き、牛深の歴史を学ぶ私の生活が始まりました。  


2015年10月09日

長良の足についてこれる?-牛深第十景その三

続きものです。その一→こちら

こんにちは!
はじめましての人ははじめまして!

最近巷で女子に大人気のゲームがあります。その名も『刀剣乱舞』(とうけんらんぶ)

名刀を擬人化した「刀剣男士」を収集・強化し、合戦場の敵を討伐していく刀剣育成シミュレーションなのですが、その擬人化した男の子に女子たちがはまってるのです。

最近は歴史が好きな女子が増えていて歴女なんて言葉も生まれる社会現象とまでなっておりますが、自分のお気に入りの男子のモチーフになった刀を直に見たいと所蔵する博物館などを訪れる人達が増えているそうだ。

熊日さんで何度か記事になっていると思いますのでご存じの方も多いかもしれません。
そのゲームの中でも『同田貫正国』レア3最高ランクの打刀モデルになっている実物が玉名に現存公開されていて来場者が急上昇しているとのこと。
そこで玉名市のHPを見てみた。こちら

おっと、まさかの刀剣乱舞とタイアップしてるじゃないですか!

温泉街である玉名は来客が増えてもすぐ観光客を収容できる施設が充実してるため観光へ結びつける対応も早い、さすがだなぁと思った。
そう、流行りモノというのは観光にすぐ反映できる持ってこいのものだと私も思います。


予告していました通り第十景の最後は私の絵を公開するのですが、内容はその刀剣乱舞と同じブラウザゲームの流行りもの。
『艦隊これくしょん』略称『艦これ』についてです。

上記した刀剣乱舞の登録者は130万人を超えているそうですが、艦これはなんとそれを上回る300万人を突破しています。もちろん僕もやっていますが周りでもやってる人が多い。
アニメ化もされイベントもさまざま運営人も有能でまだまだ人気は衰えるような気配はない。

実在した艦艇を萌えキャラクターに擬人化した「艦娘(かんむす)」を集め、強化しながら敵と戦闘し勝利を目指すというもの。

その艦娘という女の子たちがかわいいのも人気の理由なのですが、なんといっても設定が凄い。

各艦娘のグラフィックには題材となった艦の外見的特徴が描き表されており、戦闘に用いられるパラメータにも史実上の海戦で起こった出来事などが反映されるものとなっています。艦娘が備える兵装も実在の兵装がパラメータ化されていてゲーム中で出撃する海域の名称は、実在の地名や史実の海戦を想起させる、歴史好きにはたまらない。

もちろんゲーム自体も面白いので歴史を知らない人でもこのゲームで遊びながら歴史に興味を持ち学ぶ形になっています。

前回までまとめているように牛深大島沖で軽巡長良は眠りにつきました。
艦これでは長良はプレイヤー(自分)のことを提督ではなく司令官と呼ぶ。そして代表的なセリフが第十景の題名にしている『長良の足についてこれる?』なのです。

それだけスピードを重視して作られ自信があるという事。皮肉にも最後はその自慢の早い足でも米潜水艦から逃げることが出来なかった。

そう思うとこのセリフがとても切なく、いや、最後だって戦闘中の沖縄から民間人を鹿児島まで立派に移送完了した後だったじゃないか!お前の足はほんと立派で大活躍した、胸を張れ!と言ってやりたくなる。

だから僕は牛深を表現するのにこの長良を、艦これの長良で描くことに決めました。


*.♪★*・゜・*♪*.♪我、夜戦に突入す!・゜・*♪*.♪★*・゜*.♪


牛深港に何度も長良が来ていたということは前回までに書きました。

ということで海彩館前の旧牛深漁港へ碇泊する長良を愛情たっぷり込めて描きました。見てやってください。


『軽巡長良、ただいま牛深港へ帰還しました!!』
(クリックにて拡大)




そして先日、艦これ長良を長良記念館へ連れて行ってきました。


艦これ長良を検索してここを見てくださっている方!長良記念館は熊本県天草市牛深にございます。
大変長良に縁の土地でその関係はこの第十景のその一から御覧ください。そして牛深へ訪れてみてください。一緒に長良を偲びましょう。

牛深も玉名と同じように艦これとタイアップしませんかぁ?300万人の艦これファンにアピールするのも観光の良い手であると思います。




  


Posted by hirok○ at 05:43Comments(4)牛深八景

2015年09月18日

長良の足についてこれる?-牛深第十景その二

こんにちは!
はじめましての人ははじめまして!

続きものです。その一→こちら

牛深の事で軍艦長良を学ぶにはこの本を読まないわけにはいかないということで読ませていただきました。


島一春著「天草灘にひびけ鎮魂の譜」1995年。
戦後50年のときということで今から20年前。最近古文書とか読んでたから20年前でも最近に思う、笑。

天草出身の作家島一春氏がラジオ番組の取材で牛深へ何度も訪れ一人のおばあちゃんにインタビューする事がきっかけでこの本がうまれました。

冒頭。『天草を描くには天草の海をしらなければならない。天草の海を知るには、肥後随一の漁業の町である牛深の歴史や、そこに生きた人びとの哀歓にふれ、海のうねり、磯の香や風のささやきにふれなくてはならない、とわたしは思った。』と書いてありました。

天草を知るには牛深を知らないといけないと見識のある方が文字に残してくださっている。嬉しいことですね。

その牛深で長年私財を投じて軍艦長良戦没者の供養をひそやかに続けていた人がいました。
名を「佐々木つる」さん。このブログでは私の母がお世話になっていたこともあり、母が呼んでいる「おつるおばさん」と親しみを込めてこれから表記致します。

この本はおつるおばさんの一生を振り返り、なぜ自分の身内が亡くなったわけではないのに一人の女性が長年毎日毎日長良の供養を行ってきたのかを探るノンフィクションです。この中に牛深の紹介で遠見番所の事も書かれていましたし、牛深にまつわる明治維新の頃の事も書かれていました。その辺りは御番所ブログで後日纏めます。

おつるおばさんは尋常小学校卒業後鹿児島東郷へ父とともに渡る。
東郷の地では日清、日露戦争に従軍した元軍人が何人もいておつるおばさんはその方達より戦争体験をよく聞いていた。

そして父から話を聞いていた太平記の楠木正成とその子正行の戦物語に感動を覚えた。この二つの話の共通点である死を顧みずに国のために戦うこと。その純烈さにおつるおばさんは人間の生命の炎のような燃焼を感じとったそうだ。

明治45年、母が病になった知らせを聞いたおつるおばさんは牛深へ戻ってくる。
母の代わりに弟たちを育てるため母の青果の仕事を受け継ぐ。14歳だった。

大正12年染屋(牛深では旗屋、主に祝旗や大漁旗を染めるため)に嫁ぐ。
染屋は何度も水洗いをするため大量に水を使う。水資源が乏しかった牛深ではその水汲みが大変な重労働だった。その仕事は身重のおつるおばさんの仕事だった。

娘さんが産まれ素直にすくすく育った。

娘さんが小学3年生になった頃、牛深には軽巡夕張、軽巡長良、その他駆逐艦が湾内に碇泊することがあった。
牛深の人たちは海岸に集まり万歳を叫び、艦上では水兵さんが手を振り返した。

娘さんが軍艦に乗ってみたいと言う。だがこの希望をおつるおばさんの力では叶えてあげることができないのは当たり前のことだった。
しかし娘さんは軍艦に乗ってみたいと事あるごとに言っていたのでしょう。その話が軍人さんの元へ届き、長良の水兵さんが娘さんに艦内を見せてくれたのだそうだ。帰りにキャラメルなどのお菓子もおみやげに持たせてくれたそうだ。

これがおつるおばさんと長良の出会いである。

それから2.3年の時間が経った。その後長良は牛深へ来てなかったようだった。
娘さんが七夕の短冊に書いた願いの一つに、「長良よ永遠に」と書いているのを見てまだ覚えているんだとおつるおばさんは思って心に残った。

牛深は平和であったが、海を隔てた場所では満州事変から盧溝橋事件へ全面戦争が始まろうとしていた。
次第に牛深でも若者が出征していき宮崎八幡宮での兵隊見送りが町を上げての盛大な行事になった。

夫は体を悪くしたためおつるおばさんは休まず働いた。熊本へ仕事で出た時は海軍へ献金も行っていた。海軍へ献金したのは長良への感謝の気持ちと娘さんが海軍好きだったからだった。

昭和18年5月21日
山本五十六連合艦隊総司令官の戦死が一般に発表された。
昭和天皇が終日ご文庫にて籠もられお慎みなられたあのときのことだ。関連→昭和天皇に日本の心を見た-その1

記録のためにもう少し詳しく。
4月18日、最前線で戦う兵士を鼓舞するため山本長官と参謀長が2機の攻撃機に分乗しバラレ島に向かった。
しかし米軍は日本の行動電報を解読し2機を奇襲。1機は海中、1機はジャングルへ墜落した。

ジャングルへ墜落した方には山本長官が乗っていて、機銃弾を頭と胸に受け日本刀を両膝の間に挟んで端然と座席に座ったまま絶命していたと言われている。

日本は山本長官を失ったことで国民の心に大きな風穴を開けた。
長官の国葬6月5日、牛深では町にサイレンが鳴り響き海辺でも家庭でも、海上でも全員が黙祷を捧げ冥福を祈った。

おつるおばさんはこのとき東に向かって深々と頭を下げ、止めどない涙を流したそうだ。


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そして運命の昭和19年8月7日が訪れる。
その日おつるおばさんは須口へでかけ家路についていた。一瞬大気が震えた。

何が起こったかわからず海を見ると沖合に煙が立ち上っていた。

一方、天草灘を見張る軍の監視所では一隻の巡洋艦が通っているのを確認していた。
本渡の司令部へ電話連絡しようとした矢先、閃光が走り水柱が立ち昇るのが見えた。2発目の攻撃を受けた。
もう一度望遠鏡で沖合を見た。凪いだ真昼の海のかなたに、艦首を天にむけて沈没していく黒い艦影をはっきり確認して司令部へ連絡した。

大島沖合では牛深の漁師がマンビキ(シイラ)漁を行っていた。その漁師さんたちは度々牛深へ来る長良を見ていてそのとき通っていた軍艦が長良だとわかった。

漁を続けようとした所、閃光が走り水柱が起こった。長良の速度がみるみるうちに落ちていく。近くに居た牛深の漁師達は巻き込まれるのを恐れず全速力で助けに駆けつけたのだった。

漁船の救助により乗組員のうち235人は牛深の港へ上陸することが出来た。誇れる牛深先人たち。本当に素晴らしい勇敢な行動ですね。

ここの長良のことも、もう少し詳しく書いておきます。
長良は敵潜水艦に気がついていた。このとき潜水艦雷撃を避けるため有効な回避方法であるジグザク走行を行っていた。戦艦にはできない巡洋艦ならではの回避行動である。

米潜水艦クローカーの後部発射管から4本の魚雷が射出され、うち1本が長良の右舷後部に命中、艦首は天草の陸地を向いた。艦は傾きはじめ続く2発めの被弾で大きく振動し艦首を天へ向けた。

この直前中原義一郎艦長は落ち着き払った声で(このとき自身は死の覚悟を決めていたのだろう)「総員退去」の命令を発した。

長良には乗組員583人いたが生存者は上記した235人。中原艦長ほか347人の軍人は長良とともに天草の海底へ沈んだのである。

ただこのことは戦時中であったため、長良が沈んだことは日本国民にも知られてはならず、すぐさま軍の厳しい箝口令がしかれた。牛深の人同士でも話すことができなかった。

二十歳になっていた娘さんとおつるおばさんは二人で涙を流し長良艦の方達の冥福を心から祈ったという。

ここまでが本の前半です。ここから後半はおつるおばさんの慰霊の積み重ねが書かれています。お読みでない方々に読んでいただきたいので詳しくは纏めません。絶版になっているのかこの本の価格は値下がりしてなくむしろプレミアがついて高くなっているところもあるので新しく手に入れるのは少しむずかしいかもしれませんが牛深の方々は結構持ってらっしゃる?!かもしれないので持ってる方からお借りしてでも私と同年代または下の方々にぜひ読んでいただきたいです。

ボラ山の石塔が建てられる経緯や、そこに携わる牛深の方々の気持ち、海上慰霊の事。この牛深の先人の積み重ねをしっかり受け継いで行かないといけないと私も思っています。

終盤、長良の慰霊を続けてくれていた事を知った長良艦長婦人が後に牛深へ訪れるのですが、その前に取り急ぎおつるおばさんへ宛てた手紙も公開してありました。ここハンカチ何枚も用意したほうがいいですね。最初読んだときは新幹線の移動中だったため人前なのに涙がでるもんだからそれ以上読めなくて困りました、はは。

おつるおばさんが残してくれた慰霊のこころは今でも牛深の方達に残っている。

近年、戦艦武蔵(大和と同型)の沈んだ場所を米資産家が発見し引揚を検討というニュースを見た。
天草-長崎間には同じように沈んだ艦が潜水艦をはじめ複数あるそうだ。数ヶ月前だったと思いますが西日本新聞でそういう記事を読んだ。

ここで日本における沈んだ軍艦の考え方を補足して終わりにします。

日本では沈んだ軍艦は、乗組員方々の慰霊の為、またはその場所がお亡くなりになられた場所ということで場所の特定は行っても、引き上げる事は絶対行いません。艦そのものがその方々の墓標となるからです。この日本の考え方を一部を除くアジア諸国は理解尊重し引き上げることは考えなかった。

もちろん遺族も海底の映像は見たいと思われるでしょうが、引揚は希望しておられません。
この考え方を大事にしたいと私も思います。

軽巡長良が沈んだ場所は海底が砂だったため、沈んだそのままの姿で現在も艦首を天に向け安らかに眠っている。
それはまさしく長良が墓標そのもののようであるとの事。

現在の安保関連法案も同じ。おつるおばさんが残してくれた想いから平和を重んじ、戦争をしないために必要な事を考えないといけません。
米の戦争に日本が巻き込まれるとよく反対派が言っていますが、現実日本の問題に巻き込まれているのは米の方だということを理解しないといけません。
最新ネット世論調査の結果。

ネットは少し右寄りになるというか、興味持って調べたりする人たちが多いのでこういう結果になる。本来ならば一般がこういう結果にならないといけないと思う。それでも憲法改正だったとしたら過半数にはぎりぎり足りませんね。明らかに女性や若い世代はまだまだ勉強不足ですね。


全2回の予定でございましたが、長くなりすぎましたので予告しておりました艦これにつきましては次回雰囲気を変えて公開致します。
私もこの本にもっと早く出会うべきでした。艦これファンも読んでみて!絶対牛深へ訪れたくなるから!

その三→こちら  


Posted by hirok○ at 04:21Comments(2)牛深八景

2015年09月12日

長良の足についてこれる?-牛深第十景その一

こんにちは!
はじめましての人ははじめまして!

「絵で見る~」の本についてはみなさんご注文いただき誠にありがとうございます。初版残り10冊ですお早めに!牛深の方は母へ言っていただけるとすぐお届けさせてもらいますm(__)m

今回は人気企画牛深八景の十作目。第十景でございます。題材は題名でお分かりの通り軍艦長良です。牛深に深く関係していて、まとめたいことが多くあるので2回に分けます。

昨日から鬼怒川の決壊でニュースは埋め尽くされています。被害にあわれた皆様に心よりお見舞い申し上げます。
鬼怒川は群馬・栃木の県境に源を発し、利根川に合流する。流長170㌔。しばしば氾濫を繰り返したので治水工事が何度も繰り返されてきた。

度重なる氾濫被害の恐れから鬼怒と名付けられたのでしょう。

日本の軍艦名には河川名を付けられたものがあります。軍艦鬼怒もその一つ。
軍艦の種類もその用途によって多種に分かれるのですが、軍艦鬼怒は長良型に分けられ長良型5番艦です。(長良と同型、順番で5番目に建造されたという意味)

先にご説明しておきますが私も最近調べましたので軍オタでもなんでもないので詳しいことはわかりません。ただ学ばないといけないことだと思いますので、間違いがあればご教授願います。


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それでは長良について書いていきます。

長良型はすべて河川名で名付けられました。長良型は順に「長良」「五十鈴」「名取」「由良」「鬼怒」「阿武隈」の6艦。
その中でも軍艦長良は型の名前にもなっている様に長良型一番艦ということで現在でも重要度と人気を集める存在。

軍艦鬼怒や軍艦長良と書いてきましたが、もっと詳しく分類したもので表記すると、

けいじゅんようかんながら
「軽巡洋艦長良」または省略して

けいじゅんながら
「軽巡長良」と呼ばれます。

軍艦に馴染みのない方々は軍の船いわゆる軍艦は全部戦艦(艦種戦類別戦艦)と思ってらっしゃる方が多いのではないでしょうか?私も恥ずかしながらそうでした。戦艦大和があまりにも有名すぎてその影響でしょう。

なので長良の事を一番誤用されやすいのが戦艦長良と呼ぶことだと思います。ここだけでも覚えていっていただけると牛深の方はわかってるなぁと思われると思いますので注意して覚えておいてください。よろしくお願いします。

大事なことなので2回言います、笑
「戦艦長良ではなく、軍艦長良もしくは軽巡長良」です!

経歴スペック(新造時)
大正11年4月21日竣工(佐世保工廠)

基準排水量:5170㌧
全長162.15㍍
速力:36.0㌩
兵装:14㌢砲7門、魚雷発射管8門、水偵1機


水雷戦隊の旗艦、主力部隊の直衛や前衛、艦隊後方の索敵(敵軍の位置・状況・兵力などをさぐる)、哨戒(敵の航空機,艦船が一定の空域,水域へ侵入するのを,哨戒機,哨戒艦艇,レーダ,見張り所などを用いて警戒する)などを任務にしていた。

長良川は岐阜県西部の大日岳に源を発し南流して木曽川、揖斐川と並んで伊勢湾に注ぐ。流長160㌔。

岐阜愛知と流れて伊勢湾に注いでいる長良川で、建造時には特別牛深と関係があるわけではありません。
何が関係しているのかというのは先日書いたこの記事の後半部分に載せた内容。

この内容にもう少し詳しいことを補足致します。
昭和19年8月7日に牛深大島沖で米潜水艦クローカー(USS Croaker, SS-246) の雷撃に遭い轟沈。

この写真は艦尾から沈みつつある長良を、クローカーが潜望鏡を通じて撮影したものです。

座標
北緯三十二度十二分
東経百二十九度五十一分
水深百二十七㍍

この轟沈した時は鹿児島から佐世保へ帰る途中だった。このことから長良は牛深沖を素通りしていただけで牛深に寄港したことなんて一度もないんだろうなと思っていました。

事実は違いました。長良は昭和3年12月に第一艦隊第三戦隊に編入され、その後は12年頃までしきりに中国のチンタオ方面で行動し、佐世保港への入港が頻繁でした。この時期牛深港に軽巡長良と軽巡夕張、その他駆逐艦などがしばしば碇泊していました。

「牛深ノ湾内ハ水深14尋(22,3㍍)アリテ、故ニ時々軍艦及ビ水雷艇ノ投錨セルヲ見ル」(我が町より)

湾内の水深は深く、湾の前面は島で視界を遮っていて敵に見つかりにくい上、天草灘の大海に直ぐ出ることができる。軍艦の碇泊には適地だった。昭和の軍測量牛深地図に詳しく一帯の水深が測定してあったのはこの理由からだったんだなと今わかった。

牛深港に長良が来ていたのだ。海彩館から港を眺め、長良を想う。

70年前の目の前の場所には長良がいたのだ。

フェリー乗り場で、見えないけどそこにいるような気がする長良に70年前の牛深の方と同じように僕は万歳ー!と叫んだ。

涙が頬を伝っていた。


新聞記事内にある恭花さんの書です。

ということで第二回へ続くわけですが、この書にある島一春さんの本「天草灘にひびけ鎮魂の譜」を読みました。

涙無くしては読めない牛深の長良物語でした。次回はそこからおつるおばさんをご紹介したり、題名からもわかるように、若者に大人気の艦これの話題なんかボリュームたっぷり長文用意しています。次回読むときはハンカチも御用意ください(TдT)

な・の・で・す・が、牛深第十景なので私が絵を描かないといけなくて、笑。描きはじめてはいますが、まだまだ時間がかかりそうです。

ツイッターでは経過を報告しながらやっておりますのでご興味あられる方はTwitterのフォローをしていただけると描いている途中途中を公開してますので見てやってくださいな!

Twitterアカウントhirok_studio
右のTwitterからでもどうぞ!それではまた次回!→その2



  


Posted by hirok○ at 03:03Comments(0)牛深八景

2015年08月25日

ぼくらの自衛権戦争その3

こんにちは!
はじめましての人ははじめまして!

台風被害は大丈夫だったでしょうか?熊本は結構被害がでておりますね。わたしも住んでいるマンションが揺れてとても寝れる状況ではありませんでした。信号が違う方向いていたり、瓦なんかは随分飛ばされていました。怖かったですね。

連日楽しみにしていた牛深の漁業の変遷記事は本日終了しました。衰退した町の活路をその中でも少なからず元気のある雑節に見出したという記者さんの意見なのだろう。とてもいい文章でまとめられた牛深に感動いたしました。故郷牛深の現状を熊本全体にこれだけ伝えてくれた事をとても嬉しく思います。前回より重ねてありがとうございました。

そして牛高郷芸部おめでとう。誇れる地元の子供たち自信を持って全国へ行ってきて、応援してます。


絵で見る~の方は印刷の関係でまだ私にも届いておりません。出荷までもうしばらくお待ち下さい。
北海道、東北、関東、長崎と全国各地から多数のお申し込みを頂いております。ありがとうございます。それだけここを見てくれている人たちがいるということなので熊本の現状を熊日を読めない方達にも伝える意味も考えてブログを書いております。

*.♪★*・゜・*♪*.♪★*・゜*.♪★*・゜・*♪*.♪★*・゜*.♪★*・゜・*♪*.♪★*・゜*.♪

後半は誇れない熊本の人たちのお話。
集団的自衛権のお話の続き物その3。その2はこちら→その2

今日の記事には「若者に続け」団体続出の見出しで若者デモグループSEALs(シールズ)にあやかりOLDs(オールズ)という高齢世代、中年世代はMIDDLEs(ミドルズ)を設立したという事が書かれていた。

記事内
「この法案が成立したら集団的自衛権の名のもとに自衛隊がどの地域にも派遣され、武力行使できる。明らかに憲法に違反している。」

どの地域にも派遣され~部分は前回論破済。憲法違反している部分も前回他の方の投稿記事で論破済。

なんども書きますが、この理解度で反対している。

現状の最前線の自衛隊は、武力と一言で書いてあるが、今の憲法解釈では医療でも助けることが出来なかったりして困ってる。この集団的自衛権が足かせとなり、ぎりぎり自衛隊の命は防げるが他国軍を助けることが容易ではない。なのにアメリカには日米安保で日本人の代わりに命をかけて守ってくれって頼んでいる。この現状をまず認識する必要がある。

若者デモグループSEALsについてもご紹介しておきます。
熊本でも同じ。ラップとかで反対デモを行っている。この見本とされているSEALsのデモは動画でたくさん上がってますので見られたことない人は一度見てみることをおすすめする。結果は言わなくても正常な判断が出来る方にはそれで十分伝わると思います。

前半演説?部分も聞いてみると思慮の浅さがわかるが、ラップ調というのは丁度8分ぐらいからなのでそこを御覧ください。
まとめサイトで申し訳ないが、こちら
しかもSEALs公式によるスピーチ捏造を行っていた。それに安保と原発関係ないのにこの主張。


この団体を見習って熊本でもデモが頻繁に行われている。
熊本デモの主宰者の一人も少し前に熊日さんの記事になっていた。

個人攻撃をするつもりはないので記事では公開されていますが名前などは伏せます。デモ参加の若者はすべてこういう考えで参加している。

デモに参加して「純粋に楽しかった」
ん?デモに楽しさを求めてる?はてなでいっぱいだ。一部では出会いの場となっている様相もある。

このまま活動範囲が広がれば人が人を殺し、殺されかねない→これ法案関係なく他国から侵略されたら同じこと起こりますよ。
うーん。

前回も書いたが南沙諸島や日本との境界の石油掘削施設のこと知らないのかな?これがやばいんだけどな。話し合いを反故にして一方的にやられてるんだけど・・・

反対してる方達に質問したい。
仮に日本本土が他国に攻めて来られたらどうするつもりなの?
戦わないで領土明け渡すの?議論突き詰めるとここなんですよね。同じ平和を願っているのに意見が対立するのはここを考えないから。先の大戦で命を失った方々が引き換えに残してくれたのは実は平和ではない。2675年続いている最長国日本という国家を残してくれたのだ。だからその日本を残すために平和を維持しないといけない。国に守られ国の制度の中で日々安全を担保され生活をしているこれが考える当たり前の避けられない順番なのだ。

熊本デモのTwitter合言葉は「さしより廃案、とりあえず廃案、とりま廃案」だそうだ。
内容なんか知らなくていいからとりあえず反対しようぜと若者を集めている。逆を言えば内容知ったら反対しなくなるからという裏返し。

集団的自衛権につては今回で最後にしようと思う。大企業が就職試験のときにその名前を検索しその人がデモに参加してたら不採用にするということが現実起こっている話を聞く。どれだけおかしなことをやっているのかこれが答えだろう。

提案としては、マスコミが集団的自衛権と叫ぶより「限定的集団的自衛権」と一つの言葉にして説明すれば少しは国民に伝わるんじゃないかな?どこまでも自衛隊が行くわけじゃないよって事。

デモラップで「民主主義ってなんだ?!」「なんだ?!」というところがある。今あなた達が見ているものがそうなんですけど。国民が選んだ政治家が国の方針を決めることが民主主義。今の政治が絶対王政とでも言ってるのかな?

「(安保法案)廃案!」「廃案!」と連呼してるところではいつの間にか「ハイヤ!」「ハイヤ!」って聞こえる私はだいぶ牛深に染まっている、笑。という落ちで終わります。ハハハ・・・

  


2015年08月24日

ぼくらの自衛権戦争その2

こんにちは!
はじめましての人ははじめまして!

連日楽しみにしている牛深の漁業の変遷記事は掲載されていますが、今日は先日書いた集団的自衛権のお話のその2。その1はこちら→ぼくらの自衛権戦争

今日の熊日の読者投稿欄にやっと、認識を完全に同じくする方の投稿があってホッとしました。

その前に、その右にある若者コーナーのこの記事を読んでいただきたい。個人攻撃はするつもりはないので名前は消しておきます。この14才中学生の投稿が典型的な今安保法制に反対する若者の例です。

この中学生だけが悪いわけじゃない、反対デモに参加している20代の若者も言ってることは同じ。ここで思考が止まっている。
こういう若者にきちんと今安保法制を教えてあげられる大人はどれだけいるのでしょうか?
同じく反対してる大人が多いことから、おそらく多くの大人たちが説明出来ないのでしょう。説明できないどころか、これだけ考えていてエライねとでも言っているんだと思う。こういうことを言う子供を学校教育は褒めるから正しいと思って勘違いしてしまう。もちろんとっかかりの考えとしては、何も考えない子供よりはいいのだけれど、そこで終わっては絶対ダメ。

もし自分のお子さんがこういうようなことを言っていたらしっかり説明してあげて欲しい。今回上載記事から要点を書き出しますので、じっくり読んでもらえたらわかって頂けると思います。

・記事「僕は日本に住んでいる。~続くのだろうか」部分

日本は今戦争をしていないのはなぜか?っていう疑問を持つと、必ず先の大戦を学ばなければいけなくなる。そして今日の平和はなぜ保たれているのかを考えないといけなくなる。

・記事「世界を見てみると、~集団的自衛権は自分の国を守る行為と話しているが、はたしてそうだろうか」

世界を見るといろんな国があり、現在戦争している国ももちろんある。事実そういうところで、戦争をやめさせるためにはどうするのがいいか?選択肢は2つしかない。
一つはどちらかが戦争で勝つ。
もう一つが話し合いで解決。←これが理想。

その話し合いで必要なもの。それが軍事力。経済力も効果があるときもないとは言いませんが。結局後ろ盾に軍事力がないと発言しても聞く耳を持たれない。

残念ながらこの軍事力が世界の均衡を保っている。もう少し詳しく書くと、その先に軍事力の中の最高兵器の核がある。これがよく言う核の抑止力だ。

日本が現在自国を単独で守ることは不可能に近い。日本に自衛権がないときに竹島や北方四島を占領され現在まで続いていることが何よりの証拠。だから中国が近年主張してきている尖閣諸島に対して、日本はアメリカに日米安保の適用範囲内だと何回も言ってもらっている。←はいここ。日米安保がないと単独では尖閣も守れない。

尖閣を中国はほんとに狙ってるの?デモ参加者はそんなのありえないじゃんって言う。
それは現在進行形の南沙諸島を見ればすぐわかります。もう今や完全に中国の軍事施設まで出来て領土と化している。中国は尖閣どころか沖縄まで狙ってますよ。

中国の一方的に肥大化する軍事力に、日本はどのように対応していこうと考えた結果。志を同じくする国同士外交により絆を深めてより抑止力を強めよう。これが集団的自衛権、自分の国を守る行為なのだ。

ここで、おそらくみなさんが危惧していることが次のところだと思う。
・「これによって米国の戦争に巻き込まれることはないだろうか?」

湾岸戦争やイラク戦争のようなアメリカが勝手に起こした戦争に日本も連れて行かれるのでは?と誤解してる方が多くてデモに参加しているようだ。

ここはっきり書きますよ。
新日米合意の中ではっきり文章化してあります。

「日本に関係ないアメリカの戦争には絶対参加しません」

日本が一方的に言っているだけじゃなくてアメリカもこれを承認している。
これをもっと詳しくしたもの。これが新三要件

ちょっと長いので要約します。
1,日本に対して武力攻撃が発生したとき。または、日本と密接な関係国に対して武力攻撃が発生し、これにより日本の存立が脅かされ日本国民の命や自由が奪われる明白な危険があるとき。

2,武力以外に日本の存立を全うし国民を守るために他に手段がないとき。外交を主としてあくまでもどうしようもないとき。

3,武力を使う場合必要最小限の行使にとどまること。  以上。


これら3つすべて満たさないと集団的自衛権は使うことが出来ない。よく考えて。
イラク戦争とか日本存亡の危機とか関係ないから。その想定されてる状態ってもう平時じゃない。国がなくなるかもしれないときに集団的自衛権になるからダメとか言ってる場合じゃない。

この新三要件を満たしていてももちろん派遣には国会承認が必要なので自衛隊が勝手に参加することはありえません。これで日本が戦争に参加することはかなりのハードルがあることはお分かり頂けたと思う。

・記事「戦争をすることは憲法に反していると思う」
これについては、冒頭に書いた、認識を同じくする方の投稿を載せることでその説明にかえさせていただきます。


*.♪★*・゜・*♪*.♪★*・゜*.♪★*・゜・*♪*.♪★*・゜*.♪★*・゜・*♪*.♪★*・゜*.♪




完全同意
憲法9条があることで70年間日本が平和の状態を維持できたと考える人は幸せである。←丁寧ですごい皮肉。笑えるほど気持ちいい。投稿して頂いてありがとうございます。

  




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